笑わない子どもたちが増加していることは、実は20世紀の終わり頃から日本国内でも指摘され、『サイレントベビー』として警告されてきていました。サイレントという言葉は私には聖歌『きよしこの夜』の冒頭部、silent night holy nightという歌詞を想起されて、いい意味を思い浮かべてしまいますので、個人的にはそれ以前にアメリカで使われていた、depressing baby(鬱々とした赤ちゃん、あるいは、ふさいだ気分の赤ちゃん)という単語の方が的確に状況を表しているような感じを持っています。サイレントベビーについては柳澤慧(やなぎさわさとし)先生が同名のご著書を出版されており、小林登先生が次のような言葉を贈っていらっしゃいます。(『サイレント・ベビー』 クレスト社)
人は「心と体」を持って、この世に誕生します。......(中略)この二つが、互いに深く関係し合って、子どもは成長していきます。感情を言葉で伝えることのできない赤ちゃんの心を察するのは、ときとしてむずかしいものです。......(中略)サイレントベビーの増加は、その一端を物語っているのではないでしょうか。(一部を編集)
柳澤博士は、表情が乏しく一見静かに見える赤ちゃんをサイレントベビーと名付け、その特徴を次のように記述しています。
赤ちゃんは、泣いたり、笑ったり、グズついたり、喃語を発したりという行動で、自分の気持ちを表している。......(中略)つまり、赤ちゃんは泣いて母親の注意を引き、世話をしてもらい、笑って母親の自分への愛情を深めさせている。赤ちゃんは周りの大人(たいていは母親)の養育行動を刺激し、誘発させる能力を生まれながらにして備えているのである。......(中略)赤ちゃんが泣かない、笑わないのは、自分の気持ちを表そうとしていない、周りの大人とのコミュニケーションをとろうとしていない、つまり「言葉」を失っていることを意味している。(一部を編集)
柳澤博士はこの後に続いて子どもが一見静かで大人しく見えることは危険な兆候であり得ることを強調して、青少年の凶悪犯罪との関連性に言及しておられますが、そのことが逆に特殊な例だと一般の方には他人事のように感じさせる結果となり、後から来た他動児の増加の波にサイレントベビーという言葉すらかき消されてしまった感があります。しかし柳澤博士が同書で指摘している通り、笑いを失った子どもたちが、我が国でも増減の波こそあるものの、確実にその全体数を増やしてきている印象には私も同感いたしております。
サイレントベビーについては、堀内勁(ほりうちたけし)先生も「サイレントベイビーからの警告」(徳間書店刊)という本を書いておられます。その中で堀内教授は、「アメリカ式強制自立育児法がサイレントベビーの元凶」と新生児医療の専門家らしい達見に満ちたご意見を提示しておられます。アメリカ式強制自立育児法とはどんなものかを簡単に紹介すると、赤ちゃんが泣いてもむずかっても、簡単に抱き上げたりしない。放置しておく。そうした育児法によって、人間的な自立の芽を育てるというのです。堀内教授は、こうした育児法により、間違いなく「一見聞き分けのよい赤ちゃん」が育つ一方で、お母さんと赤ちゃんが肌と肌とを接し密着して生活するという、人間という動物の本来的な特性が歪められ、その歪みが次の世代へと伝えられてゆく危険性を次の文章で指摘しておられます。
子育ては世代間伝達だから、早く何とかしないと......(中略)一般には、愛情深い育てられ方をした人は、わが子にも愛情深い育て方をすることが多いからです。逆に愛情薄い育てられ方をした人は、わが子も愛情薄い育て方をすることが多いのです。この意味では子育てとは、世代間の伝達によって親から子、子から孫へと伝えられる文化なのです。
子育てが世代間伝達する文化であることは、私も「普段着の小児科医」連載の一番始めに強調しました。そのことが脳内の神経伝達物質的にはどんなメカニズムで起こっておるのだろうか、そんなことまで推察(スピキュレーション)を交えながら書いてゆくのが、今後の「子育ての脳科学」の一つのテーマでもあります。サイレントベビーについても引き続き注目が必要で、その乳幼児にうつ状態が発生する脳内メカニズムについても、小児科医の視点から推察していこうと考えています。

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