『心のカルテ』が静岡新聞に連載されたのが平成元年でしたから、今年でちょうど20年が経ったことになります。『心のカルテ』当時の私は、子どもの心には発達段階があり、階段を一段一段登るように精神的に発達していくのだと信じていました。そして赤ちゃんが個体としての自分に気づき、社会に出ていくために階段を上がる途中で何らかの障害があると、心に問題が生じ発達が止まったり未熟性が残るのだろうと考えていました。その障害の原因を社会の縮図である家庭内に仮定して、家族力学と家族療法で悪化原因を取り除くとともに、本人には箱庭療法で退行現象を起こさせて、発達段階で生じた問題から再出発して成長するよう支援すれば、子どもの心の問題は解決できると考えました。これは不登校児童という限られた問題については一つの有力な解決方法でありましたが、その後にもっと広い範囲で子どもの発達を考えるようになると、このような一元的な還元論では解決できない問題もたくさん有ることに気がつきました。
20年たった今私が考えている心の発達モデルは、例えば自閉的なつまずきのような心の発達に由来する問題は、脳神経のモジュール(或いはプロトスペシャリスト)が発達する中で生じていると考えるようになりました。そして多くのケースでは障害のあるモジュールの代償として、脳の他の神経回路が代わりに発達したり、障害をカバーできるシステムが発達するのですが、このような代償性の神経回路の発育や発達が起こらなかった場合、あるいは代償性の発育を促進する補填的な生育環境がなかった場合に、心の機能の未成熟さが残るのだと思うようになりました。この変化について述べてみようと思います。
20年前の私はいわば結果にしか目がいかなかった未熟な小児科医であったと反省しています。不登校という問題が生じた原因を、社会と個人の関係を凝縮した家庭環境に求め、子どもの心の病気であると考えたところまではまあ目をつぶったとしても、子どもの脳の中でどんな問題が生じているのかという、根本的な病因論には踏み込んでいませんでした。その背景には当時の私が公立病院の医師であり、教育委員会の先生方と共同で不登校児にどのようなアプローチが有効であるかを考えなければならない立場にあり、またマスコミを後ろ盾に「学校が悪い」との学校原因論を主張する学校バッシンググループと論争するために何らかの心理学的な理論武装をしておく必要があったためです。当時の私は未熟なままに大きな問題を解決しようと気持ちばかりが焦っていたように今思い起こしています。そのような反省の上で『子育ての脳科学』を書くことが必要だとの使命感を現在は感じるようになりました。
20年経た今、私は子どもの心の発達に新しい理論を持ち込むことが出来ると思えるようになりました。それはピアジェ的な感覚運動的段階に始まる構成論的な理論でもなく、エリックソンが社会的経験の蓄積から自我同一性を獲得するとした精神分析的な理論でもなく、チョムスキー派の主張する生得的なモジュールの塊としての融通の利かないかたくなな脳を持った子どもの発達理論でもない、小林登先生が「CRN設立理念」の中で、「育つ力」をもった子どもは親・家庭・学校のそして社会の「育てる力」との相互作用によって体を成長させ、心を発達させる、と述べておられるような、「子どもの持つ育つ力と養育者の持つ育てる力」によって発達してゆく柔軟で豊かな子どもの姿であります。次回からは子どもの心の発達段階についての私の考える新しい理論を展開しようと思っています。どうぞご期待ください。
(画像は本文とは関係がありません)