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マルチモーダル行動発達事典による子育て支援

要旨:

筆者らは、子育ての問題を複数の観点で捉え、千差万別の悩みに対応するための子育て支援Webサイトを公開している。これは、実世界現場の子どもの自然な行動を記録した映像を共有し、その上に各専門分野の知識を集約した「事典」プラットフォームにより構築したサイトである。複数の観点で発達の要因を捉え、エビデンスベーストに検証できる「子どもの行動コーパス」と、マルチアングル映像とマルチチャネル音声による詳細な行動観察と過去に遡って類似事例検索が行える機能が特長の「多視点行動観察システムCODOMO-viewer」で構成した学際研究プラットフォームを紹介し、子ども学研究の展望を考察する。
はじめに―子育ての問題を複数の観点で捉える

人間は複雑で悩む生き物であり、「子育ては悩んで当然」である。子育ての悩みは家庭によって千差万別であり、「悩んでいるけどどうしていいかわからない」という相談者が、異なる悩みを抱えている。インターネットの普及により、情報環境は社会の仕組みやライフスタイルに大きな影響を与える存在となった。

子育てに関しては、多種多様な育児法や育児書が従来からあるが、情報環境の高度化によって、いつでも、誰でも、育児情報を手軽に発信し、入手することが可能となり、アクセス可能な育児情報は急増している。その結果、便利さの反面、誤った情報や不安を煽るような情報が氾濫するようになってきた。この原因の一つは、人によって子育てスキルに差があり、子育ての目標や基本理念が異なるのに、単一の視点で捉えた回答や解説しかない場合が多いことにある。子育ての問題を複数の観点で捉え、自らの子育ての方針に基づいて適切に情報を取捨選択し活用できる仕組みがあれば、より本質的な悩みの解決に繋がると考えられる。

子育て浜松フォーラム

筆者が属する静岡大学の研究グループは、子育ての問題を複数の観点で多面的に捉え、各ユーザが自らの子育ての在り方や目標を考えるのに役立つという基本理念で、育児支援Webサイト「子育て浜松フォーラム(http://kosodate-forum.jp/)」を公開している。「お友達をたたいて困る」「いくら叱っても言うことを聞かない」「兄弟の仲が悪くけんかが絶えない」といった悩みに対して、視聴者の状況に合った対処方法などが参照できる。最大の特長は、子どもの行動事例コンテンツの活用である。詳細は後述するが、筆者らが構築した「子どもの行動コーパス」は、専門家が子どもの心の状態を解説したり、保護者が子どもとの接し方のヒントを考えたりする上での事例の宝庫である。行動事例コンテンツの例を図1の①に示す。おもちゃを取り合ったり譲り合ったりしながら子どもが他者とのコミュニケーションスキルを習得するのに関連する場面を対象に、発達段階別の行動の違いや、類似場面での子どもへの接し方、対処法などを考察するヒントとして活用できるコンテンツである。関連する話題へのリンクを随所に埋め込み、一つの問題に対して、多面的な解説を自らの興味に応じて閲覧できる。

子育てに関わる内外の第一線の専門家や研究者の協力で「顔」の見える信頼できる知識映像コンテンツを充実化し、子どもの行動や思考の理解を深められる構成を工夫している(図1の②)。また、従来の映像コンテンツは、システム側から一方向的に配信提供されるため視聴者が見たい情報だけを選択的に閲覧することが難しい。視聴者が持つ千差万別の悩みに合った対処方法について、ユーザとの対話的なやり取りを通じてユーザの状況を推定し、対話の各時点で適切な情報だけを提示する機能を実現した(図1の③)。さらに、子育てに悩んでいる親が、その悩みを文章として簡潔に纏めるのは難しいことを鑑み、いくつかのキーワードを選択して質問を生成できる機能を実装し、漠然とした悩みを抱えた質問者が、ある程度内容を整理しつつ質問できる仕組みを実現した(図1の④)。

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図1: 育児支援Webサイト「子育て浜松フォーラム」 http://kosodate-forum.jp/

次にこの「子育て浜松フォーラム」の基盤となっている子ども研究に対する考え方、コンテンツの柱である「子どもの行動コーパス」について詳しく述べていく。

子ども研究は人間の知能解明の第一歩

人間は他の動物にはない長い子ども期を通して多様なスキルや知識の獲得に必要な根源的な知識(コモンセンス)を身につける。ダーウィンによれば、生まれたての著しく低い知能が万有引力の法則を発見するほど高次に変貌する思考の発達変化の大きさが人間の特徴である[1]。子どもは成人と比べてナイーブであり、思考過程が行動にストレートに表出しやすい傾向があるので、子どもの行動観察は人間の認知・行動をモデル化する際の格好の研究対象となる[2]

発達研究の深化に必要なもの

人間の認知、行動、発達に関する研究は、心理学、生理学、言語学、教育学、音響学、人工知能と関連して行われてきた。主要なアプローチの一つが、幼児の行動や発話を主観的に観察することで、知能や言語の発達過程の解明を目指す発達心理学の研究である。代表的研究者のピアジェは自分自身の子どもを詳細に観察し、思考の段階的発達理論[3]を提唱し、人間は外界とのインタラクションによって学習することができると主張した。実験心理学の分野では、ピアジェの段階発達論を実験的に検証する研究を始め、数多くの知見が蓄積されてきた。最近では、非侵襲脳機能イメージング技術による脳科学研究が盛んであり、脳のはたらきの断片が色々と分かってきた。しかし、人間の脳は「右脳-左脳」のように単純ではない。進化の過程で複雑化し、数百種類のアーキテクチャの異なる部位から構成されている。また、人間は状況に応じて脳の複数の部位を同時かつ動的に使っており、非侵襲脳機能イメージング技術だけでは、一部の単純な脳機能だけしか説明できないことが分かってきた[4]。人間の高次脳機能や複雑な心のはたらきは、物理学の統一理論のようなシンプルなモデルで説明することは困難である。発達研究の深化には、種々の研究領域の知見を持ち寄って共通の土台で議論できる環境が必要である。

学際研究の難しさ 

学際研究が思うように進まない原因の一つは、個々の研究者が領域固有のコモンセンスに依って発言し、高次のインタラクションに発展しないことである。発達研究に関して言えば、心理学や社会学、認知科学等の多様な学問領域で知見が蓄積され研究が深化を遂げ、行動分析のための大量の映像や種々のセンサデータを統合的に扱うメディア処理やロボティクスなど各種の技術が進化しているが、専門分野の細分化により研究コミュニティ間のコミュニケーションギャップが拡大している。

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図2: マルチモーダル行動発達事典

マルチモーダル行動発達事典

コミュニケーションギャップを埋める手段の一つは「共通言語」の提供である。実世界現場のデータを共有し、その上に各専門分野の知識を集約した「事典」が、学際研究推進のプラットフォームになると考え、筆者らの研究グループは、「マルチモーダル行動発達事典(図2)」という概念を提案した。マルチモーダルとは、情報技術分野で視覚・聴覚など複数の感覚(=モダリティ)を活用するという意味で使われる。この意味においては、文字と画像による従来の事典の枠を越えた映像情報を含む事典という特長がある。しかしながら、マルチモーダルを筆者らはより拡張した概念として、映像の持つ豊富な情報に基づき「多種多様な観点から特徴を捉える」という意味で用いる。これは、複雑で多様な問題の本質を捉えるには一つの視点で説明するだけでは不十分で、多様な観点を持ち寄って議論することが不可欠であるという思想に基づいている。この意味のマルチモーダルな観点に基づき行動発達に関する知見や解釈を統合した事典が、マルチモーダル行動発達事典である。

子どもの行動コーパス 

コーパスとは、一般に言語学において自然言語の文章を構造化し大規模に集積したものを指すが、収集した生のデータに意味付けのための注釈(タグ)を適切な構造で付与したもの(タグ付きコーパス)という点が特徴である。この枠組みを応用して、音声コーパスや対話コーパスなど、言語以外のコーパスも数多く開発されている。筆者らは映像記録された子どもの行動データに対し、行動を意味付けする注釈を構造化して付与した行動コーパスを構築している。2005年6月から2010年2月まで筆者ら静岡大学の研究グループは幼児教室を開催してきた。杉材のやぐらで構成された教室を構築し、子供が自由に遊べるプレイルームとしても活用できる環境を整備した(図3)。これによって、子供同士、子供と親・先生、子供と教材という幅広い形態のインタラクションでの音と映像が収録できる。マルチアングルの環境カメラで日常の行動を記録し、幼児の思考を様々な観点で観察することを基本に研究を進めている。「子どもの行動コーパス」は、各々の行動映像事例に対して発話・視線・ジェスチャ・感情・意図など多様なモダリティの注釈を持つ点が特長であり、言語の発達・他者理解の発達・発達段階別の子どもへの接し方などの複数の観点で発達の要因を捉え、エビデンスベーストに検証できる研究基盤データベースである。

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図3: マルチモーダル幼児教室

多視点行動観察システム CODOMO-viewer の開発 

映像と音声による長時間行動記録が当たり前となり、豊かな視点によるエビデンスベーストな分析が可能になった半面、データ管理コストが増大し、特定場面の抽出や類似事例の検索を短時間で柔軟に行える環境が求められるようになってきた。この観点から筆者らは、発達研究の深化と人工知能システムの高度化のため、子どもの行動映像事例に対して多様なモダリティの注釈を持つ「子どもの行動コーパス」を基盤に、複数の観点で発達の要因を捉える行動観察システムCODOMO-viewer (A viewer for Corpus-Oriented Development Observation from Multiple Objectives)を開発した(図4)。

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図4: 多視点行動観察システム CODOMO-viewer

マルチアングル映像とマルチチャネル音声による詳細な行動観察と過去に遡って類似事例検索が行える機能が本システムの特長である。音韻、ジェスチャ・目線など行動の外面的特徴に着目した発達分析により、提案システムが多様な観点に基づく行動発達の仮説生成に有用であることを示した。また、外面的特徴による分析での観点を持ち寄った多視点観察により、他者理解や社会性の発達など意図や思考に関わる内面的特徴の発達モデルを産出できることを実証した。子どもの行動コーパスを基軸に、多視点行動観察システム CODOMO-viewerによる発達分析結果をコンテンツ化したものがマルチモーダル行動発達事典である。「子育て浜松フォーラム」の行動事例コンテンツは、行動発達事典の一部である。子どもたち同士がものの取り合いをする場面など、観点を決めて同じ場面をコーパスから検索、月齢ごとに並べた映像事例に、コーパスの注釈データに基づく解説を付与して制作した。

深化成長する子ども学事典の構築へ向けて 

本稿で述べた「事典」に基づく子育て支援は、種々の研究領域における専門家コミュニティが産出する研究成果を、家庭・保育・医療等の子育て現場の視聴者コミュニティで役立つ「コンテンツ」として還元し、そのフィードバックを得てさらに研究が進展するところに特長がある(図5)。マルチモーダル行動発達事典は、子どもを取り巻く問題全般を扱う「子ども学事典」の一部として活用できると考える。行動発達分析を手段とする多様な研究領域を繋いで共同研究を創出し、研究成果を実世界現場へ還元することで、子ども学の発展に少しでも貢献したい。

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図5: 深化成長する子ども学事典


[1] Charles Darwin, "The Descent of Man," New York: Simon and Schuster, (1986)
[2] 竹林洋一,桐山伸也,"工学的視点からの幼児の行動観察とコーパス構築―認知・行動モデルの深化がもたらすもの―," 日本音響学会誌, vol.65, no.10, pp.544-549 (2009-10)
[3] J. ピアジェ(滝沢武久 訳):発生的認識論,白水社,東京 (1972)
[4] 榊原洋一:脳科学の壁,講談社,東京,(2009)
筆者プロフィール
桐山伸也(静岡大学情報学部 准教授)

2002.3 東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程了。博士(工学)。2002.4 静岡大学情報学部助手。助教、講師を経て、現在同准教授。人間のように多様で柔軟な問題解決ができる気の利いた情報システムの開発を目指し、自然知能の観察に基づく人工知能研究に従事。行動観察に基づく人間の常識的思考(コモンセンス)の発達モデル構築が主要研究テーマ。
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