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【ザンビアの子育て・生活事情】 第14回 娘達の日本文化体験

要旨:

家族5人に加えて近所の友達も一緒に帰国した機会は、親にとっても子どもにとっても貴重な経験となった。自動改札やエスカレーター等、日本では当たり前になったものも、ザンビアで生活してきた子ども達にとっては新鮮だった。築数十年の筆者の実家に滞在したことで、毎日の生活が日本文化体験となった。また、年末年始の時期に重なり、初詣や家族での新年のお祝い等、日本のお正月も経験できた。

Keywords: 自動改札, エスカレーター, 布団, 公園, 初詣, お年玉

2012年の年末から2013年の年始にかけて、家族5人に加えて、家族ぐるみで親しくしていた近所の友達(長女より1つ年上)と一緒に、6人で帰国しました。娘たちが、10才、9才、7才の時の帰国でした。当時私は、1年で契約を更新する事業に従事していて、年末年始が契約更新の時期と重なり、1か月の休みを取ることができたので、この機会を逃さずに帰国しようと思い立ったのでした。

6人での帰国

この時は、ルサカ⇔ドバイ⇔羽田の経路で往復しました。往路は、ドバイでの待ち時間が10時間以上あったのですが、航空会社から、ホテルの部屋に食事付きで無料滞在ができる特典を受けることができました。そのお陰で、ドバイでは、ホテルでゆっくりくつろげただけでなく、バスで街を一回りするツアーを楽しむことができました。バスツアーは夜間だったため、街の様子はあまりよくわからず、各場所での滞在時間も短かったものの、水族館やビーチ等、子ども達にとっては初めて訪れる所もあり、とても喜んでいました。ザンビアから日本までの移動時間は長くかかりましたが、日本滞在だけでなく、ドバイ観光もできて、これまでにない充実した移動となりました。これも、グループでの移動ならではと思います。というのは、私が1人で帰国した際にも同様の経路を利用しましたが、その時にもこのような特典はあったものの、ドバイでの長時間のトランジットは持て余してしまったからです。

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ドバイのバス観光ツアーで立ち寄った砂浜で(左から次女、長女、友達、三女)


ザンビアでは珍しい設備

長時間の移動を終えて無事に羽田空港に到着し、電車で実家へ向かいました。日本で普及している自動改札は、ザンビアにはありません。ザンビアには、鉄道はありますが、多くは貨物用に使用され、人の移動は専ら車に頼っています。子ども達は、この時、ほぼ初めて自動改札を使いましたが、切符をどこに入れるのか、どういうタイミングで通るのか、おっかなびっくり、という感じでした。それでも、それから毎日のように、電車を使って外出しているうちに、自動改札の使い方はほぼマスターし、子どもの適応能力に感心させられました。

日本では、電車の乗り換えや建物の中の移動でエスカレーターを使うことは日常的となっていますが、ザンビアでは、ルサカのショッピングモールの大改築が最近終わって、漸くエスカレーターが設置されたところで、それ以前は、エスカレーターを使う機会はほとんどありませんでした。子ども達は、乗り降りのタイミングをつかむのが難しかったようで、立ち往生してしまうこともあったため、最初は、私が一緒に付いて乗っていました。自動改札に比べると、少し時間がかかりましたが、それでも、1週間経った頃には、4人とも乗り降りが滞りなくできるようになっていました。しばらく経つと、急ぐ人のために片側に寄って通路を空けておく、というルールもしっかり習得していました。

日本式の生活

実家は、築数十年の古い木造の家屋で、私が幼い頃から長年過ごした所でしたが、ザンビアで生活するようになって、広い敷地にゆったりと建てられた家に慣れてしまったせいで、帰国して実家に戻ると、屋根が低く、1つ1つの部屋が小さくて、ミニチュアの建物のような感じさえして違和感をおぼえました。子ども達は、普段ベッドで寝ていたので、畳の上に敷いた布団で寝るのは、床に寝そべっているようで、初めは少し抵抗があったようです。でも、みんなで仲良く並んで、寝つくまでおしゃべりを楽しむ事もできて、布団で寝る良さにも気づいたようです。

最後まで、なかなかうまくいかなかったのが入浴でした。ザンビアでは、西洋式にバスタブに水をためて体を洗うため、1人ずつお湯を替えて入浴します。人数が多い家には、お風呂やトイレが2つ以上ある事も珍しくありません。(ザンビアの低所得者層の人達が住んでいる地域では、飲み水へのアクセスも難しい地区もあり、それを考えると私たちの暮らしは贅沢といえます。)それなので、日本式の、浴槽の外で体を洗い浴槽のお湯はみんなで共有して使うという方法には、なかなか慣れなかったようです。最初は1人ずつ入浴していましたが、各自30~40分、子どもだけでも2時間半前後はかかってしまいました。そこで、2人ずつ入らせるようにしたのですが、今度は、2人で遊んでしまって時間もかかるし、湯船の水が溢れて少なくなり、後に入る人のために水を足して沸かさなければならず、結局時間がかかって、うまくいきませんでした。

食事は、全く問題ないどころか、みんないつも以上にとても良く食べました。母の料理は、子どもが好むハンバーグや空揚げ等のメニューではなく、煮物や和え物等の昔ながらの普通の御惣菜でしたが、好き嫌いが多いはずの娘の友達は、「同じ野菜でも日本で食べるとおいしい。」と言って、食べられない物はほとんどありませんでした。特に気に入ったのが日本のお米で炊いたご飯だそうです。また、ふりかけが大好きで、家族のお土産にも持ち帰りましたが、お母さんとお兄さんも気に入って、すぐに使い切ってしまったそうです。(もっとも、ふりかけをかけたご飯は、ザンビアで手に入るお米で炊いたものですが。)

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クリスマスイブの夜にケーキを囲んで(左から右回りに:長女、次女、友達、三女)


公園

初めの2週間くらいは、友達と一緒の帰国で貴重な機会だから、と、子ども達が喜びそうな所を探して、電車を乗り継いで色々な所を回りました。少し経ってから、「日本の子ども達が日常的に遊ぶような所にも連れて行ってあげれば?」という私の母のアドバイスを受けて、実家から徒歩圏内にある、私も子どもの頃によく遊んだ公園にも行ってみることにしました。見慣れない外国人の子ども達が来て、いつも公園を利用している子ども達は、少しびっくりしたような感じもありましたが、一緒に遊びこそはしなかったものの、遊具の取り合いをする事などなく、同じ空間を共有して遊んでいました。

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実家の近所の公園で(左から:長女、次女、友達、三女)


お正月

滞在中にお正月を迎えたのですが、初詣の雰囲気は、子ども達にも実際に体験してもらいたいなあと思い、浅草寺に行くことにしました。それでも、日本に慣れていない子ども達を連れて、あのすごい人込みに入っていく勇気はなかったので、人込みの外から浅草寺を眺めて、その後に、少し離れた所まで行って、人があまりいない神社を見つけて、お参りをしました。子ども達は、浅草寺の人込みと数分歩いた所にある神社の閑散とした様子のギャップに、「こちらはすいているのに、何でみんなあっちに行くのかなあ。」と、不思議がっていました。

また、新年に、兄夫婦が準備をしてくれて、母ときょうだいが集まる機会をもつのが恒例となっているのですが、この時は、私達6人も招待してもらい、新年をお祝いしました。お年玉の習慣はザンビアにはないので、子ども達はサプライズでお年玉をいただいて、非常に喜んでいました。


この帰国当時、娘達は成長して、私が身の回りの世話をする必要はなくなっていたのと、近所の友達とは毎日のように遊んで慣れており、ご両親とも親しくしていたので、一緒に連れて日本に来ることに対しても、あまり心配はしていませんでした。ですが、やはり日本に慣れていない人達5人を連れての帰国は、自覚がなかったものの、引率役の私にとっては相当な負担がかかっていたようで、ザンビアに戻る頃に急性胃炎になり、回復するのに1週間くらいかかってしまいました。それでも、友達と一緒に1か月間日本に滞在した事は、子ども達にとっても、親にとっても、非常に貴重な思い出になりました。

筆者プロフィール
aya_kayebeta.jpgカエベタ 亜矢(写真右)

岡山県生まれ。1997年千葉大学医学部を卒業後、東京大学医学部小児科に入局(就職)、東京都青梅市立総合病院小児科勤務を経て、2000年にJICA技術協力プロジェクト(プライマリーヘルスケア)の専門家としてザンビアへ渡る。その後、ザンビア人と結婚し、3人の娘(現在、小4、小5、中1)を授かる。これまでザンビアで、小児科医として、HIV/AIDSに関する研究、結核予防会結核対策事業(コミュニティDOTS)、JICAプロジェクト(都市コミュニティ小児保健システム強化)等に携わってきた。一方、3人の子どもの母親として、日本から遠く離れたアフリカ大陸で、ギャップを感じつつも、新たな発見も多く、興味深い子育ての日々を送ってきた。
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