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29. 子育ての神経回路

要旨:

子育て行動は哺乳類および鳥類に一般的に見られる本能的な行動と考えられている。しかし、本能的な育児行動だけで現代人類の子育て行動を説明することは出来ない。今回著者は子育てのプロトスペシャリストを想定し、新しい考えを提案した。即ち、プロトスペシャリストの神経回路自体が学習して記憶を蓄積して成熟することで、高等動物の本能的な行動はより高度に洗練されて上品な行動へと高められてゆく。
前回プロトスペシャリストについて解説して、高等動物ではプロトスペシャリストは生得的に遺伝子で規定されただけの単一行動をとるのではなく、学習と記憶によって自分自身に与えられたプロトスペシャリストの神経回路をより高度で上品な行動を起こさせるように改変してゆくのだろうと推論しました。人類の子育てのように非常に複雑な問題を解決するためには、遺伝的に与えられた情報だけでは歯が立ちません。親たちは親になるまでの長い年月の成熟期間を通じて、親になるための学習と記憶を蓄積する必要があるのです。子育てが難しいのは、この学習と記憶の不十分さに根ざしていると思われます。現代社会では女性の社会進出と核家族化が進み、成熟途上の若者たちが子育てを学習する機会がどんどん無くなってきています。このような環境で新しく母親になった女性が、最初は赤ちゃんの抱き方さえもわからないで戸惑う姿に我々小児科医はしばしば遭遇して愕然とした思いに曝されます。清水嘉子らは母親たちの子育てモチベーションを高めるための集団学習を進める研究をしていますが(母親の育児幸福感を高めるための援助プログラムの開発:平成17年度~平成19年度科学研究費補助金研究)、確かに現代社会が置き去りにしてきた「子育て」のための母親教育は今後の社会を健全に運営する上での重要な課題と考えなければなりません。

私は以前から「子どもたちは自分が受けた子育てを記憶していて、親になったときにその記憶を基に子育て行動をとる」と考えてきました。これはいわば持論(あるいは思いこみ)のようなものでしたが、プロトスペシャリストの考え方を導入することでこの持論がでたらめな憶測ではないことを論説できるようになりました。子育て行動は哺乳類および鳥類に一般的に見られる本能的な行動と考えられています。求愛行動がそうであるように、高度な知能を持つにしたがって、同じ種内での競争の力学が働き、生殖、子育ての行動も生得的なステレオタイプの(全く同じでどこから切っても同じ顔の出る金太郎飴的な)全く同様の行動をとるのではなく、学習と記憶の蓄積で個体ごとに高度化して上品で効率的なものになるはずです。プロトスペシャリストの神経回路自体は生得的なものなのですが、そこに生まれた後の学習を通して蓄積された記憶は、神経回路の更新という生化学的あるいは神経生理学的な変化を脳内に残し、その記憶は生涯にわたって保持されうるものだと思われます。そして出産後の一定期間は母胎から胎盤を通過して流入した性ホルモンの影響が強く、子育てのプロトスペシャリストが刺激に反応し活動しやすくなっていることも想像できます。この時期に新生児は自分自身が受けた子育て行動を、自分自身のプロトスペシャリストの神経回路を修飾し更新・上書きするという物質的で神経生理学的に説明できる記憶として脳内に保持していると私は考えているのです。

私たちは人類であると同時に、哺乳類であり動物であります。「本能的」という言葉が使われるときに私たちは動物的で荒削りな行動を連想する風潮もありますが、本能的な行動を脳神経が生得的に持つプロトスペシャリストの神経回路として分析的に捉え、高等動物では生後の学習と記憶の蓄積でより高度で洗練された行動へと進歩的に改変されてゆくものであると理解すれば、本能というものがもっと身近でわかりやすいものであると感じられると思います。本能=煩悩のように、個人の理性的な生活を混乱させる悪しきものと考える必要は全くないわけで、ホモサピエンスの持つ遺伝的なプロトスペシャリストの神経回路を、より現代の人間社会に整合したものに改変するための学習と記憶の時間は十分に与えられていることを思い起こすことが大切だと思います。

子育てにおいても、本能的な育児行動だけで現代人類の子育て行動を説明することは出来ません。また逆に社会的に押しつけられた、女性を束縛する労役として説明しても、愛情に満ちた幸せな子育てを楽しんでいる多くの母親たちの満足な笑顔を説明することが出来ません。両方を説明できるのは、手前味噌ではありますが、ミンスキーの考え方を発展させて私が持論とした、プロトスペシャリストの神経回路自体が学習して記憶を蓄積して成熟することで、高等動物の本能的な行動はより高度に洗練されて上品な行動へと高められてゆくという新しい考え方だけです。

専門家の先生方からは「根拠が足りない」とお叱りを受けることを覚悟で、子育ての神経回路についてのプロトスペシャリストを想定した新しい考え方を提案してみました。今後の連載の中でも、脳神経回路を小さなモジュールの集まりとして、心を持たない神経細胞からどのようにして心が生まれてくるのかを、さらなるお叱りを頂くために書き続けてゆこうと決意しています。皆さまが新たな展開を楽しみながらこの連載を読み続けてくださることを期待しています。

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(画像は本文の内容とは関係がありません)
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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