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23. 科学と信仰〔1〕

要旨:

世の中には人工知能やロボットにも人間並みに心があると考える人もいれば、逆に神を信じることを科学的ではない間違った邪念、或いは悪いことと考えている人もいる。脳と心の関係を深く追求していくと必ず科学と信仰の問題と対峙しなければならない。著者は正面からこの問題を取り上げ、自身の人間性や信仰や科学について感じていることを書いた。二回に分けて著者の成育歴と宗教経験が紹介されているが、今回はその第一回で、主に著者のカトリック教と仏教の出会いについて話した。
前節「ロボットも笑うのか?」では、人工知能の権威者マーヴィン・ミンスキーがAI開発の視点から見た、子どもの笑いの重要性について解説しました。これからの連載の中でもミンスキーの理論はしばしば引用してゆくつもりでいますが、機械と人間の脳を同じレベルで論じることには抵抗を持つ人も多いとおもいます。内容がより深まる前に、私自身が人間性や信仰や科学について感じていることを書いておく必要があると考えています。この問題ばかりは『笑って済ませる』べき問題ではないのです。

世の中には人工知能やロボットにも人間並みに心があると考える人もいれば、逆に神を信じることを科学的ではない間違った邪念、或いは悪いことと考えている人もいるようです。私的にはこのような『科学至上主義』的な考え方は、神を信じないことは悪いことであると教えられた前世紀的な『信仰至上主義』思想と神学を軸としたスコラ哲学の裏返しであるように感じています。脳と心の関係を深く追求していくと必ずこの問題と対峙しなければなりません。多くの科学者はこの問題を避けるか、無視しようとする傾向が見られますが、私は敢えて正面から『科学と信仰』の問題を取り上げてみたいと思います。

科学と信仰に関する私の考え方を理解していただくために、私が育ってきた環境を少しだけ述懐しようと思います。私の父は中国仏教の伝道家でした。私が育った家には大きな祭壇が設営されていて、父は一日の多くの時間を祭壇での祈りに捧げていました。日曜日になると近所の信者の家族が子どもを連れて祭壇に集まり、餅やお菓子が配られていたことを記憶しています。私自身はまだ神様の話をされても本当のところ理解できない年齢でしたが、5歳か6歳の頃には日本の総本山で得道を授けられたことを記憶しています。

私の両親は日本と中国の違った環境で育った二人でしたが、残念なことに不仲な夫婦でした。努めて見ないよう、立ち会わないように逃げて避けてはいましたが、幼い私の住む小さな我が家で繰り広げられた夫婦喧嘩の記憶は今でもPTSD(トラウマ)として、私の心に大きな暗い影を落としています。狂った野獣のように叫び、父に向かって罵声を浴びせかける母の姿を思い出すことは、4児の父となった今なお、私にとってこれ以上ない苦しみの一つであります。仏教に深い信仰を持つ父親がなぜ自分の家族の中にある大きな困難と苦しみを取り除くことができないのか?そんな素朴な疑問は幼い私の小さな脳味噌では処理しきれない難しい問題でもありました。

小学校時代の私は人に愛されたい一心で、学校の先生に好かれること=読書に励むようになりました。私は時間さえあれば木造の校舎の一番端にあった図書室に足を運び、友達と缶けりやドッジボールをするよりも本に囲まれて過ごす時間が多い、青白い顔をした子どもでした。私が外に出ることを好むようになったのは、誰にいつもらったプレゼントかは忘れてしまいましたが、ペン型の小型の顕微鏡を覗いた日からでした。目の前に広がる未知の世界はたちまち私を魅了して、童話作家を目指していた文学少年は将来は科学者になろうと決意をひるがえしました。小学校の高学年は毎日が観察と発見の日々で、男友達が集まって強さを競う野原の戦争ごっこでは、次々と新しい兵器を開発し、奇抜な作戦で敵を翻弄しては遊び仲間たちから天才発明家と恐れられていました。

そんな私の人生を変える大きな出来事は、小学校の担任の先生の強い勧めで都会の私立中学校に進学したことです。今でこそ「お受験」と呼ばれて一般化している有名中学校への入学進路ですが、当時はまだ今ほどは一般的でなく、私にとっては初めて受ける小学校以外での試験でした。何も知らずに都会の学校に進んだ私でしたが、そこで運命とも言えるカトリックの教えに出会ったのです。「あなたの敵を愛し、あなたの憎む人のために祈りなさい」、「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」、「上着を盗む人にはマントまで与えなさい」、「神と共にいるあなたは幸せなのだから、それ以上何も望む必要はない」、奪い合うことと憎しみあうことの中で育てられ、人を愛すると言うことを親から教えられなかった私の心に、清貧を愛する聖サレジオとキリスト教の愛の教えは、まるで乾いた大地に降る慈雨のごとく染み込んでいきました。私はあの両親から生まれたのではなく神から生まれたのだ、そう思うことは13歳の私には無上の福音であり、私は聖書を貪るように読み、一度は神学の徒になろうかと思ったほどの感化を受けました。6歳の時に自分の意志では無いとはいえ、一度は中国仏教の得道を受けたことが、異教徒としてのコンプレックスを味わわせましたが、20歳になったら自分の意志で改宗しようと、当時の私はそう思うほど強くカトリックの教えに帰依していたのです。

ですから、今でも私はキリスト教の教えに深く感謝の念を持ち続けていますし、信仰を持つ人に対して大きな敬意を払っています。そして最近になってまた勉強し直した仏教のすばらしい世界観にも大いなる興味をもっています。

世界中の子どもたちの中には、両親の豊かな愛情に包まれて生まれ、そして育てられている子どもばかりがいる訳ではありません。そのような愛情に飢えた子どもたちにとって、両親以上に自分を愛してくれている存在を信じることは場合によっては大きな救いとなりうるのです。この意味で、いくら科学が進歩しようとも信仰を持つ人を軽蔑したり侮辱することは良いことではないと考えています。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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