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小児歯科と子ども学

要旨:

子どもの口の中を見ていると生活が見えてくる。今その子の世界がどうなのかといったことがぼんやりと思い浮かんでくる。ある日ある子の口の中を初めて診ること、それは私たちがその子の世界の入り口に立つことのように思える。小児歯科と子ども学。本稿では、子どもの心理学者でもない、教育者でもない私たちが何で子ども学なのか? 小児歯科医が子ども世界のadvocatorとしての一面をも担って日々仕事している、その実態を紹介したい。
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小児歯科医(小児歯科専門医)とは

6年間の大学教育で小児歯科を学ぶ時間は講義が30コマ、基礎実習が15コマほど、臨床実習も1年間のうち約2週間ほどと決して多くはない。大学卒業直後、歯科医師として1年間研修が義務付けられているが、そこでは主に成人を対象として臨床の基本を学ぶ。小児歯科専門医になるためには、その後小児歯科の研修施設に入って5年間、子ども専門の研修を積み、専門医になるための試験に合格しなければならない。

卒後1年間の義務研修を受けて小児歯科教室に入ってくる新人ドクターは、子どもの治療はほとんど出来ない。したがって、一般歯科医のコースを進んで開業に至った歯科医は、子どもに関する知識、歯科医療技術は低い。「子どもを歯科医院に連れて行ったが、全然診てもらえなくて、小児歯科を紹介された」という患者さんが多くいるのも当然なわけである。

このような小児歯科専門医の数は表1にあるように、現在4,300 名ほどの小児歯科学会員のうち、約1,600名である。これは小児科医が約15,000人いることから考えるとはるかに少ない。

表1:小児歯科学会会員数(2008年)
北日本地方会
597 名
関東地方会
1,674 名
中部日本地方会
536 名
近畿地方会
553 名
中四国地方会
426 名
九州地方会
554 名
会員数合計
4,340 名
(うち小児歯科専門医 1,550 名)


小児歯科診療システム (他と何が違うか)

小児歯科独特の診療システムとして定期健診システムがある。子どもの口の中は年齢と共に、歯のない赤ちゃん時代から、乳歯列期(2-6歳)、乳歯と永久歯が混在する混合歯列期(6-12歳)、永久歯列期(12歳以降)と変化していく。その変化に応じて例えばう蝕の好発部位なども変化するので、予防方法も変わってくる。また歯並びも新しく歯が萌出してくるときに問題が生じることが多いことなどから、定期的に健診を行うことが望まれる。このシステムを来院するすべての子どもたちに義務付けている。したがって目的の歯の治療が終わったら通院終了という一般歯科医とは異なって、小児歯科ではその後の定期健診を最低15~6歳頃まで、患者さん次第で時には20歳頃まで続ける人も珍しくない。

定期健診は4~5か月に1回程度の割合で行う。患児とはもちろんのこと、その家族と長期にわたって交流が得られる、このようなシステムをもつ職種は他に見当たらない。定期健診で通い続けた患者の結婚式に小児歯科医が招かれるという話がある。このシステムのおかげで私たちはより深く子どもや家庭を理解することができる。


子どもの歯の治療

1)ラポール(信頼)を得ること

ラポールを得ることから診療が始まるといっても言い過ぎではない。子どものう蝕を治すこと、それは子どもを一人で診療台に座らせ、歯肉に麻酔注射をして、歯をあのドリルで削ることである。子どもだからといって簡単に終わるわけではない。この一連の治療に必要な恐怖の時間は1回約30分。この間、いかに治療をスムーズに行うかは、子どもの私たちに対する信頼の程度によって異なってくる。2~3歳ぐらいから14~5歳くらいまでの子ども達に、大きな口をあけて治療させてもらえるよう、私たちは心を開いて彼らを迎え入れる。

ラポールはどのようにして芽生えてくるのか? それは子どもたちと私たちとの格闘から生まれてくる。大人が子どもを力でねじ伏せるのは簡単であるが、私たちは治療のためだからといってそうはしない。たとえば私たちは歯の治療を行うラインにいて彼らはそのラインより下方にいるとする。彼らの位置から治療ラインまでの距離は様々である。私たちがこちらから降りて行って、少しずつ治療ラインまで彼らを引き上げようとする。無理やり、一気にではなく、押したり押されたり、彼らのプライドを傷つけないように気遣いながら、互角の力で少しずつ引き上げていく。そして何とか治療ラインに到達して治療が始まる。

治療している間の30分、子どもたちにとっては日常にない特殊な経験となる。恐怖、不快感、騒音、時には痛みなどのストレス。こんなのはいやだと言って後戻りする寸前のぎりぎりのラインで、私たちは彼らの心の中を推し量りながら少しずつ前へ進む。そうしているうちに彼らが築いていた私たちに対する心の中の壁は取り除かれていく。やがて彼らの体から力が抜けてきて急に柔らかくなってくるのを感じてくる。そうなればもう彼らはいつもの自然な自分に戻り、未体験ゾーンをクリアしたという安心感からか、自信に満ちた目つきさえ感じられてくる。彼らの私たちへの信頼はこのような葛藤の中から生まれてくる。表面的ではなく心の中の深いところで、琴線に触れるというか、何かカチッとカギフックで繋がったような体験はいつまでも彼らの心から消えることはない。

チェアーサイドで私たちの攻防をじっと見守っていた父親や母親もそれを実感しているのがその場の空気で感じられる。時には、自分が知らなかった子どもの一面を見たような気がすると言って感動して帰る父親もいる。子どもに対してはもちろんであるが、保護者からの信頼を得ることは、その後の治療をより円滑に進めるうえで大きな力となる。


2)系統的脱感作法

彼らを引き上げていくときに私たちが使う手段の一つ。それは、金属音が飛びかう診療室、見るもの触るものすべてが初めて、それもみな先がとがっていて、きらきら光っている。そのような医療器具を、私たちは簡単なものから一つ一つ手にとって、彼らに渡し触らせる。そして日常彼らがよく目にするものに例えて説明する。教科書的には系統的脱感作法(Tell, Show, Do)という。「これはお口のつばや、ごみを吸い取る掃除機、これは機械の歯ブラシ。」ドリルの先にブラシをつけて目の前でくるくる回し、それから口に持っていって歯を磨く。水を出す。掃除機で吸い取る。こんなことを何回も繰り返しているうちに、聞く耳持たずの彼らでもいつの間にか一人前の患者に変身してくる。恐怖100%だったことが知ることで0%になる。大人のように「しかし本番は痛いんだろう?という勘繰りがない。だからうそはつけない。

もうひとつモデリング法というのがある。これは自分と同じくらいの年の子が上手に治療している風景を実際にあるいはビデオで見せて、「みんなやってることだから君にもできる」ともっていく。しかしこの方法はうまくいかないときがある。上手にやっている子を見て余計自信を失う子が多いからである。したがってこの方法は、何とか我慢して治療ができている子の耳元で、「隣の子ぎゃーぎゃーわめいているけど、君は強いね。おりこうさん」「うん!」というように用いている。


3)様々な子どもたち

しかしそう簡単にいかない場合がほとんどである。 一人当たり4~5本の虫歯を持ってやって来るたとえば3歳の子どもたち。0歳から保育所生活を始めたような子は、平気で診療室に入ってきて興味津々でチエアーに座り、かってにコップの水で遊び始める。このような患児は治療がやりやすい。「先生にすべてお任せします」と言って、母親もチェアーサイドで携帯メールで充実した時間を過ごしていく。母と子の間に何かしらひんやりとしたものを感じる。

かと思えば両親と一緒、がっちり手を握って固まっている。今にもバケツの水があふれそうな状態でいる。チェアーに座るよう、小指でほんのちょっと背中でも押そうものならたちまち蜂に刺されたかのように泣く子、両親もハラハラ。歯の治療など幾山超えた先の話である。親子の間がたっぷりの愛情で満たされているほど、第3者の私たちが割って入っていくのが大変。このような子は本当はとってもいい子で、落ち着いた素直な子であることはわかっているのだが・・・。

私たちと子供たちとは様々なナイストゥミーチューがある。


4)非協力児の治療

歯科の治療は、熱を測って、のどを見て、お胸ぽんぽん「はい、風邪ですね」では終わらない。恐怖の30分を乗り越えなければならない。大きくて、痛みがあり、放っては置けない虫歯があり、その子は治療を拒否している。何とか応急処置をして、何回か来院させて訓練しても治療ラインに到達しない。

いつまでも治療を拒否する子どもに対しては、1.強制治療、2.静脈内鎮静(全身麻酔)による治療の2つの方法から選択する。強制治療とはネットやバスタオルで体を固定して治療する方法である。患児の恐怖は治療開始時が最もピークで激しく抵抗する。
report_02_103_1.jpg しかし、表面麻酔をたっぷり塗って、注射針を突き刺しても、瞬きしないくらい痛くない、歯を削ることも思ったより大したことではない・・・ということがわかってくると、抵抗は徐々に弱まってくる。
report_02_103_2.jpg 明らかに治療を受け入れてきている場合、治療の途中からネットを徐々にはずしていき、治療が終わったころにはネットが完全に外れている状態にまでもっていく。
report_02_103_3.jpg
「次からは網で抑えなくてもできるね」「うん」という体験ができるように。この一時的な強制治療については、看過できない疾患がある場合、保護者に対する十分な説明と同意の下で行う。静脈内沈静あるいは全身麻酔を選択する保護者は障害を持った子どもを除いてほとんどいない。


5)障害を持った子どもの治療

治療に対する理解が得られにくく、かつ多くのう蝕がある場合には、全身麻酔で治療を行う。明らかに精神的な遅滞があり、その診断がなされている子どもの場合には、初めからそれに合わせた対応を行うことができるが、早期診断がなされていない発達障害児(ADHD、アスペルガー症候群など)のような場合には、こちらの対応も回り道、空回りする場合が多い。私たちが子どもと向き合っているときに感じる「この子はちょっと違う」という第一感は、これら発達障害の早期診断に活かすことができるかもしれない。

以前、アスペルガー症候群と診断されている成人の方のお話を聞いた。「小学校3年生の頃に診断された。それまではクラスのみんなからは仲間はずれで担任からも嫌われていた。しばらくたって急に周りの者の自分に対する態度が変わって、担任も優しくなった」

「母親から聞いて、あの子は病気なのだからみんなよく考えてあげてね。と担任が自分の反省も込めてクラスの子に伝えたのだと思う」「もっと早く診断されていればよかった」

これは時々同様の子の歯の治療を行う私たちにとってハッとさせる話であった。私たちがあのクラスの担任の先生のようであってはいけない。同時に今まで何も知らずにあの担任のような状態で子どもに対応していたかもしれないという思いが頭をよぎった。


う蝕の予防

1)虫歯菌は母親からの伝搬

口腔内には多種多様な細菌が常在している。およそ300種類。その約3割が連鎖球菌族でその中のストレプトコッカス・ミュータンスは糖を分解し、多糖体を再合成して歯の大敵である酸を産生する。この菌はどこから来るのか? それは主に母親から伝播する。ミルクの温度を確かめるためにゴム乳首をなめて与えたり、スプーンや時には口移し、deep kiss などで。したがって妊婦検診では生まれてくる子どものために、母親の口腔内をまずきれいにしなければならない。唾液中に検索される虫歯菌の数はう蝕の多い人ほど多いことがわかっている。子どものう蝕予防は生まれる前から始まっている。


2)生活習慣の軸は食生活

糖を口に入れると口腔内のpHは酸性に下がる。エナメル質はpHが5.4以下に下がると脱灰し始める。でもpHの高い唾液がサーと出て、約20~30分程で元に戻り、一旦脱灰方向に進んだエナメル質はすぐに再石灰化される。ところがだらだらと半日がかりで一袋のお菓子を食べては遊びしていると、口腔内のpHは下がりっぱなしで、脱灰ばかりがどんどん進行してしまい、やがて穴が開いてしまう。

子どもは生後3歳ぐらいまでは母親とべったりの生活をする場合が多い。100%母親ではなく、生活の一部分を責任のある第3者に任せることが、子どもの発育にとって望ましいという報告がなされている。う蝕の発生についても低年齢児の場合、母親の生活習慣がそのまま子どもに影響する。食事、おやつの習慣が生活の軸となっていることから、私たちは口腔の健康の面から、定期健診のたびに食習慣をチエックする。 「普通にやってます」の「普通」が問題で、それがどれくらい異常であったかを知る人もいる。


3)う蝕が多いことはネグレクト?

う蝕が多いことは保護者の食生活習慣に問題が多い。子どもの口腔衛生に無関心で、歯磨きがおろそか、歯科医院に通院しない(できない)などの要因が絡んでいる。う蝕は誰でも経験しなければならない疾患ではない。1~2本ならともかく、時には多数歯にわたるう蝕を持って来院する子どもがいる。その場合、私たちはその子の家庭生活に一歩踏み込んで話を伺う。う蝕が多い原因は何なのか? 私たちにできる育児支援、それは効率のよいう蝕予防を行うこと、おやつの食べ方を改めて生活にリズムを取り戻すこと。そして育児に疲れた母親の愚痴を聞くことである。また、住んでいる地域の公民館活動の紹介も行う。

時には服装の汚れが目立つ子どもの場合など、体に傷がないかなどのチェックも行う。当科においては新患患者の集計を始めて以来10年、初診患者の主訴の約15%は歯の外傷で來院している。外傷の場合には、受傷部位、原因などに不自然性がないかどうかのチェックを行う。疑わしい場合には躊躇せずに市役所、保健所への連絡を行う。この場合「すでにマークしています」との返事をもらうことが多い。小児歯科医の仕事が子どもの歯を修復するだけの毎日であるなら発覚しなかった事例もいくつかあり、そんなときには子どもの世界で仕事している責任を痛感することもある。


小児歯科と子ども学

子どもの世界にかかわる様々な専門家たちは、それぞれ自分の専門領域で専門性を追及することに日々余念がない。しかしそのために往々にして自分の専門以外のことには無頓着で、そういうことは他の専門家にませておけばよいといった傾向になりがちである。その結果、例えば教育熱心な小学校の先生が、発達障害児をクラスの問題児という認識でしか対応していなかったり、「体の病気は治ったが心に病気ができた」という医療従事者への不満。「イオン飲料は子どもの脱水を防ぐのによい」という小児科医の勧めでう蝕だらけになった子。子どもの心を知らない看護師や衛生士の存在など、子どもたちにしてみれば「いったいどうなってるんだ」という叫び声が聞こえる。子どもをターゲットにした食べ物、遊び、おもちゃ、携帯電話、インターネット等にも様々な問題が生じている。子どもたちの基盤となる家庭で、保護者が的確な判断の元に子どもを守り育てていく環境にあればよいものの、今その家庭にも問題が指摘されている。

子どもを取り巻く教育、医療、保健、福祉各領域の専門家が連携を取らなければ、彼らの世界はけっしてよくならない。そのような観点から、子ども時代を一定期間、定期的に観察できる立場にあり、生活を色濃く反映する口腔疾患の専門家である小児歯科医にとっては、狭い口の中だけを見ているのではなく、一歩踏み込んだ総合的な子育て支援の枠の中で、その専門性を発揮すること、それが子ども学の一分野としての小児歯科であると考えている。


<参考文献>
渡部茂、平岩幹男:やさしく学べる子どもの歯、 診断と治療社、東京、2008
渡部 茂:小児歯科21世紀の課題.仮称「日本子育て学会の設立に向けて、小児歯科臨床、8:44-45、2003


「チャイルドサイエンス 子ども学 vol.5」(日本子ども学会 刊)より転載いたしました。
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