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インド発:「スラムドッグ$ミリオネア」の快挙はスラムの子ども達の生活改善につながったか?

要旨:

「スラムドッグ・ミリオネイア」は、筆者にとって忘れられない「今をゆくリアルなインド」であると同時に不条理な現実を直視しその解決にむけて自分を奮起さ せる備忘録のようなものだ。この映画を通じて世界の眼が貧困問題に注がれたが、それが一過性のものでなく、人々の問題意識が今後も続くことで、社 会から置き去りにされてきた子ども達の生活に意味ある変化と希望をもたらすことが出来ることを筆者は心から祈っている。

1年程前、私が在住するインドのメディアは連日アカデミー賞受賞映画「スラムドッグ・ミリオネア」関連ニュースでにぎわっていた。映画館でインド人に混じってこの映画を見る機会は逃したものの、DVD発売と同時にすぐさま購入してデリーの自宅で鑑賞した。私は原作「Q&A(邦題:ぼくと1ルピーの神様)」を堪能していただけに映画には懐疑的であったが、物語が始まるやいなや、疾走感と生命力にあふれる映像、屈託のない子役の演技、目まぐるしいながらもリズム感のある物語に引き込まれ、始終画面に釘付けとなった。

 

エンド・クレジットとともに「ボリウッド映画* 」には欠かせないダンスシーンが流れ始めた所で、我に返りリビングのソファーに深く座りなおした。私にとって映画は小説とは全く別物だった。映画では小説の要となるストーリー展開は残してあるが、主人公が遭遇する様々な登場人物の数奇な人生模様は切り捨てられている。しかし、ストーリーを簡略化し、ムンバイ・スラムの鮮烈な描写を背景に主人公の壮絶な生き様に焦点をあてたことで、大都会で孤児になるとはどのようなことかという臨場感を得る。しばしの間、映画の余韻にひたりながらも、同映画がここインドで巻き起こした数々の論争を思い起こした。

例えば、映画にはそのストーリー展開から「希望がわいてくる映画(feel-good movie)」というキャッチ・フレーズがついていたが、都市貧困を赤裸々に描いたこの映画のどこが「feel-good」なのだといった怒りの声も聞かれた。各々の批判内容はさておき、同作品が国際舞台で脚光を浴びたのを皮切りに、インド経済成長の陰に取り残されていたムンバイのスラムに住む子ども達にかつてない注目が国内外から集まったのは揺るぎない事実であり、そういう意味では子どもの教育・福祉を専門とする私にとっても確かに「希望がわいてくる映画」であったと妙に納得したのであった。

映画の背景とあらすじ

インド人外交官ヴィカス・スワープの小説「Q&A」をもとにサイモン・ビューフォイが脚色し、イギリスのダニー・ボイル監督が手掛けた「スラムドッグ$ミリオネア」は、第81回米アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞を含む8冠に輝いた。撮影はインドで行われ、青年ジャマールを演じるデーヴ・パテル(インド系イギリス人)を除く主要キャストがインド人、実際にスラムに住む子ども達も子役として出演しており、劇中4分の1はヒンズー語で進行する。

あらすじ:ムンバイのスラム育ちの青年ジャマール・マリック(18歳)は、生き別れとなった幼なじみラティカとの再会に希望をかけて、インド版人気テレビ番組「クイズ・ミリオネア」に出場、最後の一問のところまでたどりつく。しかし、教養のないスラム出身の孤児が次々と難問をクリアできるわけがないと番組司会者に疑われ、警察に無理やり連行され厳しい尋問にあう。ジャマールは無実を証明するためクイズ回答を見つけるきっかけとなった生い立ちのひとつひとつを説明していく。物語は「警察署内」、「番組収録スタジオ」、「ジャマールの回想」の3シーンを交互しながら展開、スラム出身の孤児が過酷な境遇の中でも大それた犯罪や暴力に手を染めることなくひたむきに生き、最後には愛も大金もつかみ取るという純愛を織り込んだ極めてわかりやすいサクセス・ストーリー。

都市貧困描写の信憑性: スラムの子ども達の窮境

インド国内で白熱した論争の1つが都市貧困の描写であった。しかし、「貧困の美化」、「貧困ポルノ」、「スラムを見世物にする悪趣味映画」などの非難があがる中、非人間的状況の中を生きるスラムの子ども達の生活の信憑性を疑う議論は聞かれなかった。

入手可能なデータ、また社会的に脆弱な立場にある子ども達を対象に活動するNGO複数からのコメントを総括すると、劇中垣間見る極貧状況は「つくり話」ではなく「現実」であることが分かる。世界銀行の「世界開発報告2009」は、人口1,600万人を抱えるムンバイは世界で最も人口密度の高い都市で、その内54%がスラムや類似するひどい状況の中で生活していると指摘、2001年インド国勢調査の分析を基に作成された「ILOインド児童労働の実態とデータ」は国内児童労働人口を1,260万と推定、インド女性児童開発省による「2007年インド児童虐待調査」は、国内で子どもを対象とする身体的、性的、心理的虐待や無関心などは日常茶飯事と警告する。

映画の成功に対し、NGOセーブ・ザ・チルドレン、インド・オフィス所長は、「実際、国内都市部では子ども達が劣悪な環境の中、わずかな手当で労働を強いられたり、暴力や虐待の対象となったり、犯罪組織に利用され路上で物乞いをさせられている」とコメント、同様にNGOレイルウェイ・チルドレンも「私たちは日々現実の世界に住むジャマールやサリーム(ジャマールの兄)のような子ども達と接触している」と言及した。

リアルな貧困描写については、特別試写会に参加したムンバイやカルカッタ、デリーといったインド大都市で実際スラムや路上で生活をする子どもたちも同意、自分たちの生活はジャマール、サリーム、ラティカの日々に投影されていたし、それ以下かもしれないと発言、UKテレグラフのインタビューに答えたストリート・チルドレンの一人は、「金を稼いで、何か食べて、それでおしまい」と言い放った。

社会的観点から見た「スラムドッグ・ミリオネア」の波及効果

同映画はフィクションに基づく娯楽映画であり、ドキュメンタリー映画ではない。しかしスラム孤児を主人公にムンバイ貧困街を舞台に描いたこの物語は、ドキュメンタリー映画やニュースでは届かない人々の間にまで広く世界中に貧困問題への意識喚起を及ぼす結果となった。

しかし、ボリウッド映画では通常扱われないスラムを舞台に英国人監督が製作したこの映画は、貧困が日々の現実である同地では様々な物議をかもしだした。とりわけ劇中序盤で幼いジャマールが必死でサインを求める実在のインド映画俳優アミタ・バッチャンが自身のブログに掲載した「この映画はインドを第三世界、汚い恥部である発展途上国として描いた西洋から見たインドの映画」というコメントは嵐のような反応を引き起こした。その後、再度ブログに「あれは自分の意見というより、議論を呼び起こすために疑問を投げかけたに過ぎない」と書いたものの、自国の近年の躍進を誇らしく思うインド教養層や中間層の中にはアミタ・バッチャンの当初のコメントに同調していた人々がいたことは否定できない。

その他、インド国内でよく聞かれた映画の批判には、「スラムドッグ」という造語へのスラム住人からの反発、スラム出身子役への報酬を含む待遇、反ヒンズー教描写、青年ジャマールが流暢な英語を話す不自然なセッティング、非現実的なハッピー・エンディングなどがあった。

批判の内容はどうであれ、劇中浮き彫りになった自国の居心地の悪い社会問題に対してインド人が無関心を装わず各種賛否両論が飛び交ったことは、インド社会が健全であることの証である。ジャマールが育ったとされるムンバイ最大規模のスラム、ダーラーヴィでの調査をまとめた「ダーラーヴィの再発見(Rediscover Dharavi)」著者でジャーナリストのカルパナ・シャルマさんは、英国雑誌「スタンドポイント」の中で、エリート・インド人の多数はスラムやスラム住人について何も知らず「彼らこそがこの映画を見るべき。大半の人々は、自分たちの使用人がどこに住んでいるのか、運転手が毎日スラムから通っているのか等知らずにいる」とコメント、当然のことだが少しでもスラムの状況を知る人々はスラムに入ったことがない人々と比較して映画に嫌悪感を抱くことも少ない、と続けた。映画をめぐる各種論争は、貧困層と距離をおきたいと考えるインド中産層に、貧困について「彼らの問題」でなく「自分達の問題」として捉えざるを得ない良い転機になったはずだ。

同映画は貧困問題提起とその解決を目的に製作されたわけではないが、彼らの生活を改善しようとする活動が映画製作チームや映画を観て感化された人々によって始まった。劇中番組司会役のインド映画主演男優アニル・カプール氏は、2006年から親善大使を務めるプラン・インド(貧困層の子ども達のために活動展開をするNGO)に同映画出演料全額を寄付、続いてキャストとスラムドッグ・ミリオネア製作チームもムンバイ・スラム支援のために50万ポンドを寄付、同額はコミュニティ・プログラム費用としてムンバイ・スラム住人に還元され、2,000所帯、合計5,000人程の子ども達がその恩恵を受けることになった。また、インドでのホーム・ビデオ配給会社シャメロー・エンターテイメントもプラン・インドと提携、売上の一部を寄付している。

スラム出身子役ルビナ(幼少期ラティカ)とアザルディン(幼少期サリーム)は映画撮影後初めて学校に通い始めるようになったという。その他、ボイル氏と映画プロデューサー、クリスチャン・コルソン氏は二人のために信託資金を設立、18歳まで学業を継続した場合子ども達に資金が譲与される。結局のところ、この子達の未来は親に大きく依存しているものの、ルビナとアザルディンには貧困の連鎖から脱却できる機会が与えられたのだ。

映画への反響は国家レベルでも見られた。インド主要新聞ヒンドゥスタン・タイムス紙によると、マンモハン・シン首相は同映画が幾つものオスカー栄冠に輝いたのを受け「インドに誇りをもたらした」と製作チームを祝福、また英国人男性が「本当のスラムドッグミリオア:金稼ぎのために子ども達を不具にするマフィア・ギャング」と題する記事を政府宛てに送付してきた後に取り調べ調査の指示を下した、と掲載した。この血も凍るような記事の事実関係について、原作者ヴィカス・スワープ氏は「物乞い統括のボスが、より荒稼ぎが出来るよう本当に子どもを盲目にするかどうかはわかっていない。都会でまことしやかに流れるうわさに過ぎないかもしれない」と語る。路上の子ども達の生活への関心が続く中、仮にこのような話が真実であれば、このままで済まされる事は考えにくい。

貧困に苦しむ子ども達の問題に積極的に取り組んでいこうとする動きは個人レベルでもみられた。アクション・エイド、セーブ・ザ・チルドレン、SOSチルドレンズ・ビレッジズなど、インドで活動をするNGOでは、映画がひのき舞台で脚光を浴びるようになった後、献金額が増えたと報告をしている。

都市貧困の規模や問題の深刻さを考えると、映画が絶賛を得たからといって大半のスラム住人の生活は何も変わらないのが現実だが、スラムドッグ・ミリオネアが世間にここまで認知されるようになる前と比較すると、貧困の中を生きる子ども達に関する世間一般の関心や理解が深まり、彼らの今後の人生がより良い方向へ向かうきっかけになったことは確実だ。

スラムドッグ・ミリオネアは在印の私が知るリアルなインド

スラムドッグ・ミリオネアは社会派映画に匹敵するメッセージが込められているというだけでなく、娯楽映画としても今のインドを知る上でも一見の価値がある快作だ。私の眼に一番やきついているのは子役の愛くるしい演技だ。たくましく茶目っ気たっぷりに生きる姿には思わず微笑まされると同時に心を動かされた。スラム出身の子役ルビナもアザルディンも将来の夢は俳優になることだと聞いた。10年後、そんなニュースが聞けることを楽しみにしたい。

また私が同映画に特別な愛着があるのは、劇中描写される雑踏や混沌、その中からあふれ出る躍動感こそが私が過去3年ほどの生活で体感しているインドそのものだからである。停電や排水問題など面倒な事も多々起こるインド生活ではあるが、私はスラム住人でもなく、あらゆる施設やサービスを利用できる「外国人」としてここデリーで快適に暮らしている。しかし一歩外に出れば貧困を眼にしない日はない。汗、ほこり、尿、スパイス、はたまたそこら中に混在する物の臭いが漂う中、汚れた洋服を着て、物乞い、ゴミ拾い、物売りをしている子ども達や走り回ってふざけている子ども達を、スラムの近く、道路やマーケットなど各所で見かける。あちらこちらでは工事が行われ、男性だけでなく鮮やかな色のサリーをきた女性までもが焼けつくように暑い天気の中、砂ぼこりにまみれて建築現場で働いている。工事が終了しても、彼らの多くは自分たちが建設に携わったその施設に入ることも出来ないのであろう。

新聞に目を通すと、女性に対する暴力(新婦側が用意する嫁入り持参金関連の自殺、レイプ)、指定カーストや部族への不当な扱い、児童虐待など、何かしら心痛む記事の掲載がある。ボランティア活動を通じて出会った人々、その他、お店の小間使い、家のお手伝いさんや運転手さんなど、自分のインド生活を営んでいくうえで不可欠となってきた人々からも、劇中描写されていたような心が張り裂けそうな人生ドラマをきく。

「貧富」、「死と生」、「ゴミと花」など対照的なものが隣り合わせに存在するエネルギーあふれるインドを描いた「スラムドッグ・ミリオネイア」は、私にとって忘れられない「今をゆくリアルなインド」であると同時に不条理な現実を直視しその解決にむけて自分を奮起させる備忘録のようなものだ。同様に、この映画を通じて世界の眼が貧困問題に注がれたが、それが一過性のものでなく、人々の問題意識が今後も続くことで、社会から置き去りにされてきた子ども達の生活に意味ある変化と希望をもたらすことが出来ることを心から祈りたい。


 

*ヒンディー語で製作されるインドの娯楽映画のこと。その撮影の中心地がムンバイであることから、ムンバイ旧称ボンベイとアメリカのハリウッドをもじってボリウッド映画と呼ばれている。

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