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40. アインシュタインの脳は何が違った?

要旨:

天才アインシュタインの脳を解剖し調べた結果、彼の脳の頭頂葉下部の下頭頂小葉という領野が通常より大きく拡大して、その前方の大脳皮質の溝を埋めるほど発達していたこと、そして特にその下頭頂小葉内で、神経細胞に対するグリア細胞の比率が、通常よりかなり高くなっていたことがわかった。今回はアインシュタインの死後解剖脳から得られた知見をめぐる話題を取り上げ、それをもとに頭頂葉の機能について説明する。
難解で論理的抽象的な神経についての生物科学的な話題が数回続きましたので、今回は天才の脳についてアインシュタインの死後解剖脳から得られた知見をめぐる話題を取り上げてみようと思います。前節までの記事の中で繰り返して述べてきましたが、脳の高次機能についてヒトで特に発達しているからという安易な理由からヒトの高次脳機能の由来を前頭葉連合野皮質に全てを帰納させてしまおうという傾向「前頭葉神話」が一般大衆向けの知識として幅を利かせすぎている印象を私は持っています。育児書や育児玩具あるいは育児プログラム等でも「前頭葉を鍛える」というのが決まり文句になっており、サルでもネズミでも持っているという理由からでしょうか?前節までに解説した海馬や海馬周辺皮質、あるいは頭頂葉の重要な役割に目を向ける育児書や育児ビジネスは、日本を代表するような脳科学者が監修している場合でも、ほとんど無いか有っても非常に少ない印象があります。
そんな中で目を引いたのが天才科学者と賞賛されているアインシュタインの死後脳に関する発表でした。彼の脳を詳しく調べた結果わかったことは、脳の大きさや重さは一般的な現代人と何ら変わりがないこと、しかし頭頂葉下部の下頭頂小葉という領野が通常より大きく拡大して、その前方の大脳皮質の溝を埋めるほど発達していたこと、そして特にその下頭頂小葉内で、神経細胞に対するグリア細胞の比率が、通常よりかなり高くなっていたことです。


report_04_53_1.gifこの下頭頂小葉はたとえば第40野が音韻ループによる単語保持に働くように、ワーキングメモリの回路としての機能を持つことがわかっています。また第39野は視覚と聴覚の連合処理に関わる領野で、この領野の障害が音韻性に文字を読んだり書いたりする事に関係することがわかっています。頭頂葉は視覚の処理をする後頭葉と運動の処理をする前頭葉に挟まれた解剖学的位置関係から、視覚と運動の連合処理をする部分であることがわかっています。視覚には運動をコントロールする「意識できない」視覚と、事象の形状や色彩を認識する「意識できる」2つの視覚経路があることを第37回 脳機能の局在性とモジュール理論で解説しましたが、そのなかで運動をコントロールする「意識できない」視覚は後頭葉から頭頂間溝を通り斜め上方に伸びて(背側経路)前頭葉の5野7野の運動前野に到達しています。ヒトが物をつかんだり動かしたりするときにはこの「意識できない」背側経路が非意識的に活躍しており、その顕著な例として後頭葉下部の障害で視力を失った症例でも自分に向かって飛んでくるボールを「何も見えなかった」と本人が主張する間にも、無意識に身体が動いて避けることができる事実が「盲視現象」として挙げられています。

report_04_53_2.gifこのように頭頂葉はヒトの日常生活に多大な貢献をしているのですが、その視覚-運動連合は実際の身体運動のみならず、脳内で何らかの運動イメージを作成して操作するときにも働いていることが脳機能画像検査でわかっています。ヒトの頭頂葉の高次機能では脳内で座標軸を変換することが挙げられています。少し難しい表現ですので簡単に説明しますと、たとえばブロックでできた立体パズルを解くときにブロックをどの方向に回転させればピッタリはまるかを考えたり、何種類かの鍵を鍵穴の形からどれがどの鍵か類推したり、空間内で物を移動したり回転させたりするときに頭頂葉が働いているのだと理解してください。アインシュタインは相対性理論という座標軸の回転・移動・変換に関する物理学的思考を脳内実験として理論的に実践し尽くした科学者でしたので、このような事物の座標軸変換に関わる脳部位が通常より大きく発達していたのだと思われます。

また、もう一方のグリア細胞の比率が高いという事実も興味を引きます。第34回 脳細胞の基本的な仕組みの記事の中で、動物の脳では進化と共に神経細胞に対するグリア細胞の比率が高まっていることを述べましたが、個人の脳でも天才と呼ばれる人物の脳ではグリア細胞の比率が高い事には正直私も驚きました。このことの理由を推測しますと脳内で神経活動を高いレベルで維持するためには、ニューロンの活動を補助して支えるグリア細胞の働きがより重要になると言うこと、換言すればニューロンに十分な栄養と活動環境を提供することが重要である、神経細胞の数だけでなくその使われ方がより重要であるとも言えるでしょう。

このように天才の脳には構造の差があることを知ると、どうせ私は平凡に生まれたのだから...と遺伝子の差だとか生まれ持っている素質と才能の差だとか考えがちですが、私は逆だと思います。これらの事実はアインシュタインの死後に解剖された脳にみられた特徴であって、彼が生まれつきこのような特別な脳を持っていたのだと考えるのは間違いだと思うのです。むしろ毎日毎晩、脳内で座標軸を変換する物理学実験を続けて脳を酷使した結果、彼の脳では神経細胞の数ではなく神経細胞を支えるグリア細胞の比率が高まったのだと思われます。また、下頭頂小葉の領野の拡大についても、同じように空間内での移動回転等のイメージ操作を脳内で繰り返して何十年も続けた結果として、彼の脳に形状の変化として刻み込まれたのだと私は解釈しています。「天才は1%の才能と99%の努力の結果である」ということは、アインシュタインの脳が私たちに伝える最大のメッセージであると私には感じられるのです。

図版の引用にご協力を頂きました(株)新曜社さまに心から謝意を表します。

筆者プロフィール
report_hayashi_takahiro.gif
林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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