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思いやりを育む共感教育

要旨:

赤ちゃんのオフィーリアの共感教育授業への訪問で、感情を認識し表現すること、そして肯定的に反応することを子どもたちが赤ちゃんからどのようにして学んでいくかを見学した。子どもたちは一人ひとり性格が違っていることを学ぶ。また、赤ちゃんの成長や、母親と赤ちゃんの愛情あふれる関係を見る。メアリー・ゴードンは、感情を表現する能力を教え、家族や学校、職場、国際関係における紛争を解決するために不可欠な人を思いやることの意識を高めるため、1996年にこのプログラムを創始した。カリキュラムは著作権が付された本に詳しく記され、生徒の成長に応じて4段階に分けられている。有資格のインストラクター、親と赤ちゃんが一学期間参加して行われる。複数の研究によると、共感教育は、人の感情を理解すること、自分も社会の一員であることを理解できるように教えるにあたって効果的であり、また特に虐待やいじめを防ぐために力を発揮する。

English

トロントのウォーターフロント・スクールでは、3年生の子どもたちが担任のステイシー先生と輪になって座り、ゲストの先生を待っている。オフィーリア先生が到着した。お母さんが肩からかけた抱っこ紐に納まってぐっすり眠っている。小さな先生は生後9か月。この学校を訪れるのはもう何度目かになる。自分の気持を認識して表現したり、一人ひとりの性格の違いを理解したりする術や、成長の過程、母親のカリンと愛情あふれる関係を築いている様子などを、子どもたちに教えにやって来るのだ。Roots of Empathy (以下「共感教育」)プログラムのインストラクター、カトリーナ・ヒューズさんが傍らにいて、話し合いを進めていく。

 

「こんにちは、オフィーリア。気分はどう?」子どもたちが歓迎の歌を歌うと、オフィーリアはゆっくりと目を覚ました。オフィーリアは口をへの字に曲げかけたが、お母さんに優しくゆすられて、子どもたちを見まわした。

「今オフィーリアはどんな気持ちだと思う?」ヒューズさんが子どもたちに尋ねた。一人の男の子が元気よく手を挙げた。「怖がっているよ。」

 


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ヒューズさんは頷いた。「もしあなたたちが、眠りに落ちた時はベッドの上だったのに、目が覚めたら別の場所にいたら、どう思うかな。びっくりして怖くなっちゃう人は?」

全員が手を挙げた。

「オフィーリアは驚いて怖がっていることをどうやって私たちに伝えた?」

さきほどのはりきり少年がもう一度手を挙げた。「顔を見ればわかるよ。嬉しそうに見えないもん。」

他の子どもたちからも次々と意見が出た。「手の動きかな」「下を見ているから」「固まっているから。もし泣いても悪い子じゃないよ。」

ヒューズさんは最後の発言を取り上げた。「そのとおりね。泣いたからって悪い子だというわけじゃないことを教えてくれてありがとう。泣くのはどんなことを感じているかを伝える一つの方法よ。私たちみたいに言葉を使うことはできないからよね。何を望んでいるか私たちが察してあげなければならないの。よく知らないところに行ったら、恥ずかしくなったり怖くなったりする人は?」

何人かが手を振る。

「興味が湧いて新しいことを試してみたくなる人?」

違う子たちの手が挙がった。

ヒューズさんは、私たちは皆性格が違っていることを話した。新しい状況に気後れしてしまう人もいれば、積極的に行動する人もいる。もしオフィーリアが目を覚まして知っている顔を見つけるのに時間を要するならば、それがこの子の性格なのだと。

母親のカリンがもう大丈夫だと判断すると、おなじみの緑の毛布の上にオフィーリアをそっと置いた。ヒューズさんが色とりどりのボールを毛布の上に並べる間、赤ちゃんはじっと座っていた。子どもたちは、赤ちゃんがどんな反応を示すか見守っていた。オフィーリアはすぐに赤いボールに手を伸ばし、口元に持っていった。

 


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「新しい歯が生えたんじゃないかな。」ある男の子が言った。「僕の弟も、新しい歯が生えてきて何でも口に運ぶよ。」

「良く観察しているわね。」ヒューズさんはほめた。オフィーリアは歯が生える頃で、歯茎から歯が出てくるときは痛いのだと説明した。

男の子が「一緒に遊んでもいい?」と聞いた。その子は別のボールをオフィーリアのところへ転がした。オフィーリアはそのボールを手に取って、下に落とした。このゲームがしばらく続いた。男の子が仲良くしようとしているのが嬉しいらしく、オフィーリアはにっこり笑った。

 

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ヒューズさんは、3週間前初めて訪れたときから、オフィーリアの成長にどんな変化があったと思うか子どもたちに問いかけた。生徒たちはオフィーリアがまだお母さんの母乳を飲んでいるか、どんな声を出すのか、もう歩いているのか等を知りたがった。ヒューズさんはオフィーリアの体に手を添えて立ち上がらせた。赤ちゃんが上下に体を揺らす姿に、子どもたちの間で笑いが広がった。ヒューズさんは、今わたしたちが笑っているのはオフィーリアといっしょに喜んでいるからだけど、場合によっては誰かを笑うとその人の気持ちを傷つけることもあるのよと話した。

子どもたちは週に一度ヒューズさんの訪問を受け、私たちがどのように自分の気持ちを表す言葉を見つけて周りに伝え、他人の中にも同じような感情があることに気付くか、私たちの性格は一人ひとりいかに違っているか、などを話し合うことを楽しみにしている。オフィーリアを「私たちの赤ちゃん」と呼び、その成長を喜んでいる。親の愛に恵まれない家庭の子も、オフィーリアと母親のカリンの緊密な結びつきを見、いつか親になったときに手本とすることができるだろう。学校の通常のカリキュラムは学科の成績向上に力を入れており、感情の理解や周りの人との関係構築にはほとんど時間が割かれない。人間の感情は普遍的なものであり、共感は、家庭、学校、職場でのいざこざや、ひいては国家間の紛争を解決するために不可欠な能力だ。私たちは市民として、個々人の違いを超えて、人間が持つ共通の性質に気づく必要がある。これに応えるのが共感教育プログラムだ。他のスキルと同様、共感は実践によって強化される。ウォーターフロント・スクールで教える他の先生も、美術、文学、作文、算数、音楽の授業で共感教育の理念を取り入れている。

 

共感教育の歴史

 

共感教育の創設者メアリー・ゴードンは、カナダ勲章の受勲者であり、作家、社会企業家でもある。共感教育プログラムは、共感を育み社会的能力を伸ばす一方、いじめ等の子ども間の攻撃や暴力を軽減することにおいて劇的な効果を上げている。ゴードンは、このプログラムを構築した動機を、著書Roots of Empathy, Changing the World Child by Child の中で語っている。ゴードンはカナダのニューファンドランド州の幸せな家庭に育った。幼稚園教師になったゴードンは、どの子が楽しく過ごしているか、どの子が幼稚園生活になかなかなじめていないか、どの子が怒りに満ちて登園してくるのかが初日からわかった。親は最も重要な先生である。ゴードンは、一人一人の子どもと親との関係を観察した。1981年、学校に本拠を置く育児・家族のための識字教育の最初かつ最大のプログラムを作り、世界的な注目を集めた。

ある時、生徒の一人、女の赤ちゃんを持つ10代の少女が、母親と同じライフサイクルを辿っていることに気付いたことが、ゴードンにとって転機となった。この少女は一緒に暮らす恋人の少年から虐待を受けていた。ゴードンは、赤ちゃんも成長したらまた家族のパターンを踏襲し、虐待を受ける関係に嵌るだろうと感じた。幼い子ども一人ひとりがしっかりとした自己肯定観を持ち、いたわり合う関係をつくるためのプログラムが必要だった。「私たちは生まれながらに共感能力を持っている。」とゴードンは記す。赤ちゃんはまだ感情を隠すことを習得していないため、感じていることが誰にでもすぐにわかる。赤ちゃんはもともと人を愛する性質を持って生まれ、まわりの人間の働きかけに応える。こうした無邪気な赤ちゃんを観察することから、共感教育は始まる。子どもは、自分の感情やその感情の自分への影響を意識すればするほど、まわりの人々の感情の状態に気づくことができるようになり、様々な感情がもたらす影響に気付く。1996年、メイツリー財団は2つの幼稚園で開かれた共感教育の先行プログラムに資金を提供した。

「共感教育は非営利組織であり、子どもと大人の共感の心を育み、思いやりに満ちた、平和的で互いを尊重し合う社会を構築するために設立された。」(Roots of Empathy ホームページより)

「共感教育」("Roots of Empathy")は登録商標である。(www.rootsofempathy.org; mail@rootsofempathy.org)

昨年、トロントの128の学校で173の共感教育プログラムが、カナダ全土では2000ものプログラムが実施された。オーストラリアやニュージーランドでも教えられていて、2007年秋からはアメリカでも始まった。

定義:ゴードンは次のように記している。「共感は、他者の感情や視点に感情移入する能力と定義されることが多いが、私は他者の感情や視点に適切に応えることを加えたい。」

 

プログラムの構成

 

●地域のキーパーソンは、通常、地元の教育委員会や保健所、コミュニティ機関によって任命される。インストラクターは、ボランティアの場合もあれば、その年の活動状況に応じて謝礼金をもらう場合もある。母親と赤ちゃんはボランティアである。

●カリキュラムの9つのテーマは、生徒の成長の段階に合わせて幼稚園、小学校低学年相当(1-3年)、小学校中学年相当(4-6年)、中学校相当(7-8年)4つのレベルに分けられている※。全部で27課あり、著作権で保護された639ページからなるカリキュラムの中に明記されている。カリキュラムとインストラクターのマニュアルは英語とフランス語で入手が可能である。1セッションは約30分間。トロントでは1学年は10月に始まり6月に終わる。
(※訳注 カナダの学校制度は州や地域によって異なり、6-3-3、8-4等複数ある。)

●資格を持ったインストラクターがカリキュラムに盛り込まれたテーマ毎にガイドラインに沿って指導する。一つのテーマについて、赤ちゃんの訪問前、訪問時、訪問後の3回の授業がある。例えば、テーマ8では「私は誰?」という問いについて話し合う。

●生徒は、自分の文化的、言語的背景や伝統を探求する。人間は様々な面で同じであるが、同時に、性格や家庭の習慣、伝統の違いにより、多くの点で異なることを学ぶ。赤ちゃんが固形の食べ物を与えられる様子を観察し、息を吸うのと食べ物を飲み込むのをうまく調整できるようになることに子どもたちは気付く。赤ちゃんは、食べ物をいじったり試してみたりしながら、自分で食べられるようになる。赤ちゃんが食べ物をこぼすのは母親を困らせようとしてではない。食べると自然に散らかるものなのだ。食事の時間が楽しければ赤ちゃんは健やかに育つ。子どもたちは、赤ちゃんが大きくなりエネルギーを得るためにどんな食べ物を必要とするのか学び、大人になるため、元気で健康でいるためにどんな食べ物を体が必要とするのかについて話し合う。摂食障害は早いと4年生位から始まる。食物を「太る原因」と考える子どもはとても多い。食物に対する考え方は幼児の時に芽生え、その後の人生にも影響を及ぼす。生徒たちは自分の好き嫌いや家庭の習慣について話し合い、赤ちゃんや自分自身への期待について考える。自分がチェンジメーカーになれることを学ぶ。

●赤ちゃんは学期の最初は生後2~4か月で、終了時はおよそ1歳になる。

●生徒たちは感情を表現する能力を習得する。赤ちゃんが発する感情の信号を観察、解釈しながら、自分が感じたことを言葉で言い表すことができるようになる。問題を解決する。たとえば、泣いている赤ちゃんをなだめる効果的な方法を見つける。生徒たちは、自己表現としての美術、音楽、文学、作文を通して自らの体験を省みる。どの子も自分の感情を確認する。行動したこと、行動に移さなかったことの責任をとるようになり、社会的責任も学ぶ。揺さぶられっこ症候群や胎児性アルコール・スペクトラム障害(FASD)、受動喫煙の悪影響についてなどの、安全に関わる重要な問題を学ぶ。

 

成功の実例

 

ゴードンの著書には、子どもたちが共感や社会的責任を学んだ実例が綴られている。その中から2つ紹介しよう。ダレンは8年生だが他の生徒より2歳年上になる。4歳の時目の前で母親が殺され、その後は養家を転々としてきた。強く見せたいとの思いから、スキンヘッドにし、刺青を入れ、周りを睨みつけるような表情をしていた。共感教育のある回で、母親は6か月のエバンを抱っこひもに入れて連れてきた。母親は、エバンに自分の方を向いてぴったり抱かれていてほしいのに、外の方を向きたがると語った。授業の後母親が、抱っこひもをつけてみたい子はいないか聞くと、ダレンが名乗りをあげた。母親がダレンに抱っこひもをつけてあげると、ダレンは赤ちゃんを抱いていいかと聞いた。母親は不安だったに違いないが、エバンをダレンの方に向かせて抱っこひもに入れた。細やかな心を持ったエバンがダレンの方に顔を近づけると、ダレンは隅の方に赤ちゃんを連れていきやさしく体を揺すった。赤ちゃんを返すとき、ダレンは、「誰にも愛されたことがなくても、いいお父さんになれると思う?」と聞いた。赤ちゃんのダレンに対する無邪気な親愛の情が伝わって、愛された思い出がほとんどない少年に一粒の種が植えられた瞬間だった。(Gordon, pg.5,6)

9歳のシルビーはマジックテープのついたスニーカーを履いていた。子どもたちはシルビーが安っぽくて流行遅れの「赤ちゃんの靴」を履いていると言っていじめた。こんな風にからかわれると、たいていの子どもたちの心は壊れてしまう。友達のジューンはシルビーの気持ちを理解した。自分の靴の片方をシルビーのと交換し、「私はあなたの友達よ。あなたの靴を履くのを誇りに思う。」と言った。クラスの皆も成り行きを理解した。(Gordon, pg. 29, 30)

 

調査から得たデータ

 

●「子どもに社会的スキルや感情的スキルを教える入念な包括的アプローチによって、成績やテストの点数を上げる、学ぶ意欲を高める、行動の問題を減らす、脳の認知機能を高める等が可能になる。」(Liff, 2003)

●学校の子どもたちが体験するいじめや攻撃は問題であり、成人になってからの犯罪や反社会的行動の前触れとして見逃せない。(Huesmann 等, 1984)

●学校はいじめや攻撃から子どもたちを守る責任がある。(Durlak & Wells, 1997)

●カナダのブリティッシュ・コロンビア大学は、共感教育プログラムに関する5つの研究を実施した。最初の研究は2000年に行われた。いずれの研究の結果も、共感教育プログラムに参加した子ども達とそうでない子ども達との比較において、攻撃やいじめの著しい減少及び向社会的行動の増加を示していた。(Scbonert-Reichi et al., 2001)

●西オーストラリアのウエストパースにあるテレトン研究所で行われた研究は、オーストラリアやニュージーランドでは、共感教育に参加した子どもたちに、向社会的行動の増加と攻撃的行動の減少が見られた。(Kendall et al., 2005)

●トロント大学大学院オンタリオ教育学研究科は共感教育プログラムの評価を実施した。優れた教育者や医療従事者による子どもの成長に関する研究と個人的及び専門的経験に基づき、共感教育プログラムは、社会、感情両面の学びを発展させるための効果的なプログラムであるとの研究結果が出された。(Rolheiser and Wallace, 2005)

* 「共感教育」は、このほどChangemakers(ロバート・ウッド・ジョンソン財団が主宰する機関)から賞を受けた。


<参考文献>
Durlak, J.A., & Wells, A.M. (1997). Primary prevention mental healthy programs for children and adolescents: A meta-analytic review. American Journal of Community Psychology, 25, 115-152.
Gordon, Mary. (2005). Roots of Empathy, Changing the World Child by Child. Toronto: Thomas Allen Publishers.
Huesmann, L.R., Eron, L.D., Lefkowitrz, M.M., & Walder, L.O. (1984). Stability of aggression over time and generations. Developmental Psychology, 20, 1120-1134.
Kendall, G., Schonert-Reichl, K., Smith, V., Jacoby, P., Austin, R., Stanley, F., and Hertzman, C. (2005). The Evaluation of 'Roots of Empathy' in Western Australian Schools. Not available online. Contact Telethon Institute for Child Health at publications@ichr.uwa.edu.au .
Liff, S.B. (2003). Social and emotional applications for developmental education.
Journal of Developmental Education. 26, 28-34.
Rolheiser, C., and Wallace, D. (2005). The Roots of Empathy Program as a Strategy for Increasing Social and Emotional Learning. Program Evaluation - Final Report. Not available online. Contact The Ontario Institute for Studies in Education, University of Toronto, 252 Bloor Street West, Toronto, Ontario M5S 1V6 Canada.
Schonert-Reichl, K., Smith, V., Gordon, M., Jenson, A., Novak, H. (October 2001) (U.B.C.) Untitled Roots of Empathy valuation. http://educ.ubc.ca/

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