乗り越えるべき障害もなく、仰ぎ見るべき道徳的権威もなく、甘やかされることによって他者とつながる機会を失った子どもは、孤立した自己の世界で歌を歌うしかない・・・。
「全能的自己感」という錯覚
「こいつはとんでもないヤロウですよ」
精神科医の若い友人は口をとんがらかした。彼は連続強姦事件をおこした男の精神鑑定を依頼されているのである。男と言っても、逮捕されたときは受験浪人だったから、ほとんど「少年」と呼んでもよい。
中国地方のさる中都市で育った男は、中学ではトップクラスだった。が、進学校として知られる高校にはいると低空飛行に転じた。学校ではおとなしく、友人はいなかった。東京の有名私立大学のいくつかの学部を受験したがすべて落第。次の年も失敗した。
少年の父親は小さい会社を自営し、子どもとはほとんど接触がなかった。妹はいるものの、彼は母親を独占して育った。母親はからだの大きい彼にしばしば暴力を振るわれ、目の周りに青あざをつくったりしたが、外部の人間や父親に対しては、常に息子の庇護にまわった。彼は、このいいなりになる母親によって「全能的自己感」を抱くに至った、というコメントが鑑定書には記されている。
さて、上京して受験勉強に集中しようという志はアッケナク挫折した。性衝動をうまく対処できなかったからである。
まず夜ごと人通りの少ない路上や駐輪場で女性に抱きつき痴漢行為をするようになる。強制わいせつ罪で捕まったときは示談で逃げた。ついで都内のホテルに侵入強姦事件を続けて数件起すが、その一件は強姦に加えて強盗・致傷に至っている。女性の顔を殴り、「お前を殺して財布をとって逃げてもいいんだぞ」と脅迫して現金を奪っている。
この事件は新聞に大きく報道された。慎重になった彼は、その後はデパートなどで警備員を装って、万引きしている女子高生、女子大生に声をかけ、脅迫的にホテルに同行する手口に変えた。性交できたのは約100件、3件については告訴され有罪になった。
さて男について、犯罪の手口、内容を紹介するのが本旨ではない。読者の関心をむけたいのは、彼が天動説の「世界」に住んでいるという事実だ。「自分は世界の中心に住んでいる」という深層意識的感覚を抱いているといってよい。ただしその「世界」とは、他者との交流を欠いた、孤立した、自己のみの存在が意識される世界である。子どもから成人に変態すべき過程で、庇護され、わがままに育った子に多いタイプだ。「よい、わるい」は自分の「好き、きらい」によって決定され、社会規範には依らないのである。
たとえば、ホテルでの強姦行為について鑑定医が「悪いことをしたと思わないのか」とたずねると、彼は天真爛漫に語っている。「でもおたがいに気持よくなるんですよ」。さらに、「せっかく高いホテルに泊っているんだからサービスしたんです。サービスに対してお金を払うのは当然でしょ」。
精神鑑定にはしばらく病院に入院し、そこでの行状を鑑定医が毎日つぶさに観察するという過程がある。入院中ナースには自分の「主張や要求」をなれなれしい口調でしつこく訴え、受け入れられないと大声ですごむ場面が見られている。鑑定医に対しては「辛いんです。助けてくださいよ」「いい鑑定書書いてください」と哀訴する。心理試験の課題に対しては、即答できる場合は機嫌よくとり組むが、即答できないときには苛立ちをあらわにして放棄してしまう。
その「世界」の中心に位置する彼は、発情すると、地平にたまたま見えたわかい女に長い手を伸ばす。コトが終ると女の姿も消える。彼女がどう感じたかは夢想だにされない。他者を思いやる「こころ」は、他者との濃密なかかわり合いを通じてはじめて成長する。「内気でおとなしい」子どもの「からだ」はわずかな年月のうちに発達し成熟するが、その「こころ」は未成熟のままである。いやなこと、苛立つことはすべて母親にぶつければよい。母は無抵抗に、いかようにでもかしずいてくれる。母とのやりとりを経るうちに、彼には「全能的自己感」という巨大な錯覚が生れ、それは他者に対して向けられていく。
「公」の消えた社会で孤立する子どもたち
近年、以前は考えられなかった少年による事件が頻発している。昨年6月にも長崎県佐世保市で同級生少女殺人事件が発生した。これはよほど社会を震撼させたようで、おっとりとしたわが人体科学会さえも「子どもたちは今」というシンポジウムを開いたほどである。
世人が驚愕して面食らった理由は、殺人者がまだ幼さの残る年齢の女の子であったこともさりながら、知的水準は高いし、「ふつう」の家庭の子であり、事件を起した動機がそもそも常識では理解できないからである。
事件を起した少女の心理特性を、鹿児島大学の石塚礼信氏は以下のように紹介している。
1.対人的なことに注意が向きづらい
2.物事を断片的にとらえる
3.抽象的なことを言語化できない
4.聴覚よりも視覚的情報を処理する傾向
5.社会性、共感性の欠如
6.感情表現が乏しい
7.イマジネーションの欠如
つまり彼女は、他者や社会とのかかわりあいが乏しかったろうし、他者と分かち合う感性が未発達だろうし、当然、他者のこころを察する能力も開発されていなかったろう。学校の成績が劣るわけではなかった。
石塚氏によれば、一連の少年事件をおこした子たちには、知能と感情の発達のアンバランスがあったという。私たちは、人間が知能と感情のバランスをとって発達するものだと思いこんでいる。知能の未発達は学校の成績ですぐ明らかになるから、親も目の色を変えてこどもをシッタ激励する。しかし、感情という側面は未発達であってもまったく気づかれないことが多い。
怒りなどの感情制御は、社会生活を営むために当然身につけているべきはたらきである。しかし学校や家庭で、現在、この面の感情発達はほとんど考慮されていない。感情面の未発達があっても、それは通常表面的には判らない。頭のよい子ならそれをかくす術をもそなえているから、ただ「おとなしく内気だ」という印象ぐらいしか周りには与えていないだろう。
多くの識者が指摘しているように、子どもの感情面の発育や社会との一体感をはぐくんできたのは家庭のみならず、地域共同体である。だが過去半世紀、核家族化、地域共同体の衰退によりこの面の機能が失われた。石塚氏によれば日本全体で「それぞれが完全に個に帰着せざるを得ない状況になってきている」のである。
つまり、オトナになるということは、社会との「つながり」を感ずると同時に、社会規範を受け入れて生活することである。大家族と地域共同体の消滅は、社会規範の伝承を不可能にした。社会規範そのものの消滅として、育ちざかりの「こころ」には、感ぜられよう。もちろん社会規範は、「道徳」として学校教育の場でも教えられるはずのものだろう。しかし戦後、「教育労働者」と自己規定することにより教育者の「聖職性」を放棄した学校の先生には、もはや「仰ぎ見るべき」道徳的権威は残っていない。よりどころとする「公」は社会から消えてしまった。子どもは未発達なまま、甘やかされることによって閉ざされ、孤立した自己の「世界」で、天動説的な感覚のまま「世界の中心で歌う」より手がないのである。
連続強姦事件を起した「少年」に続く子どもは増えつづけるであろう。
さてオトナは社会規範をまもる動物だと威勢のいい定義をしたが、今述べたとおり年齢・体型上オトナであってもそもそも社会規範を理解していないオトナが増え続けるはずである。杉並第三小学校の有田八州穂氏は、まさに教育の現場でこの現象を観察している。
「子どもは、時代の申し子で、その世の中を一番敏感に表現する存在である」という氏の子ども理解のための前提がある。氏は崩壊学級の建て直しという、私のような人間には聞くだけでも怖しい作業をつうじてこの前提が正しいことを実証してこられた。
日本は「いじめ」を特に問題にする国だが、その責の一端はマスコミにある。「わが子がいつ被害者になるか」という不安をかき立てるような報道をするからだ。現場の教師から見ると、ふつうの「人間関係のとりかたの問題」が、「いじめ」に転化して親に理解されてしまうことが大部分だという。(「そんなことないよ」と眉をさかだてる向きは、きちんと「いじめ」を定義してごらんなさい。)「学校側が適切な対応をとらなければ子どもを転校させる」と転校させても、結局はもう一人不登校児が発生するはめになる。
こういう親は、子どもという非社会的動物をオトナという社会的動物にまで生育させることができない。子どもの前の障害物が、時としてオトナになる過程で必要な要素であることを知らないからである。マスコミの唱えるとおりそれらはすべて「トラウマ」であると理解している。かくて障害物はすべて取り除くべしとの信念に達する。
「不登校になっては困るから、無理して牛乳をのませないでくれ」
「宿題が多く学校に行くのをいやがっているから宿題は出さないでくれ」
つまり「転ばぬ先の杖」的発想であり、子どもと周囲とのかかわりを分断してしまうから、子どもは自分の閉じた「世界」から出て、他者とつながる機会を失ってしまう。そんな子どもがとるのは「モノや人との関わり方がわからない行動」であり、「他に対するイメージが及ばない行動」である。簡単にいえば「自己チュー行動」だということになる。
私には、ここにも連続強姦事件を起した少年の家庭ほどではないにせよ、ある種共通した親の理解があるように見える。それは、いわば子どもの人生における障害やつらい経験をすべて「トラウマ」と位置づけ、トラウマのない環境こそ子育てに必要だという理解らしい。もしそうだとすれば、その理解は、社会生活を営む哺乳動物の観察や、人間の歴史から読み取れる洞察や、貧しく厳しい時代に有効だった昔の日本の家庭教育の経験が教えることと矛盾する。
子どもを変えた一通の母の手紙
子が閉じこもろうとする「世界」と外の世界との境界にある壁は、時には、親が荒々しく破壊しなければならない。それは時として身を裂く痛みをともなうが、決して「トラウマ」ではない。作家の出久根達郎氏が紹介した彫刻家、「昭和の左甚五郎」と称された阿部晃士とその母の話は、その一例である。
晃士は東京美術学校時代に相撲の稽古で右腕を複雑骨折した。彫刻家には致命傷であり、自殺を考えたほどだった。美術学校にも苦学して入ったのである。そのころに故郷の母に帰りたい、と訴えたらしい。母から次のような手紙がきた。
「手紙みました 大分困って居るやうですね(略) 今家は大変です 一銭の金も送ってやれません 母はお前を天才児として育てて来ました 母はそれが誇りだったのです 今はお前も一人前の人になりました その一人前の人間が食べられないから帰るとは何事です 乞食でも野良犬でも食べています お前は野良犬や乞食にも劣る意気地のない男ですか 母は末っ子のお前を甘やかして育てたのが悪かったのです けれどもそんなに意気地なしには育ててないつもりです 食べられなければ食べずに死になさい 何で死ぬのも同じことです 運命なのです(略) お前は母がいつまでも優しい母だと思っているのは間違いです そんな意気地なしは見るのもいやです 帰ってきても家へは入れません 死んで死んで骨になって帰って来なさい(略)」
激烈な言葉である。しかし、これは母親の激しい愛情表現である。晃士はこの手紙で発奮し、左手で制作、次々と入選を果たし、日本彫刻界の重鎮となった。彼の母は手紙を書いた次の年53歳で他界している。
手紙の末文はこうである。「そして一日も早くお前の死んで帰る日を母は待っています 喜二郎どの 母より」
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人体科学会(http://www.smbs.gr.jp/)Mind-Body Science 2005 No.15 に掲載された内容を転載しました。