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18. 脳が笑いの表情を作る

要旨:

脳がどのように人に笑いの表情を作るのか、その神経メカニズムをまとめた。主に志水彰の著作「笑い/その異常と正常」、「人はなぜ笑うのか」の中の知見を参照しながら、顔面の表情筋の動きと自律神経系の変化が異なる感情表現を作ることを説明する。笑いには自分の意志でコントロールできる随意的な部分と、自分の意志では制御できない不随意的で反射的な部分があり、そのいずれもが脳神経の強い興奮によって引き起こされている現象である。
笑いについて、人が笑うときに脳の中ではどんな状況になっているかを数回にわたって解明してきました。ここまでの連載をお読みになった読者の方は、「脳が笑いの表情を作る」という事実にさほど違和感を持たないところまで、脳神経科学を理解できてきていると期待しています。この辺りで一度、脳がどのように人に笑いの表情を作るのか、その神経メカニズムをまとめておきましょう。

笑いが視床下部の乳頭体付近の強い興奮で起きることを、視床下部過誤腫という病気にみられる笑い発作の例と、脳外科手術中に第3脳室の底部分の出血を拭くたびに、患者が突然大笑いを始めた事例から「笑い発作の起こる病気」の中で説明しました。次に、笑いの表情を作るのは顔面神経の働きで、大脳基底核の腹側部にある側坐核からの入力が、顔面神経核に強い信号を送ることにより、ヒトの顔には喜怒哀楽の感情表現が強く表現されることを、「うまく笑顔の作れない病気」の中で説明しました。側坐核は、何か良いことを期待するときに興奮しやすい場所で、麻薬などの薬物依存にも強く関わっている場所ですので、何か良いことを期待したときに思わずニャっと顔面が緩んでしまう現象や、麻薬まではいかなくても、アルコールが入ったときに笑い上戸といって、たいしておかしくもないことでケラケラ笑い転げてしまう現象は、この側坐核の興奮が強まったり、あるいは大脳皮質から側坐核への抑制が少なくなったときに笑いが出現することをうかがわせます。恐らく笑いは脳の側坐核付近から発しているのです。

人の笑いについての科学的根拠に準じた包括的な記載は『笑い/その異常と正常』(志水彰著 勁草書房刊 2000年)に集約されています。先行して出版された『人はなぜ笑うのか』(講談社ブルーバックス刊 1994年)には笑いに関するさまざまな知見が集められています。志水先生のこれらのご著書を参照しながら、脳が笑いを創る神経メカニズムを解明する事にいたしましょう。

志水先生は人の笑いを、快の笑い、社交上の笑い、緊張緩和の笑いの3種類に分類して、それぞれの笑いについて顔面の表情筋の動きを解説しおられます。(下の図表参照)


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志水先生たちが開発した顔面表情筋の実験方法は、顔面の筋肉に細いステンレス電極を装着することで、その微細な動きを記録するという方法です。彼らは顔面の筋肉の動きを記録する筋電図に工夫を凝らし、直径70から80ミクロンのごく細いステンレスの電極を毛穴から差し込んで笑いに伴う顔面の筋肉の動きを精密に記録しました。その結果、笑いに特有の顔面の筋肉の動きがあること、笑いのごく初期の筋電図パターンは驚きの筋電図パターンとよく似ていること、また激しく笑ったときと激しく驚いたときの表情筋の動きも同じであることを記載しておられます。さらに筋電図と同時に呼吸、指先の脈波、皮膚の電気抵抗などの自律神経の変化を客観的に記録する方法を開発したことも大きな業績です。笑いが脳神経から出て、顔面の表情筋の動きとして現れるまでを客観的に解明することに成功したのです。

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笑いで最も強く収縮する顔面の筋肉は大頬骨筋(だいきょうこつきん)という、頬骨と口の両脇をつなぐ筋肉で、笑うときに口の両端を耳の方向に引き上げます。角辻らは大頬骨筋はおっぱいを飲むときに、乳首に吸い付くだけではなく、乳汁を吸い取って初めて美味しさを味わい快楽を得られることから、この筋肉と快の笑いとの密接な関係を示唆していますが、小児科医の意見としては、母乳は必ずしも吸い取る必要が無く、乳児が開けた口の中に乳房の方から流れ込んでくることと、新生児微笑が早産の超未熟児に胃に入れたチューブから母乳を注入するときにも観察されることから、むしろ新生児微笑そのものが生まれる前から存在する生得的(遺伝的に記憶されている)神経反射だと考えたいものです。大頬骨筋の筋電図が100マイクロボルト以上を示す収縮が連続して1秒以上出現すると客観的に笑いと判定できると記載されています。

大頬骨筋に次いで、笑いで強く収縮する顔面の筋肉は、目の周囲を一周している眼輪筋で、その筋肉は2層に分かれ、内側の眼輪筋には本来は目を強く閉じる働きがありますが、笑いで収縮するのは外側の方の眼輪筋で、目を細くして目じりにしわを作る動きを作ります。この2つの筋肉の収縮運動で、(1)頬と口の両端が持ち上がる、(2)目の下が膨らんで目が細くなり、目じりにしわが寄る、という笑顔の筋肉運動が出来上がるのです。そしてこの笑顔は目尻にいわゆるカラスの足あとと呼ばれるしわを作り、これが「眼が笑っている」という自然な笑いに見られる柔和な表情の主なものとなります。この眼輪筋の収縮は「快の笑い」の際に強く、「緊張緩和の笑い」がこれに次ぎ、「社交上の笑い」では著しくない、と志水先生は述べています。

皺眉筋(しゅうびきん)は、頭蓋骨の鼻のつけ根の部分から起こり、両側へやや上向きに走り、眉の上の額の部分の皮膚に付着しています。この筋肉が収縮すると眉を内側に引き寄せ、いわゆる「眉間にしわを寄せる」と呼ばれるタテじわを作ります。この筋肉の活動が主役となる表情は苦悩の表情で、ネガティブ(陰鬱)な感情で悩んでいる印象を相手に与えます。注意集中の際にもこの筋肉が活動する人もあり、また恍惚の表情にもこの筋肉が参加することがあります。単純な「快の笑い」の際にはこの筋肉は活勤しないが、「苦笑い」では強く働くと志水先生は上記の著書に書いています。

口輪筋は口の周りを一周している筋肉で、口をすぼめて前に突き出す動きをします。いわゆる「鼻の下がのびる」という状況やチューをするときの口の形を作ります。大頬骨筋によって引き上げられた口角に丸みを与えて、笑いの表情にさまざまなニュアンスを与えています。

笑うときには顔面の表情筋以外に、自律神経系の変化も起こります。笑い全般で副交感系神経の働きが活発になり、顔面の血管が拡張して顔が赤くなり、涙が流れたりします。気道に分布する副交感神経は平滑筋を収縮させるので、息苦しくなりヒイヒイと高い声調に変化します。唾液の分泌、胃腸の働き、排尿なども副交感神経の興奮で誘発されるので、激しく笑うとよだれをこぼし、お腹がよじれた感じがして、さらには失禁をすることがあります。血圧や心拍の変化は、笑いはじめには少し血圧が上がり心拍数が増加した、軽い交感神経優位の状況にあるが、そのあと笑いが続くに従って副交感神経優位になり、血圧も心拍数も低下する傾向にあります。呼吸数も同じ傾向で、笑いはじめは増加して「アッハッハ・エッヘッヘ」と普段より高い声調の声になって笑い声が発声され、笑いが継続するにしたがい、フフフ...と副交感神経優位の落ち着いた笑い声に変わってきます。

注目すべきことは、彼らがこの客観的な笑いの測定方法を用いて、うつ病や統合失調症などの精神疾患患者では著しく笑いが減少していることを実証したことです。今回は志水先生のご著書を参考に使わせていただき、顔面の表情筋の動きと自律神経系の変化が、いろいろな種類の笑いで異なる感情表現を作ることを解明しましたが、これまで私が述べてきた笑顔が起こる脳神経的なメカニズムを裏付けて、笑いが脳から発声していることが理解できたでしょうか。笑いには自分の意志でコントロールできる随意的な部分と、思わず吹き出してしまうように、自分の意志では制御できない不随意的で反射的な部分があること、そしてそのいずれもが脳神経の強い興奮によって引き起こされている現象であることを今節でご理解いただけたらと思います。志水と角辻らの笑いの研究は多くの重要な事柄を含んでいるので、今後の記事で再度詳しく取り上げたいと考えています。

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筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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