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日本の青少年教育における「参加論」の意義

田中 治彦 (立教大学文学部 教授)

2004年9月17日掲載

要旨:

子ども・若者を大人同様に社会の一翼を担う存在として認知し、そこでの意思決定に当っては同等の参加の権利があると捉えなおしたのが1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」であった。この条約の大きな特徴は、従来保護の対象としていた子どもを、権利をもつ主体としてとらえ直したことである。しかしながら子どもの参加の権利については、それが大人と子どもとの関係性の見直しを根本から問うているがために、開発途上国のみならず民主主義が確立していると考えられている先進工業国においてもその実現には多くの障害が存在している。
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1.1970-80年代の社会参加論

日本において青少年の社会参加論が盛んに議論されるようになるのは1970年代後半である。1979年には総理府の諮問機関である青少年問題審議会が意見具申「青少年と社会参加」を報告した。〔1〕 この意見具申での「社会参加」とは「単に参加の形式を整えることではな」く、「青少年自身が、自発的に進んで役割を遂行することによって、その集団や社会を自分たちのものと認識するようになる自主的選択の過程、さらに言えば、進んで新たな社会を創造していく過程」であるとして、家庭、仲間社会、学校、職場、団体・グループ、コミュニティ、国家、国際社会への段階的な参加が示されている。

 

この意見具申の起草に関わった松原治郎は、社会参加は「メンバーシップ(ある集団に加わること)」からはじまり、「レファランス(主観的に帰属意識をもつこと)」「パーティシペーション(自分の立場を認識して役割遂行する)」「コミットメント(広く社会場面にかかわる)」「サービス(自発的に奉仕の精神で行われる利他行動)」と段階的にすすんでいくものと捉えている。〔2〕 

 

意見具申および松原の参加論に対しては田中治彦は「現在の社会体制が、青年が積極的に参加してくるような魅力的な社会であるのか、という自己反省が全く見られ」ず、「社会改革的な参加活動は全く取り上げられていない」と批判している。〔3〕 また増山均も「権利意識をあらゆるところで否定し、奉仕意識にすりかえてしまう」と述べている。〔4〕 

 

この両者の議論に対して、新谷は「「権利としての社会参加」を掲げる増山が『おとな社会の共同の仕事・作業へ積極的に子どもの参加を要請する必要がある』とし、(中略)また田中が『参加の拡大は可能か』として、『参加の意志をもっていながら、まだ具体的に行動をおこしていない』モラトリアム青年の一部に『どのように社会参加のチャンネルを付けていくかが当面の課題』(p.124)であるとしていることは、この時期の社会参加論が、体制維持的か社会変革的かという違いを越えて、大人とともにおこなう活動にいかに多くの子ども・若者をとり込むのかという視点に立っていたことがわかる。」とコメントしている。〔5〕 


2.1980-90年代の若者の参加の実態

1970年代には文部省、総理府と青少年団体、健全育成団体が中心になって、団体加入を基本とした青少年の社会参加活動を展開した。その成果として1970年代に各青少年団体は会員数を大きく伸ばした。しかしながら、その勢いは1980年代に入って衰え、青少年団体の会員数は停滞ないし減少に転じた。例えば、ボーイスカウトの会員は1970年に約181,000であったが、1983年に332,000人という史上最高の会員数を記録した。その後会員数は減少に転じて、1990年に269,000人、2000年に228,500人まで落ち込んでいる。この原因のひとつは、1973年以来子どもの出生率が下がり、子どもの数自体が少なくなっていることが上げられる。しかしながら、もっと大きな原因は後述するように、子ども・若者がこのような「団体活動」に関心を示さなくなったことがある。

 

また、ボランティア活動への参加率は、1980年頃には10歳代、20歳代ではほぼ10%程度であった。〔6〕 1996年の調査では、10代の若者ではボランティア活動参加率は14.9%、20代では13.7%であり、さまざまな統計を見る限り、ボランティア活動への参加率はほぼこの水準であり、とくに増加しているとみることはできない。〔7〕 ただ、活動の内容を見ると、国際交流や国際協力については増加が見られるのと、阪神淡路大震災のような災害救援のボランティアはその時だけは飛躍的に増加している。

 

若者の世界では1980年代に「集団離れ」という現象が起きている。若者から見ると、集団活動には仲間内で通ずる一定のルールがあり、そのメンバーに何らかの忍耐(がまん)を強いるものである。集団活動になじんだ者にとってはその忍耐も含めて喜びとなるものであるが、そうでない者にとってはあえて選択する必然性があるわけではない。それでも集団活動に入るには、大人が示す価値やプログラムに対して信頼と魅力がなければならない。1980年代の日本社会は「忍耐、団結、奉仕」といった集団活動の基本的な価値から離れつつあった。すなわち世界的にみてもトップレベルの「豊かな社会」を実現していたし、明治維新以来の「西洋に追い付き追い越せ」という目標を日本は達成していた。社会が青少年を集団化する必要性を失っていたし、子ども・若者もその変化を敏感に捉えていたのである。集団指導は、将来の目標に向かって行なわれる未来志向の「時間的アプローチ」である。その意味では未来に対する信頼があってこそ「指導」の実は上がる。逆に将来に対して展望が持てなかったり、未来に対する期待そのものが薄い場合には集団指導のアプローチは成功しにくい。その意味では1980年代以降に成熟社会に達した日本においては時間的アプローチである集団指導が成立する基盤が崩れつつあった。〔8〕 

 

筒井愛知は、若者たちの興味関心が多様化して、またメディアの発達によりさまざまなツールを利用できることにより、若者のサブカルチャーが1980年代以降急速に多様化していることを指摘している。筒井のサブカルチャー・マップによれば、1970年代まで主流であった、スポーツ、ボランティア、青少年団体などの「サークル文化」は、他のさまざまな文化の中のほんのひとつであり、少数派に転落しているとしている。(Chart1)〔9〕 


3.子どもの権利条約とハートの参加論

子ども・若者を大人同様に社会の一翼を担う存在として認知し、そこでの意思決定に当っては同等の参加の権利があると捉えなおしたのが1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」であった。これは従来大人の権利の陰で埋没しがちであった子どもの権利を包括的に保障し、宣言ではなく条約の形で各国政府に権利の保障の法的拘束力をもたせたものである。条約は「子ども最優先の原則」を唄い、「生存の権利」「保護される権利」「発達の権利」「参加の権利」の4つの基本的な原則に立っている。この条約の大きな特徴は、従来保護の対象としていた子どもを、権利をもつ主体としてとらえ直したことである。

 

子どもの権利条約の4原則の内、最初の3つ(生存、保護、発達)については1924年に国際連盟が採択した「児童の権利宣言(ジュネーブ宣言)」以来、20世紀を通してその実現の努力が続けられ、国際的にも定着した権利と考えてよい。これに対して、「参加の権利」については、今後の子どもと大人の関係性を問いなおし、本稿で述べてきた子ども・若者をめぐるさまざまな課題の解決のために絶対に欠かせない観点なのである。参加の権利の内実としては条約では意見表明権(12条)、表現の自由(13条)、思想・良心・宗教の自由(14条)、集会・結社の自由(15条)などが含まれている。

 

しかしながら子どもの参加の権利については、それが大人と子どもとの関係性の見直しを根本から問うているがために、開発途上国のみならず民主主義が確立していると考えられている先進工業国においてもその実現には多くの障害が存在している。日本政府も1994年に本条約を批准しているが、意見表明権など参加の権利の実現には消極的であり、そのための法律改正なども限定的である。日本でも川崎市で「子どもの権利条例」を制定しているが、全国的な展開にはまだ時間がかかるであろう。

 

ロジャー・ハートはユニセフとの共同プロジェクトにおいて、子どもの参画を環境問題において実効的に実現している事例を世界中に求めて、その原理および方法論をまとめて出版した。この本は『子どもの参画』と題して1997年に出版されて以来、世界各地で話題を呼んでいる。〔10〕 ハートの議論には3つの特徴がある。第一は、子どもの参加のレベルを「参画のはしご」として8段階にまとめたことである。(Chart 2) このモデルは、望ましい子どもの参加のレベルをわかりやすく表現していて、度々関係者によって引用されている。第二は、子どもの参画と環境教育、まちづくりとを結びつけたことである。発達段階によっても異なるが、子どもが普段生活している空間は家や学校を中心として周囲半径1キロ程度であり、この生活空間での課題を探してその解決策を探ることは、それ自体環境教育でありまちづくりにつながる。ハートは、地域を生活領分としている子どもこそが、大人に劣らず、地球環境問題解決のための担い手となりうると期待しているのである。第三に、その具体的な学習方法論としてアクション・リサーチを提案していることである。これは子どもが地域を回って、具体的な課題を特定し、その課題について探求し、課題解決のための計画を立てて実行に移す、という方法論である。具体的な地域課題を解決していくことで子どもは大人との信頼関係を作り、無力感ではなく効力感を得て、社会問題解決の担い手として成長していく。ハートの本には、子どもの参加が実効的になされている事例が先進国、途上国を問わず数多く紹介されていて、しかもその原則や方法が示されたことにより、子どもの権利を机上ではなく現実のものとして考える上で貴重な議論を提供した。


4.参加をめぐるいくつかの課題

子ども・若者の参加と青年教育についての課題を5点上げておきたい。第一は、子どもの参加を認めることは、とりもなおさず子どもと大人との権利関係を根本的に変更することにつながる。これまでの教育は家父長的な権威主義に支えられてきているので、この大胆な変更を大人社会自体が容認することができるかどうかが最大の課題である。

 

第二に、教師や青少年指導者など大人の指導者の役割の変化である。大人が教育目標を示して子どもをそこに到達させるという従来型の青少年教育における指導とは違った役割が求められる。教授者、育成者、指導者ではなく、支援者、ファシリテーター、コーディネーターの役割が大切である。ファシリテーターの養成訓練が今後の指導者養成に求められる。

 

第三に、公的な支援についてである。行政機関は官僚主義的な上下関係によって支えられており、子どもの参加をそもそも前提としていない。また、行政は明確な社会目標が与えられたときにその機能をよく遂行することができる。しかし、現代社会が集団的な目標を失い、個々人のニーズが多様化するようになると、行政よりもNPOの方がそのときどきの課題をこまめに見つけ、解決のために行動することができる。青少年育成においても行政よりはNPOに役割を移すのが得策である。行政とNPOとの有効な関係についてのシステムがまだ出来ていないのが実情である。

 

第四に、筒井のサブ・カルチャーマップにもあるように、青少年の文化やニーズは多様化しているために、どの文化やニーズに行政や青少年団体がどの程度関わるのかが特定しにくい。また青少年文化やニーズも時代とともに刻々と変化するためにとらえにくい。この点でもNPOの役割が期待される。

 

最後に、青少年の参加を今後求めていくとすると、現在日本の法律が規程している成人年齢である20歳の変更が必要である。選挙権と少年法の規程をともに18歳へと引下げていく必要があるであろう。しかしながら、現実には最初の課題と関係して、その実現にはまだ時間がかかりそうである。


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参考文献
1) 青少年問題審議会「青少年と社会参加(意見具申)」総理府、1979。
2) 松原治郎『日本の青少年-青少年教育の提唱-』東京書籍、1978、p.187-189。
3) 田中治彦『学校外教育論』学陽書房、1988、p.134。
4) 増山均『子ども研究と社会教育』青木書店、1989、p.176。
5) 新谷周平「学校外空間における若者の自己形成」東京大学大学院教育学研究科(修士論文)、2001、p.4。
6) 田中、前掲書、p.115-116。
7) 『国民生活白書平成12年版』大蔵省印刷局、2000、p.15。
8) 田中治彦編『子ども・若者の居場所の構想』学陽書房、2001、p.3-5。
9) 同前書、p.144。
10) Roger A Hart, Children's Participation: The Theory and Practice of Involving Young Citizens in Community Development and Environmental Care, UNICEF, New York, 1997. ロジャー・ハート著、田中治彦(他)監修、IPA日本支部訳『子どもの参画-コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』萌文社、2000。

 

「日本の青少年教育における『参加論』の意義」は「田中治彦研究室・南北ネットワーク 」http://www.rikkyo.ne.jp/~htanaka/03/Youth_Participation.html#Participation%20as%20a%20Key%20Concept から転載いたしました。

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