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子どもの不安や恐れへの対処

要旨:

親はわが子に不安や恐れと向き合うこと、親はいつでも耳を傾け、守ってあげるためにいるんだということを教えなくてはならない。同時に、自分自身の不安や恐れを正しい目で見つめなおすことも必要だ。たとえば子どもの誘拐事件は、その多くが見知らぬ他人ではなく身内の者によるものだということはあまり理解されていない。親の恐れや不安が正しい情報に基づいたものであれば、子どもへの注意も効果的に行うことができる。また、考えられる危険を回避するための家族の安全ルールをつくることで、子どもを不必要に不安にさせることなく緊急時の対応を教えることができる。
English
不安が生じる様々な原因

人間は生きているかぎり不安や恐れという感情に向き合わねばならない。とくに、子どもはこうした感情にとらわれがちだ。その理由のひとつは子どもの豊かな想像力である。小さな子どもにとって現実と虚構の区別をつけることは時として難しい。
昼間はかなりの時間を空想に耽り、眠れば今度は怖い夢の出番である。現代の子どもたちは昔に比べずっと多くの物事を見聞きするようになったので、そのぶん不安になるような要因も増える。子どもはまた、親の不安からも影響を受ける。一方で、テレビやインターネットは絶えず子どもを取り巻く危険を警告している。このような状況下、いま親として考えるべきことは、子どもを怯えさせることなしに不安や恐れと向き合うやり方を教えるにはどうしたらよいか、であろう。したがって、本レポートの目的は、子どもに危険を判断させる方法や、人に対する警戒心と信頼をバランスよく持つことを教える、その方法について論じることである。さらに、危険を避けるよう普段から守らせておく「家族の安全ルール」についても説明する。これらの方法は、自分の子どもに、恐怖心は誰もが持つ感情であること、親に話すことで不安が軽減することを理解させる手助けとなるだろう。


危険への対処で重要なこと

5歳のジョナサンは朝ごはんのシリアルを食べながら目の前の牛乳パックを眺めていた。彼は考える。牛乳パックに印刷されている写真の男の子は見つかったのかな?パパとママはこの子の声をもう一度聞くことができたのかしら。同じ通りに住む6歳のマークは配達された絵ハガキを手にしたところだ。マークと同じ年頃の女の子の写真が載っていて、現在、行方不明であることが書かれている。8歳のデニスはテレビを見ていたが、テレビの画面がいきなりアンバー・アラート(子どもの誘拐事件速報)に切り替わる。速報は今朝早くに小さな女の子が誘拐されたことを告げ、誘拐犯の車のナンバープレート、色、型式など、これまでに分かっていることを伝えている。9歳のジェフリーは食料雑貨店から戻ってきたところ、車から買い物袋を運び込むママを手伝っている。キッチンカウンターに置かれたレジ袋にはみな、誘拐されたというどこかの子どもの写真が印刷されている。ジェフリーは考える。もし誰かが僕を誘拐しようとしたらどうやって逃げよう?

このようにして子どもたちは絶えず行方不明のニュースを目にしている。このことが彼らの人生観にどのような影響を及ぼすのかは誰にもわからない。一方、親たちに及ぼす影響は明らかで、子どもに教える他人とのかかわり方や自分たちを取り巻く環境への見方が劇的に変わってしまう。テレビや新聞記事などで、子どもに対する性犯罪で服役し、出所後地元当局の管理下にある人間が裁判所から近所に越してもいいという許可を得たというニュースや、インターネットを介して小児性愛者の餌食となった子どもの事件などを見ると、親たちは当然のごとくショックを受ける。子どもたちが遭遇するかもしれない危険をリストにしたらきりがないだろう。

こうした結果、親のなかには、世の中が危険に満ちていると考え、子どもに見知らぬ他人と口をきくのを禁じる者も出てくる。子どもの指紋やビデオ録画、最近の写真などを撮っておこうとする親もいるし、コンピュータに身元情報を登録しておき、その登録番号をマイクロドットにして子どもの歯に埋め込む手段をとる親すらもいる。このような予防策が広まる一方で、親たちは、こうした手段が果たしてわが子を本当に守っているのか、それとも単に怯えさせているのかを、考え直す必要に迫られている。果たしてこれらが、恐怖による衝動ではなく、正しく状況を判断したうえでの結果であったと、どこまで確信をもって言えるだろうか。親にしてみれば、子どもに危険が及ぶかもしれないと思えば不安になるのも当然だろう。しかし、怯える子どもに危険に対処する方法を教えようとする以前に、自分自身の恐怖がはっきりとした根拠のあるものかどうかを、よく考え直してみるべきだ。

最も大切なことは、安全、恐怖、信頼のバランスをよく考えて危険の度合いを判断し対処することだ。このバランスは重要である。なぜなら、危険に満ち溢れる世の中に対して子どもにどのような心構えをさせるかは、親が自分自身の恐怖にどのように向き合うかによって決まるのだから。ここでは、まず、子どもに危険を見極めさせる方法を教えることから始める。危険を見極めることは、人間が経験する恐怖心をコントロールするための重要なスキルである。


危険な状況を判断する

不安のあまり他人は信用できないと思い込んでしまった人は、自分の子どもに他人を信頼することを教えることはできないだろう。しかし、子どもの健全な情緒の発達のためには、世の中は危険や悪い人だらけだと教えるより、安全で善良な人がいっぱいいるのだと教えるほうがずっと望ましい。にもかかわらず、自分自身が心配や不安にとらわれている親は、子どもに知らない人と口をきくことを禁じてしまう。しかし、ここで逆説的なジレンマが生じる。もし子どもが知らない人と口をきいてはいけないならば、その範疇に入る人々はみな、子どもに話しかけることができなくなる。

年配の人々はよく子どもと話す機会が失われたのを嘆く。孫もいる年齢のマリーは自分の体験をこう語る。「ドラッグストアでの話だけど、血圧を測ろうと思って血圧計カウンターのところに行ったのよ。そこには小学生の男の子の先客がいて、その子の肩越しにのぞいたら、110/70という数値が見えて、それで、『ああ、私の血圧もそれくらい低いといいのにねえ』って声をかけたの。でも、その子は妙な顔をして私をみつめ、黙ってそこから立ち去ったわ。子どもたちに話しかけようとすると、近所に住んでいる子でさえ、みんな同じような反応よ。何の返事もなし。同じような年代の私の友達もやっぱり似たようなことを言っていましたよ。」

ここで問題なのは、子どもたちがいざという時に助けを求めることができそうな多くの信頼できる善良な大人たちが、子どもに関わることを躊躇するようになってしまうことだ。年配の人々からは、ショッピングセンターで子どもを見かけても、「知らない人と話してはだめ」という親のいいつけのために、話をすることができなくなったという声をよく聞く。小さな子どもを見たら、にっこり微笑みかけ、「こんにちは」や何かしらで声をかけるのはごく自然のことに思われる。しかし、今やたいていの大人はこう考える。「子どもがひとりのときに話しかけるのはやめておこう。うっかり悪い人と勘違いされて怖がられても困るし、親からは知らない人と口をきくなと言われているはず。声をかけたら、親のいいつけを破らせることになってしまう。」

この推測が正しいことは、幼稚園から小学3年生の子どもたちを対象とした調査で裏付けられる。子どもたちに一番怖いものは何かと尋ねた場合、一番多かったのは「知らない人」という答だった。子どもたちは親からそう教えられたと答えているが、果たして彼らは「知らない人」について正確に知らされているのだろうか?全米行方不明・被搾取児童センターは通報された事件を、見知らぬ人間による誘拐、親による誘拐、家出の3つに識別している。残念なことに、業者は個々のケースの詳細をチラシや紙袋、牛乳パックに印刷しない。しかし、行方不明の子どもを全て一括りにとらえてしまうと、混乱と見当違いの恐怖を招きかねない。充分な情報を得られなかった親たちは、子どもの行方不明事件の大半が見知らぬ他人によるものだと、誤った考えを抱くことになる。

米連邦捜査局はこのような考えをまったく誤ったものであると断言している。子どもの行方不明の通報は毎日2万2000人、年間で80万人におよぶ。このうち、最も多いのは家出の45万人、次いで誘拐の35万人であるが、この誘拐の99%が親権をもたない親(たいていは父親)に連れ去られるというケースだ。見知らぬ者に誘拐された事件は、全体の1%弱に当たる200人に過ぎない。全米行方不明・被搾取児童センターは、見知らぬ者に対する根拠のない被害妄想の存在を認め、数年前に打ち出した「知らない人は危険」という標語を取り下げ、現在ではこうした考え方はしていないと述べた。小さな子どもは大人と同じようには「知らない人」を判別することができず、このような標語は理解するのも難しすぎるからだ。子どもにとっても、あるタイプの人間に気をつけろと教えられるよりも、遭遇するかもしれない危険に備えて、できるかぎり自分で自分の身を守れるような自信と自負心を持つよう教えられたほうが、ずっとためになるだろう。「知らない人は危険」という標語はまったく役に立たないうえに、これまでの誘拐事件のデータから判断しても、子どもにとって危険なのは、まったくの他人よりも、子どもやその家族が知っている誰かであることのほうが可能性は高いのである。

この他に、学校は子どもにとって危険な場所だという誤った考えもある。学校で麻薬や暴力が氾濫しているというニュースを見て、わが子が学校で殺されるかもしれないと怯える親もいる。しかし、アメリカの小・中学校の子ども5500万人のうち、学校で殺される子どもは年に30人であり、家で親や保護者に殺される子どもは年に3000人である。言い換えれば、学校で殺される子どもは家庭で殺される子どもの1%に過ぎない。こうした数値に過剰反応した結果、武器の持ち込みや殺傷を防ぐため、学校に金属探知機や警備員を配置する資金拠出が増えている。


警戒心と信頼のバランス

アメリカでは過去5年間で重犯罪率が低下したが、メディアの犯罪報道は600%も増えている。なかには、良いニュースよりも悲惨で悪いニュースばかりが流されるので地元のニュース番組を見たくない、という人もいる。しかし、私たちが冷静に判断する能力を欠いているからといってメディアを非難するわけにはいかない。テレビやインターネット、新聞では確かに不幸なニュースが必要以上に注意をひいてしまう。しかし、だからといって、現実に起こった事件の事実は無視できない。子どもの誘拐、虐待、殺人のそれぞれ99%、98%、99%が身内によるものであることを知ったら、自分の家庭生活を危険から回避するという観点で改善していくことに注意を払うことが理性的な反応というものであろう。

同様の理由から、見知らぬ他人、保育者、青少年協会のボランティアの人々すべてを信用できない人間と決めつけるのは非論理的である。まわりの人間が自分の子どもにとって危険であると考えるのは誤りであり、考え直したほうがよい。子どもたちは人を信頼することを教わるべきであり、また同時に他人の怪しい行動に気がつくよう教わることも大切なのである。こうした重要な目的を達成するための方法をいくつかここで説明しよう。


親のための危険対応ガイドライン

離婚または別居していて子どもの親権を持つ親は、見知らぬ他人を一番の危険だと子どもに教えてはいけない。合衆国では90%の親権が母親に託されており、子どもを誘拐するのはたいてい親権を持たない父親である。母親は、行方不明の子どもについてわが子に話す前に、自分たちの状況をしっかり見極めることが必要だ。誘拐犯人の大半が親権を持たない親だったという事実を教えることは、おそらく子どものためにはならないだろう。子どもにとって、自分の親がそんなことをするかもしれないという考えは、見知らぬ他人に誘拐されることよりもショックなはずだから。

親権の争いがなく、別居中の夫がこれまでの行動からみても何も危害を加えることがなさそうな場合には、起こり得る危険とその場合の対応についてのみ話しておけばよいだろう。しかし、離婚した夫が問題となりそうな場合には、あらかじめ、親権についての法的な証明書の写しを学校に届けておいたほうがよい。万が一、親権を持たない父親が子どもを連れ去ろうとすれば、前もって事情を知らされている校長や教師がこれを阻止してくれるだろう。

しかし、離婚しているかどうかにかかわらず、ともかくも見知らぬ他人すべてを危険だと子供に教えることはやめたほうがいい。見知らぬ他人が脅威となることはめったにない。子どもに関する犯罪の大半は子どもが犯人を知っているケースである。犯人は身内もしくは家族の古い友人でありうるし、遊び友達のお兄さんや近所のおじさんでもありうる。知らない人に近づいてはいけないと子どもに教えることは簡単だが、よく知っている人または両親が信用している人に「ノー」と言って離れるように教えることは別問題である。

子どもを既知および未知の危険から守るために家族の安全ルールを作ることも大切である。子どもには常にこのルールを守るよう言い聞かせておく。「どこかに行くときは、必ずママ、パパ、おばあちゃん、ベビーシッターの誰かに言うこと」というルールは、親がうっかり見逃す状況を防ぐことができる。また、危険かどうかを判断しなくてはいけない場面に親がいつも居合わせるとは限らないので、自分の直感に基づいて判断させることも必要だ。子どもにはこう言い聞かせる。「家族のルールを破らせようとする人は悪い人だ。何かおかしなことをいう人がいたら、そういう人が困っても何も気にする必要はないから、ママ、パパ、学校の先生、校長先生のような大人の誰かにすぐに知らせなさい。」 このルールならば、子どもは、相手の外見ではなく態度によって判断することができるし、知らない人だけではなく知っている人に対しても、いずれからも起こりうる危険を強調することなしに、ルールを守らせることができる。

子どもに危害を加えようとする人間は、概して大人には通用しない方法を使う。それは「高圧的な態度をとる」というやり方で、大人の権威に逆らうことを教えられていない子どもにはとても効果がある。しかし、小学校の年齢の子どもで、親から、危険だと思う状況では自分の判断に頼りなさい、と教えられてきたならば、そう簡単に高圧的な大人の言いなりにはならない。しかし、子どもが安全を脅かすと感じられる大人の指示に逆らうには、内面の強さも必要だ。小学生の子どもたちが自信を身につけ、大人に助けを求めるための家族のルールを学び、それが自分がすべき正しいことだと理解するようになれば、危険を見極めて対処することができるようになり、なおかつ、世の中は安全な場所だと感じていられるだろう。

2001年9月11日のテロリストによる攻撃以来、アメリカ人はかつて経験したことのない恐怖と不安に直面してきた。親の中にはアメリカの危険について子どもと話すことを避けたがる人もいる。しかし、実際的な話、子どもは事情をきちんと知らされたほうが、より確実に危険に対処できるし、安全だと感じることができる。米国土安全保障省は、周りを観察することの必要性と、危険を減らすためには何をしたらよいかを、家庭で話し合うことをすすめている。子どもには、合衆国政府が自分たちを守るために何をしているかを教えておいたほうがよい。たとえば、警戒すべき危険が発生した時には、メディアの報道やアンバー・アラートで警告を出すこと、また、空港でしかるべきセキュリティ対策がとられていること、航空保安官が一部の飛行機に配置されていることなどである。しかし、このような防護対策にとどまらず、起こりうる災害に備えて、消防官や警察を訓練する他にもしておかなくてはならないことがある。国民の一人ひとりがいざというときに備えておかなくてはならない。各家庭では、家を離れなくてはならないような緊急事態に備え、水、ジュース、缶詰食品、薬や包帯などを含めた防災キットを用意することが勧告されている。

子どもにはあらかじめ家族が離れ離れになった場合、誰に連絡をとればよいかを教えておく。その人物に連絡がとれるよう固定電話の番号と、一人になった場合にどこに行けばよいかを覚えさせる。就学前の子どもでも、警察に、両親のフルネーム、住所、電話番号を言えるようにする。が、たいていの親は親の責任としてこうしたことを子どもに教える必要があることに気がついていない。


子どもに教えておくべきこと

多くの子どもは起こりうる危険に対処する準備ができていないが、ある程度覚えておくべき事柄は普段から教えておいたほうがよい。子どもは簡単な内容でも覚えるのに時間がかかるので、根気よく続けることが大切だ。実際に質問して答えさせる練習も効果がある。子どもがきちんと答えられるようになったら、今度は親戚や友人の前で尋ねてみる。子どもが正しく答えたときには、「大事なことをちゃんと覚えたね、えらいね」と、皆で褒めてあげよう。以下のリストは、子どもに教えておくべき事項の例である。

  • 子どものフルネーム、住所、電話番号
  • 親のフルネーム、勤務先
  • 助けを求める際の911(日本の110、119に相当)のかけかた
  • 誰かが後をつけてきていると思った時はどうすればよいか
  • 親がいない時に電話がかかってきた場合、一人でいることを相手に知らせずに答えるにはどうすればよいか
  • 火事の場合はどうすればよいか

子どもの恐怖に向き合う方法

残念なことに、親のなかには自分自身の根拠のない恐怖を子どもに教えることはあっても、子どもが感じる特有の恐怖は些細なこととして取り合わない人もいる。実際、多くの親は怖がりの子どもを恥ずかしく思い、怖いことなんか何もないよ、と否定することで怖がることをやめさせようとする。以前、4歳の息子のスティーブンを動物園に連れていった時の話を例に挙げよう。スティーブンはことのほかワニに夢中になったので、私たちは爬虫類展示室でしばらく時間を費やした。そのとき、小さな男の子が家族に連れられて入ってきた。その子は床から天井まで全面の窓ガラスの向こうにいるワニを怖がってガラスから遠ざかろうとした。息子の恐怖に気がついた父親は、小さな体を抱え上げ、窓ガラスに近づけてこう言った。「ほら、パパが言っただろう。ワニは閉じ込められているんだから怖がることはないんだよ」 本当に怖いと思っているときに怖がるなと言われることが、小さな男の子にとっていかに混乱することかおわかりだろうか?両親は「なんでも知っている大人」であり、自分よりも物事をわかっているはずなのだ。このように教えられた結果、なかには、自分の気持ちを心の奥に押し込めてしまう子どもも出てくる。自分の感覚を信じないようになり、他人の言うとおりに感じようとする。その父親はこう言ってやればよかったのだ。「ワニは危険な生き物だ。おまえが怖がるのも当然だよ。でもこの窓ガラスが守ってくれるからね、気をつけていれば大丈夫だよ」と。

また、否定とは逆の反応―すなわち「共感」―によって、結果的に自分独自の経験を否定される場合もある。誰もが、「きみの気持ちはよくわかるよ」という言葉を耳にしたことがあると思うが、実際のところ、私たちは他の人がどう感じているかを正確に知ることはできない。他人の経験を分かち合おうとする「共感」という行為には限界がある。しかし、人はそれぞれ異なる個性を持っていることをきちんと理解していれば、この限界はさほど気にしなくてもいいことがわかるだろう。親や祖父母は子どもが怖がっていることを、分かち合うかどうかは別として、まずはそのまま受けとめてあげるといい。人は、自分の気持ちを理解してもらうより、相手に受け入れてもらうほうが素直に心を開きやすい。いくら相手の経験を理解できると考えていても、その人の気持ちをなおざりにしていれば、わかろうとする行為自体が互いの信頼関係を築く上での障害となるだろう。

怖がっている子どもに対する周囲の反応として「否定」や「共感」を挙げたが、ほかに「からかい」というケースもある。人は怖いと思っていることを笑われると、その恐怖自体は薄れることなく、逆に自分自身に対する自信をなくしがちだ。子どもに「ただの夢だよ、本当にあったことじゃないんだよ」と言うことは、良かれと思ってのことであっても、子どもは、大人がバカバカしいと思っていることを自分は怖がっているんだ、と考えて恥ずかしいと思ってしまう。怖がっていることを笑ったり、怖がり、弱虫、赤ちゃん、臆病者などとからかって呼んだりすることは、相手の信頼を損ねてしまいかねない。からかわれた子どもや大人は、以後、自分の経験を人と分かち合おうとしなくなる。そうなれば、非常に残念なことに、親は子どもの気持ちを理解する機会を逃すことになり、恐れや不安に向き合えるよう助けてやる手立てを失ってしまう。

恐怖を乗り越えるための最初のステップは、まずそれを認めることである。子どもは親をみて学ぶので、子どもの恐怖が有害な結果をもたらさないようにする良い方法とは、親が自分の恐怖を認めることである。大人たちは、子どもが暗闇やひとりでいること、初めて学校に行くことを怖がるのに対して、そういう気持ちは当然のことであり、怖いと口にすることで弱虫とか臆病者になるわけではないことを教えて安心させてやらなくてはいけない。勇気とは怖いもの知らずという意味ではなく、恐怖を克服したということなのである。人は危険に脅かされなくなると、身を守るために正常に働く健全な警戒感を失くしてしまう。

その意味では、ある程度の恐怖心は適切な判断をするために必要なのだと思える。ギリシアの哲学者プラトンは「勇気とは恐れを知ることである」と言っている。親がいくら暗闇は危険ではないと言い聞かせても、子どもは、母親が深夜に一人で出かけないこと、寝る時には家のドアに二重の鍵をかけることを知っている。子どもに怖いと口にすることを恥ずかしいと思わせてはいけない。そもそも、大人でさえ、年をとることや孤独になること、太ること、失業すること、ガンにかかること、致命的な失敗をすること、人の重荷になること、他人に拒絶されることなど、恐れていることはたくさんあるのだから。ただし、大人は恐怖がどんなものかを知っているが、子どもはそれが何であるかを理解できるようになる前に不安を抱えてしまう。

自分の恐れを人に気づいてもらえない、または理解してもらえない子どもは、孤独というさらなる重荷を背負うことになる。恐怖心以上に同情を受けるに値する経験はないし、これほど子どもを怯えさせ、助けようとする大人を困惑させるものはない。子どもには、自分の不安を批判なしに聞いてくれる誰かが必要なのである。親がわが子を無条件に受け入れてあげていれば、子どもは既に不安な気持ちを聞いてもらっているだろう。親の関心を買うために恐怖心を抑えたり勇気があるふりをする必要は、どんな子どもにも全くない。家族に共通の不安があるとき、それぞれに別の心配事をかかえていることがわかったとき、家族は互いにもっと助け合うことができるだろう。親がすべきことは、わが子がどのような不安を抱えているのかをわかってやること。そして、自分自身の不安を子どもとわかちあうように努めることだ。


終わりに

子どもは親の不安をそのまま受け止めてしまう。親は、例外的な事態を判断の基準とせずに、危険を正しく見極めるようわが子に教えなくてはいけない。その際、警戒心の必要性と他人を信頼する必要性のバランスをうまくとることも忘れてはならない。人を信頼することを世間知らずととらずに、親密な人間関係、健全な精神、社会における連帯感の基礎となるものであることを理解しよう。危険を回避するための家族のルールは、子どもに不必要な不安を与えることなく、いざという時の対応を教えることができる。子どもは成長するにつれ、自分の恐怖や不安をうまく表現することができるようになる。親や身内の者、教師は、そうした子どもの気持ちをいつでも聞いてやるようにし、また自分自身の不安も分かち合うようにすることが望ましい。
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