明けましておめでとうございます。本年もCRNをよろしくお願い申し上げます。
医師の仕事は端的に言えば患者さんの病気を治すこと。同様に教師の仕事と言えば教育を通じて子どもの能力を伸ばしてあげること。
私は単純にそう信じてきました。ところが、最近信念が揺らぐような経験をしました。
私の外来に相談にきた10歳の男の子がいます。相談の理由は、担任の先生から特別支援学級を勧められたことです。担任の先生が特別支援学級を勧めた大きな理由は、だんだん授業が難しくなり本人の知能テストの結果から考えると授業についていくのが大変になるから、ということでした。
私は親に知能テストの結果と、最近の通信簿を見せてもらいました。知能テスト(WISC-Ⅳ)の結果は、IQは59ということでした。IQは平均値が100になるように作られており、70以下は知的発達の遅れを意味します。70~50は軽度知的障害を疑う値です。しかしその後に通信簿を見てびっくりしました。全教科の3分の2の科目で3段階評価で2(できる)がついているのです。
成績は知的障害のある子どもが取れるレベルを超えているので、「頑張っているじゃない。知能検査の結果はその時のやる気や雰囲気でかなり変わるから、きっともっと上だよ。このまま普通学級でやっていけると思います」と感想を母親に伝えました。
しかしその後母親から聞いた担任の教師の言葉に私は凍りついてしまいました。「◯◯くんの知能指数から考えると、この成績は『本人の上限を超えている』のです」と言われたというのです。
私はマルハナバチにまつわる冗談のような以下の逸話を思い出しました。マルハナバチはずんぐりした胴体に、小さな羽がついています。流体力学が専門の大学の先生が、マルハナバチの体重と、羽の面積と振動数を元に計算した結果、「この羽ではマルハナバチは飛べるはずはない」と結論したのです。
実際にはマルハナバチは小さな羽でちゃんと飛んでいます。◯◯くんも、ちゃんと全体の6~7割の科目で2(できる)の評価をとっています。
この流動力学の専門家である大学の先生と、男の子の担任の先生には事実を見ないという共通点があります。この先生は子どもの能力を伸ばすどころか、この子どもの人生に勝手に「この子の上限」という「ガラスの天井」を作ってしまっているのではないでしょうか。
医師の仕事は端的に言えば患者さんの病気を治すこと。同様に教師の仕事と言えば教育を通じて子どもの能力を伸ばしてあげること。
私は単純にそう信じてきました。ところが、最近信念が揺らぐような経験をしました。
私の外来に相談にきた10歳の男の子がいます。相談の理由は、担任の先生から特別支援学級を勧められたことです。担任の先生が特別支援学級を勧めた大きな理由は、だんだん授業が難しくなり本人の知能テストの結果から考えると授業についていくのが大変になるから、ということでした。
私は親に知能テストの結果と、最近の通信簿を見せてもらいました。知能テスト(WISC-Ⅳ)の結果は、IQは59ということでした。IQは平均値が100になるように作られており、70以下は知的発達の遅れを意味します。70~50は軽度知的障害を疑う値です。しかしその後に通信簿を見てびっくりしました。全教科の3分の2の科目で3段階評価で2(できる)がついているのです。
成績は知的障害のある子どもが取れるレベルを超えているので、「頑張っているじゃない。知能検査の結果はその時のやる気や雰囲気でかなり変わるから、きっともっと上だよ。このまま普通学級でやっていけると思います」と感想を母親に伝えました。
しかしその後母親から聞いた担任の教師の言葉に私は凍りついてしまいました。「◯◯くんの知能指数から考えると、この成績は『本人の上限を超えている』のです」と言われたというのです。
私はマルハナバチにまつわる冗談のような以下の逸話を思い出しました。マルハナバチはずんぐりした胴体に、小さな羽がついています。流体力学が専門の大学の先生が、マルハナバチの体重と、羽の面積と振動数を元に計算した結果、「この羽ではマルハナバチは飛べるはずはない」と結論したのです。
実際にはマルハナバチは小さな羽でちゃんと飛んでいます。◯◯くんも、ちゃんと全体の6~7割の科目で2(できる)の評価をとっています。
この流動力学の専門家である大学の先生と、男の子の担任の先生には事実を見ないという共通点があります。この先生は子どもの能力を伸ばすどころか、この子どもの人生に勝手に「この子の上限」という「ガラスの天井」を作ってしまっているのではないでしょうか。