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論文・レポート

母乳育児支援:日本の過渡期に直面して

岸 利江子 (昭和大学横浜市北部病院 助産師 / IBCLC)

2010年8月 6日掲載

要旨:

従来、日本では、乳房マッサージを中心とした桶谷式やSMC式などが主流でしたが、近年では、ラクテーションコンサルタント、BSケアを含む新たな母乳育児支援の方法が普及してきました。例えば、ラクテーションコンサルタントのアプローチは、乳房マッサージはおこなわず、代わりに授乳する女性に科学的な知識を与え相談にのることによって支援します。このような変化の時期には、日本の女性のニーズに合わせて母乳育児支援を発達させていくため、従来の方法の良さを尊重しながら新たな方法を統合する力量が求められています。いずれにしても、現在の母乳育児支援をめぐる状況は、日本に長く定着している母乳育児への志向と、助産師ほか母乳育児支援者の勤勉さを反映しているに違いありません。

日本の母乳育児ケアは近年、大きな過渡期に入ったかもしれません。従来、日本では、1981年に桶谷そとみ助産師によって開発された桶谷式と、その後1986年に根津八紘産科医によるSMC式の2つが母乳育児支援法の主流でした。私が助産学生だった1990年代後半にも、主にこの2つの方法について耳にした覚えがあります。どちらの方法も、乳汁分泌を促進するための独自の乳房マッサージを用います。桶谷式では、特別な研修を受けた助産師が、独特のマッサージ技術や食事指導などを用いて、しこりや乳腺炎などの乳房トラブルに対処します。一方、SMC式では、女性が自分で日常的に乳房や乳頭をマッサージするもので、母乳育児に向けた妊娠中からの準備と、授乳開始後は乳房トラブルを予防することが目的です。

過去10年間で、上記以外の新しい母乳育児支援の方法が普及してきました。例えば、2002年以来、福岡のフムフムネットワーク(Fukuoka Midwives Female & Male Network)の有志によるBSケア(CARE based on breastfeeding infants' suckling mechanisms)があります。このBSケアは「痛くない」「易しい」ということが強調された乳房マッサージで、研修を受けた助産師によって提供されたり、授乳中の女性が自分でおこなったりします。このマッサージは、おっぱいを飲んでいる赤ちゃんの口の動きをまねたのがアイディアのもとで、乳汁分泌を増やすことと、乳房トラブルの予防の両方を目的にしているそうです。

その他、国際ラクテーションコンサルタント協会によるラクテーションコンサルタントの方法が近年人気を得ています。このラクテーションコンサルタントの認定制度は1985年にもともとアメリカで始まり世界各国に広まりました。認定試験や受験資格を得るためのセミナーが日本語でも整備されるに従って、日本におけるラクテーションコンサルタントの数が近年急増しています。ラクテーションコンサルタントのアプローチは、これまで日本で主流だった方法と比べると、母乳育児についての科学的な知識に基づいているところが特色です。ラクテーションコンサルタントは乳房マッサージはおこなわず、代わりに授乳する女性に知識を与え相談にのることによって、女性が母乳育児をしたいと思えるように励まし、乳房のセルフケアを勧めます。

この他にも、母乳育児支援の団体として、母乳育児を経験した女性がお互いに助け合う母乳育児支援グループ(日本ラ・レーチェ・リーグや各地の母乳育児サークル)や、『赤ちゃんにやさしい病院』の認定をおこなう日本母乳の会などが重要な役割を果たしています。日本ではとても多くの女性が母乳育児を希望します。産後1か月を過ぎると母乳育児の率が半減してしまうという課題はありますが、ほとんどの女性が産後に母乳育児を開始しています(母子保健の主なる統計より)。

私は昨年、6年ぶりに日本に戻り、秋より病院の産婦人科で働き始めました。そこで初めに驚いたことは、助産師による母乳育児のケアが、6年前に比べて変化していたことでした。多くの助産師が、ラクテーションコンサルタントが主催する母乳育児支援の勉強会に参加しています。ラクテーションコンサルタントによる母乳育児についての教科書や専門書も格段に増えました。したがって、今後の母乳育児支援者となる現在の看護・助産学生もそれらの本を使って学んでいることになります。同僚助産師が、「これからは、桶谷式やSMCよりも、ラクテーションコンサルタントが主流になるらしいと聞いた」という声も聞きました。

一概に、日本の社会では、何か新しいものが出てくると、それまで主流であった従来のものは新しいものにすっかり置き換えられ、時代遅れとなって捨てられる傾向があります。新しいものに対してオープンに適応する態度は貴重ですが、何を信頼して良いのかわからなくなったり、従来のものがもつ大事なものを見過ごしてしまうリスクも抱えています。

次第に私は、伝統的な方法と、アメリカや他の国々からの新しいアプローチの間の差異に直面するようになりました。私だけでなく、日本の助産師も、母乳育児をする日本の女性も、異なる方法間の矛盾によって混乱しているようにもみえます。以下はその例です。

1)「前回、5年前にお産をした時には、左右のおっぱいをそれぞれ5分間ずつ吸わせるように言われたけれど、今はやり方が変わったんですか?今回は、片側のおっぱいを、赤ちゃんが満足するまで何十分でも長く吸わせるように言われました。1回の授乳で両方のおっぱいをあげなくてもいいと。」 と経産婦の女性に質問されることが時々あります。実はこのアドバイスの変化は、1回の授乳の初めと終わりでは母乳の質や味が変わる、という新たな科学的な知識が入ってきたことによります。そのため、赤ちゃんに満足感と十分な栄養とカロリーを与えるために、サラサラの水っぽい「前乳(foremilk)」だけでなく、トロトロで脂肪分の多い濃厚な「後乳(hindmilk)」までしっかり飲んでもらうことが推奨されるようになったのです (JALC, 2007; Mannel, Martens, & Walker; 2008; Walker, 2010)。

2)女性の中には、産後の入院中に助産師が定期的に乳房マッサージをしてくれると期待していて、そのようなケアがないと知ると、がっかりしたり、それでは母乳が十分に出ないのではないかと心配することもあるようです。また、産後に母乳育児がうまくいくようにと、妊娠中に(お腹が張りすぎて切迫早産にならない限り)、SMC式の乳頭のマッサージを一生懸命おこなってくることがあります。そして、乳頭・乳房マッサージは今では特に勧めなくなったと産後に知って驚かれます。

3)乳頭の形が短かったり陥没していて赤ちゃんが深く吸いつけない場合には、以前は、シリコンなどでできた人工の乳首、ニップルシールドなどの乳頭保護器を使って赤ちゃんが吸いやすいようにすることがありました。従来、日本の助産師も乳頭保護器を推奨していたわけではありませんでしたが、ラクテーションコンサルタントは、いかなる人工乳首も乳頭混乱(赤ちゃんが人工の乳首に慣れすぎて母親の乳首を上手に吸えなくなってしまうこと)を起こす可能性があるので好ましくない、ということをより強調しています。そのため、乳頭保護器を含む人工乳首を一切使わず、カップで授乳する方法など(注*)が勧められるようになりました (Flint, New, & Davies, 2008; Thorley, 2003)。

4)社会の風潮が母乳育児支援に与える影響もあります。例えば訴訟の増加などです。日本では畳の上に布団を敷く方法が昔は主流でしたが、現代は家庭でも病院でもフローリングにベッドです。海外では、添い寝の利点とリスクについて論争があります。赤ちゃんがベッドから落ちる事件を予防するため、添い寝が推奨されず、赤ちゃんは専用のコット(赤ちゃん用の小さなベッド)に寝かせるように勧めるガイドラインが多くあります(National Guideline Clearinghouse, 2008; Regional Infant Sleep Committee, 2007)。日本では、母乳育児開始と確立のための初めの一週間を医療施設で過ごすという特徴があり、自然分娩の場合は5~10日間、帝王切開の場合は1週間~10日間入院します。この時期の添い寝は母乳育児を確実に容易で快適にしますが、入院中の患者さんがベッドから転落すれば訴訟になりかねないため、病院の管理者は添い寝についても慎重になってしまいます。その結果、お産後間もない女性も、夜中も明け方も、頻繁な授乳のたびに体を起こさなければいけなくなります。この条件は、産後すぐの時期は会陰部や帝王切開の傷など、産後の体に痛みを抱えていることや、頻繁な授乳を考えるととても大変かもしれません。施設によっては、ベッド柵にカバーをして、転落などの工夫をしているところもあります。また、ベッドの横にコットを置いている施設も多くある一方、授乳のたびに母親を授乳室へ呼び出す施設もあります。

新しい知識を歓迎する一方で、新たな方法を従来の方法に上手に統合させることの難しさを感じています。両方の方法から良い部分だけを取り出して、日本の女性のための最善の母乳育児支援の方法を見つけたいものです。母乳育児をする女性にとって、また母乳育児を支援する助産師にとって、混乱や葛藤を避けるにはどうしたら良いでしょうか。昔からある方法を時代遅れとするのでもなく、海外からの方法を拒絶するのでもなく、両方を尊重する方法はないでしょうか。

お産と同様、母乳育児についての実践や女性の価値観はとても多様です。そのため、一人一人の女性に合った情報を、信頼できる普遍的な知識ベースから選択することが重要になります。新しい知識が異なる文化体系をもつ場所から来た場合には、その知識が自分の文化にもあてはまるかを吟味する必要もあります。

1)例えば桶谷式では、助産師と母親が一対一でおこなうものでした。マッサージを通しタッチ(触れること)が多く、個別性を重視した親密さが母乳育児支援に必須の要素でした。母乳育児をする女性は、施術を受ける間、ゆっくり話を聴いてもらうことができました。日本には不言実行という言葉があるように、『口を動かす前に体を動かす』ことが尊敬される文化的価値があります。日本の女性は、支援者から講義を聴くよりも、できれば親身になって愚痴を聴いてほしいというエモーショナルサポートへのニーズや、熟練した助産師に触れてもらい、その場で乳房トラブルを解決してほしい、というニーズがあるかもしれません。とりわけ、マッサージによる眠気、安心感、手のぬくもりの心地良さは、一対一で直接触れられることなしには得られません。また、従来の乳房ケアの時間は、常に赤ちゃんのケアをしている母親が唯一自分のためのケアを受ける時間かもしれません。(余談になりますが、興味深いことに、日本の女性は専門家に生殖器を触れられることについて欧米の女性よりも抵抗感が少ないようにみえます。アメリカのラクテーションコンサルタントは女性の乳房に直接触れることは極力避けていると聞いたことがありますが、日本では助産師は日常的に女性の乳房や乳頭に触れます。また、お産の時でも、日本の助産師は会陰部(赤ちゃんが出てくる部分で、膣と肛門の間の部分)が裂けないようにずっと触れて保護しますが、アメリカではほとんど触れないようです。)

2)アメリカの社会では母乳育児率が低く、ラクテーションコンサルタントは、母乳育児の利点を社会に伝え、女性を母乳育児をする気持ちにさせることが重要な役割でもあります。しかし日本の女性は既に母乳育児について既に希望していることが多いので、母乳育児がうまくいくためのより具体的なサポートだけを必要としているのかもしれません。日本の助産師は、母乳育児を十分に希望していながらも、産後初めの1週間に理想的に乳汁分泌が増えない女性のために、余計なプレッシャーを感じさせることなく、どうやって支援すればよいかを知りたいかもしれません。

3)伝統的な日本の方法は、もしかしたら、日本の女性が過度に専門家に頼る風潮を助長させ、自分の身体の能力への信頼を減らしてしまうかもしれません。例えば、専門家の特別なマッサージなしに十分に母乳が出るだろうかと心配している女性がいるのも事実です。経産婦の女性が「前回は、おっぱいマッサージのおかげでおっぱいが出るようになりました。」と話されるのを何度も耳にしました。この点では、最近の新しい母乳育児支援法では、母親と赤ちゃんが本来もっている力を発揮することが最重視されているので、女性が自分の身体の能力への信頼感を回復するのに役立つかもしれません。また、乳房マッサージは基本的に健康保険が効かないため、経済的な余裕のない女性は受けられないかもしれません。それによって、現在社会問題になっている健康格差の問題にもつながる心配があります。

4)最後に、研究による知識を日本に導入する際には、最新のエビデンス(科学的根拠)といわれても盲目的に取り入れるのではなく、慎重に吟味する必要があります。例えば、日本ではそれらの知識の大部分は、産後1週間の入院中に、助産師によるケアに使われます。他国でおこなわれた研究は、産後数か月後など異なる調査期間についてのものであったり、 研究対象者の背景や条件が日本の女性とは大きく異なることもあります。海外の知識を日本に取り入れる時には、言葉(多くは英語)の壁と、アカデミックな研究の理解(研究論文の批評に精通していること)という壁があります。例えば、「エビデンスがない」とされる場合には2通りの事情があり、区別することが大切です。すなわち、「適切な研究がされた上で、効果がないという結果が得られた」という場合と、単に(社会的に自明とされているため、または国際的に良しとされる方法を使って科学的研究をおこなう人が少なかったために)、「適切な研究がされていなくて、エビデンス(研究結果)が(まだ)存在しないだけ」という場合があるのです。

現在の母乳育児支援をめぐる状況は、混乱も含めて、日本に長く定着している母乳育児への志向と、助産師ほか母乳育児支援者の勤勉さを反映しているものに違いありません。日本の母乳育児率の高さと、長い産後入院期間は日本の特色であり、良質な母乳育児支援研究を発展させるための強みとなって国際的に大きく貢献できる可能性があるのです。

注:「カップで授乳する方法」とは、赤ちゃんが哺乳瓶の乳首を全く使わずに、(大人がするように)コップに直接口をつけ、チュパチュパとミルクを飲む方法のことを指します。インターネットで「cup feeding」と画像検索すると見られます(例:オーストラリア母乳協会のサイトなどhttp://www.breastfeeding.asn.au/bfinfo/cupfeeding.html)。他に、離乳食を与える時のようにスプーンでミルクを与える方法や、細い管を使って与える方法もあります。


謝辞


本稿について貴重なコメントをくださった日本赤十字九州国際看護大学の佐藤珠美教授とチャイルドリサーチネット所長の小林登先生に心から御礼申し上げます。

母乳育児支援団体についての情報
桶谷式乳房管理法研鑚会(日本語) http://www.oketani-kensankai.jp/
BS ケア(日本語) http://bscare.jp/index.html
国際ラクテーションコンサルタント協会 (英語) http://www.iblce.org
日本ラクテーションコンサルタント協会 (日本語) http://www.jalc-net.jp
ラ・レーチェ・リーグ日本(日本語) http://www.llljapan.org
日本母乳の会(日本語) http://www.bonyu.or.jp/index.asp


参考文献

日本ラクテーションコンサルタント協会(編)(2007). 母乳育児支援スタンダード.医学書院.
Flint, A., New, K., & Davies, M.W. (2008). Cup feeding versus other forms of supplemental enteral feeding for newborn infants unable to fully breastfeed. The Cochrane Library, Issue 2.
Manhire, K.M., Hagan, A.E., & Floyd, S.A. (2007). A descriptive account of New Zealand mothers' responses to open-ended questions on their breast feeding experiences. Midwifery, 23, 372-381.
Mannel, R., Martens, P.J., & Walker, M. (Eds.) (2008). Core curriculum for lactation consultant practice. Second Edition. Jones and Bartlett Publishers. MA: USA.
National Guideline Clearinghouse. (2008). Guideline on co-sleeping and breastfeeding. Retrieved on June 12, 2010, from
http://www.guideline.gov/summary/summary.aspx?ss=15&doc_id=13407&nbr=&string=
Regional Infant Sleep Committee. (2007). Best practice guidelines for infant sleep practices: Bed-sharing. Retrieved on June 12, 2010, from
http://www.calgaryhealthregion.ca/clin/cme/cpg/InfantSleepGuidelines_BedSharing.pdf
Thorley, V. (2003). Cup feeding. Australian Breastfeeding Association. Retrieved on July 10, 2010, from
http://www.breastfeeding.asn.au/bfinfo/cupfeeding.html
Walker, M. (2010). Breastfeeding management for the clinician: Using the evidence. Second Edition. Jones and Bartlett Publishers. MA: USA.

筆者プロフィール

岸 利江子 (昭和大学横浜市北部病院 助産師 / IBCLC)

広島大学(学士)・イリノイ大学シカゴ校(PhD)修了、助産師
甲南女子大学客員研究員
チャイルド・リサーチ・ネット研究員 『ドゥーラ研究室』運営
Community-Based Doula Leadership Instituteアドバイザリーボードメンバー
現在、昭和大学横浜市北部病院産婦人科勤務
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