CHILD RESEARCH NET

HOME

TOP > イベント > イベント報告 > CRNトークセッション「子どもは未来である~子どもの夢を育むために~」前編①

このエントリーをはてなブックマークに追加

イベント

Event

CRNトークセッション「子どもは未来である~子どもの夢を育むために~」前編①

2016年6月24日掲載
中文 English
CRN20周年を記念して、現所長である榊原洋一氏と、創設者であり、現在は名誉所長の小林登氏と、創設に深く関わってアドバイスをいただいた特別顧問の石井威望氏の三人で、子ども研究の過去をさかのぼりながら新たな未来を展望するトークセッションを開催しました。

小林氏が「子ども学」を提唱されたのが1980年代。重厚長大産業に支えられた高度成長期が終わり、自然環境や生活とのバランスの取れた新たな社会を模索していた時代です。前編では、大平総理の私的諮問機関である政策研究会のメンバーになり、アカデミズムの立場から、専門領域を超えたさまざまな提言もされた小林氏と石井氏に、現在につながるターニングポイントの時代を振り返っていただきました。
| 前編 ① | 前編 ② | 後編 ① | 後編 ② |

◇セッションメンバー
榊原洋一(さかきはら・よういち)
CRN所長。お茶の水女子大学副学長。小児科医。東京大学医学部で小林登氏のもとで小児医学を学ぶ。

小林登(こばやし・のぼる)
CRN名誉所長。東京大学名誉教授。国立小児病院名誉院長。

石井威望(いしい・たけもち)
東京大学名誉教授。工学博士。東京大学医学部の学生時代に小林登氏と同期。

司会
木下真(きのした・まこと)
フリーライター。CRN客員研究員。CRNが運営を支援する日本子ども学会の事務局長。

アメリカから自由を学ぶ

榊原 CRNの所長をしております榊原です。私は小林先生が東大小児科の教授でおられたときに入局したということで、小林先生よりずっと後輩になります。

私が小林先生の小児科に入った頃の東大医学部というのは、何となく怖い先生たちがたくさんいて、ドイツ医学の権威みたいなものが感じられたのです。そういう中で、アメリカから帰ってきたばかりの小林先生の講義に出ると、そこだけ青空が広がっているみたいで、とても自由な雰囲気でした。アメリカの当時の医学のあり方が反映されていたのだと思うのですが、それを感じて、「あ、ここしかない」と思って小児科に入りました。

小林先生は小児科学の狭い領域を超えて、子ども全体のこと、生態学や人間学、さまざまなことに範囲を広げて関心をもっていらっしゃった。それは、よく考えてみると、石井先生という、医学を超えて、工学をはじめとする幅広い関心をおもちのお友達がいたからではないか。そのお二人の先生が刺激しあいながら、専門領域にこだわらない自由な視点をおもちになられたのかなと思っています。今日、そのお二人が、過去にどのようなことをお考えになっていたのか、ぜひ拝聴させていただきたいと思います。

event_02_02_08_01.jpg
榊原所長


司会 まず、1954年に小林先生が東大の医学部を卒業されて、アメリカにインターンに行かれた頃のことからお話しいただければと思います。

小林 僕が大学を出た年から日本でのインターン制度が始まったのです。だけど、当時の日本のインターンというのは医療の現場を見学するだけで、アメリカみたいに臨床現場で働きながら勉強するというような教育制度じゃなかった。殻だけで中身の抜けちゃったようなインターンだった。

それで、「インターンはアメリカでやろう」ということになって、同級生130人ぐらいの中で40人が集まった。ところが、結局アメリカに行ったのは、後に天皇陛下の侍医になった外科の池永達雄先生と僕の2人だけだった。残りは全部、「行く、行く」と言いながらも、その後の入局のことを考えると煩わしいなどと、いろいろな理由をつけて、行かなかった。

石井 40人のうち2人しか行かなかったというのは、今日初めて聞いた。小林先生のように率先して海外から新しいことを学ぼうという雰囲気は、当時はなかった。

司会 小林先生が、アメリカを目指された理由は何ですか。

小林 僕は戦争中、海軍兵学校にいたから、ともかく日本を負かしたアメリカがどういう国なのかを見たかった。それと、アメリカで医学教育がどのように行われているのかも知りたかった。アメリカは卒業後の教育が徹底しているから、病院にインターンで行けば医学をきちんと学べる仕組みが出来上がっていた。

司会 小林先生が昨年出された自伝的エッセイ『Koby's Note』(東京医学社)には、先生は欧米へ行かれて2つの大切なことを学んだと書いてあります。1つは、医学だけではなくて、「ネイチャー」や「サイエンス」のような科学雑誌を幅広く読んで、医学以外の勉強もすること。それと学生同士が自由に意見を言い合うこと。日本に戻られて、そのような体験を生かそうというお考えはあったのでしょうか。

小林 もちろんありました。だけど、日本で生かそうと思っても、なかなか難しくて、できなかったな。

榊原 いや、先生は生かしておられたと思うのです。東大の医学部では、チャートラウンドという、入院している患者さんについて週に2回、教授の前でプレゼンテーションして、いろいろな人が意見を言い合うというのがあるのです。小林先生が教授のときには、みんな勝手に「こうじゃない?」と意見を言うので、私はそれがチャートラウンドだと思っていました。そこで、別の大学の小児科の先生に聞いたら、「いや、違う。チャートラウンドというのは、教授が『これは何かね?』と言うと、受け持ち医が『こうでございます』とかしこまって説明するものだ。自由に意見を言ったりするようなものではない」と言われて驚きました。私は研修医のときも、生意気にも「先生、これはこう思います」と自由に意見を言うことができたのです。小林先生から感じる自由な雰囲気は、多分アメリカで培われたものなのかなと思いましたけど。

小林 僕は割合に、どうなんだろう、アメリカに行ったということも関係しているのだと思うけれども、チンパンジーのことを研究していたグドールさんなどの話を聞いたりして、僕自身が新しいことを勉強したいという気持ちが大きかったのだと思いますよ。

event_02_02_08_02.jpg
小林名誉所長


榊原 私は臨床講義に出ていたのですが、小林先生は他の先生方と全く違うのです。ほかの先生方はきっちり準備されてきて、子どもの病理について、グワーッと講義をされるのですが、小林先生の講義には、チンパンジーの研究者のグドール博士やスローウイルスの研究でノーベル賞をとったガイジュセック博士が来たりして、小児科学という壁を越えていたのです。先生は自然体でなされていたのかもしれませんが、小児科の授業はユニークだった。先生は最初にイントロダクションをされて、あとはニコニコしながらゲストの話を聞いておられる。それで、「いや、これっておもしろいな」と感想をつぶやかれる。

医学・工学的アプローチによる母子相互作用の研究

司会 そのような自由な考え方には、石井先生の影響もあるのではと思うのですが、石井先生はもともと医学部でいらっしゃったのに、どうして工学部に移られたのですか。

石井 その質問はもう何千回と聞かれている(笑)。医学というと、臨床医学が普通ですけど、実は子どもの健康に関して一番影響が大きいのは衛生問題なのです。衛生状態が悪いと、子どもがたくさん死にます。戦後の日本でも感染症と栄養の問題は、とても深刻でした。ですから、戦後復興でまずやったのは衛生のレベル、すなわち生活レベルを上げることですね。

僕たちの世代というのは、戦地にこそ行かなかったけれど、特攻隊につながる世代でしたから、日米の科学技術のギャップが骨身にしみている。戦争が終わったときに、都市が全部焼け野原になっちゃって、ショックを受けて、茫然としていたわけです。

そんな時代背景があって、僕は人間の生物的なところにとても関心がありましたが、同時に、科学技術に関係する物理学とか工学にも興味があった。それで両方いっぺんにやりたいと思い、順番としては医学を先にしました。先ほど小林先生が医学の世界はアメリカよりもずっと遅れていたと言いましたが、それは産業界でも同じことです。例えば、工学の分野に進んでから、医療機械についても、医療機械協会で調べましたが、全然遅れていました。ツールが弱いと学問的な業績も、当然上がらない。いまで言うメディカル・エレクトロニクス(医用電子工学)、医工学系の充実をはかるためには、まずは製品づくりの基礎となる工作機械、マザーマシンのキャッチアップが必要不可欠だと思っていました。

event_02_02_08_03.jpg
石井特別顧問


司会 先生の著作『ホロニック・パス』(講談社)を読ませていただくと、工学に行かれてもバイオモデルというか、生物的なシステムへの関心は続いていたとありますが、"母子相互作用"もその一環としてあったのでしょうか。

石井 小林先生と行ったエントレインメント(相互作用による引き込み現象)、母子相互作用の研究が典型的な"医工学的アプローチ"ですね。サイコフィジカル(精神物理学)というか、母子関係みたいな領域に入っていくのは、初めての経験でした。小林先生のアイデアで、運動と母親の呼びかけのシンクロニゼーション(同期)を、画像処理の数値的なアウトプットとして出したわけです。

小林 赤ちゃん研究を愛育病院で始めるということになって、石井先生のチームが乗り込んできてくださって、セットアップしてくれた。そして、小児科の雑誌に載せようと、いろいろなデータを全部まとめてみると、あっと驚くような結果が出てきた。それは何かといったら、母親が赤ちゃんの行動に引き込まれて動き出すということ。

石井 お母さんが語りかけるときのエネルギーレベルが測れますから、そのカーブと子どもの手の動きを計算してみると、相関係数がきちっと出るわけ。でも、そこまではまだ予測できた範囲ですよね。

ところが、子どもがお母さんに合わせているだけでなく、お母さんが子どもの動きに合わせて呼びかけている。そっちのデータも出るのです。だから、相関係数の山が2つ出ちゃう。これはおもしろいということになりましてね。

榊原 観察だけじゃなかなかわからないのが、やってみたら、赤ちゃんとお母さんが踊りのパートナーのように......。

石井 そうそう、同調するわけですね。

榊原 つまり、子どもがお母さんに引かれるだけじゃなくて、お母さんも子どもに引かれる。

石井 普通ではわからないことが、計算で出ますからね。データでちゃんと解析すると、絶対的な証拠になる。

司会 いま聞いても、新鮮でおもしろいのですが、こういう研究をされたことが、小林先生が1980年代の初頭に子ども学を提唱されたことにつながっていったわけですよね。(前編②に続く)

| 前編 ① | 前編 ② | 後編 ① | 後編 ② |

TwitterFacebook

遊び

メディア

特別支援

イベント新着記事

所長ブログ

Dr.榊原洋一の部屋

小林登文庫

PAGE TOP