『心のカルテ』の連載はいかがでしたか?※この文章が最初に書かれたのは今から約20年前の1989年ですので、内容的に古い部分や、理解し辛い記述も有ったかと思います。『心のカルテ』を改めて読んでみると、20年前は自分自身まだ父親としても小児科医としても駆け出しで、若さに任せたエネルギッシュな文章の彼方此方に、受け売りだらけで両足が地に着いていない未熟な部分を発見して、文字通りヒヨッ子状態だった自分自身を懐かしくも、また少し恥ずかしくも感じます。人は一生成長するものだから、まだまだ勉強しようと自分を改めて戒めることにしました。
『心のカルテ』の連載の最初に不登校児童数と日経平均株価のグラフを掲示しましたが、私たちが藤枝市で不登校児童の公的な復学プログラムを始めた1989年は日本経済の転換期で、いわゆるバブル経済の絶頂期でした。バブル崩壊の後に続いた、いわゆる『失われた10年間』では日本中で不登校児童数が3倍以上に増加し、『今すぐ手を打たなければ大変なことになる』といった私たちの危機感が現実になった時期でもありました。『心のカルテ』で私が書いた内容の意義は「不登校の原因は児童本人にあり、学習への意欲の欠如と学力の低下が基本となって学校に来るのが嫌になってしまう、家族の問題意識が薄いことが増悪原因なので、児童と父兄への指導を徹底して速やかに再登校を促すのが一番の解決方法だ」と考えていた、当時の一般的な『不登校は個人の問題』的な風潮の中で、『不登校を社会的な問題』と捉えて、問題を解決するためには社会全体での組織的な取り組みが早急に必要だと述べた点に有ったと思います。保健室登校からの段階的な再登校指導を最良の解決方法と考えていた学校サイドと、学校・教員側の対応の問題点を非難して「学校が悪いのだから学校に行かない生き方のすばらしさを認めるべきだ」と極端な社会悪論を展開するる学校バッシング組織の板挟みで、児童本人は学校に戻るチャンスを逃して、友達の数が減り、勉強にも遅れが目立ち、結果的にますます再登校の機会を逃し続けていました。「本当は学校に行きたいんだけれど行けないんだ」と嘆いている学童本人の側に立ち、相互批判の悪循環を断ち切って、現実的で具体的な問題解決の必要性を訴えた点に、私たちの活動の意義があったと思います。また『心のカルテ』の中で私が強く訴えた少子化対策の必要性が20年も経った今になって日本の社会を根底から揺るがす問題になりつつあるのも、後手後手の政策対処の遅れを示しているようにも思われました。
『心のカルテ』執筆からの20年間、私は小児科医として子どもの身体の病気を治す仕事をしてきました。特に子どものアレルギーを専門的に診療して、その中でもアトピー性皮膚炎の発病原因の研究と治療を続けてきました。私の専門が小児神経学でなかったことが、今後の連載では逆に役に立つと思います。私が専門に診てきたのは、アレルギーとアトピー性皮膚炎の第1次ブロックという仕事で、神経学的には異常のない乳児を、生後3ヶ月ぐらいから1歳半ぐらいまで月に2回程度継続して、約20年間観察し続ける素晴らしい機会に恵まれました。その中で私が最近感じ始めたことは、『多動児が増えたな...』という印象です。神経の専門家でないのでLD(学習障害)とかADHD(注意欠陥多動障害)の診断名は敢えて避けて多動児と書きましたが、この印象は『このままでは不登校が社会を壊す』と危機感を持った1989年の感覚に酷似しています。もしも食い止める方法が有るのなら、今すぐ何かをしなければいけない、そう叫ぶ内なる声に動かされて、恥ずかしながら再びペンを取ることにしました。脳科学から考えた子育てのあるべき姿を提示することで、現在の大きな社会問題である自殺者の増加傾向に歯止めを掛けることが出来るようになれば素晴らしい事だと、大きな期待と目標を持って研究を続けています。
新しい連載の目的は、子育てに興味を持つ全ての人が、義務教育を終了した程度の一般教養で楽しく最後まで読める『子育ての脳科学』を書くことです。『心のカルテ』を執筆したときにも感じたことですが、問題を持つ子どもの養育者の教養レベルは皆が大学生並とは限りません。専門でない人が何に悩むかにポイントを当てて、子どもの心の問題を避けるためには、どのように考えて行動するべきかを、専門家でない養育者が理解する方法の一つとして、『子育ての脳科学』を取り上げるつもりです。普段着の小児科医が一般の教養レベルに合わせた子育てに役立つ脳科学として書き綴ってゆきますので、気楽にお読み頂ければ幸いに思います。

※CRNサイトでの『心のカルテ』の掲載は終了しております。