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CRNトークセッション「子どもは未来である~子どもの夢を育むために~」前編②

2016年7月 1日掲載
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CRN20周年を記念して、現所長である榊原洋一氏と、創設者であり、現在は名誉所長の小林登氏と、創設に深く関わってアドバイスをいただいた特別顧問の石井威望氏の三人で、子ども研究の過去をさかのぼりながら新たな未来を展望するトークセッションを開催しました。

小林氏が「子ども学」を提唱されたのが1980年代。重厚長大産業に支えられた高度成長期が終わり、自然環境や生活とのバランスの取れた新たな社会を模索していた時代です。前編では、大平総理の私的諮問機関である政策研究会のメンバーになり、アカデミズムの立場から、専門領域を超えたさまざまな提言もされた小林氏と石井氏に、現在につながるターニングポイントの時代を振り返っていただきました。
| 前編 ① | 前編 ② | 後編 ① | 後編 ② |

医学を超える学際的な研究をめざす

司会 小林先生は、子ども学を研究するためには、いろいろな分野の人を集めないとダメだと盛んにおっしゃっていました。どうしてそう思われたのですか。

小林 そもそも最初から、学際的に研究するということが、あの時代の赤ちゃん研究のトレンドだったわけだよ。赤ちゃん研究をしていても、研究者は学際的にいろいろな物事を考えながらやっていて、赤ちゃんのことにとどまらないわけだね。

榊原 小児科の医者をやっていると、どちらかというと病気を治すという視点でみるので、普通の発達をしている赤ちゃんのことは関心がない人が多い。いわゆる健康な赤ちゃんがどうやって発達していくのかは、案外見ていなかったかもしれない。

赤ちゃんに対しては、「物も見えていないし、何も考えていない。ただ反射だけで動いているんだ」という思い込みが、専門家の中にもあった。ある本を読んでいたら、赤ちゃんというのは、色が赤いから、"泣くことのできるニンジン"だと書かれていたのです(笑)。他にも赤ん坊というのは、大脳が働いていない、"中脳動物だ"というようなことを専門家が堂々と言っていた。それはどうも違うらしいぞと、小林先生が言われて、これはおもしろいとなった。

石井 私も、小林先生が、「舌を出したら、生まれたばかりの赤ちゃんがつられて出すよ」とおっしゃるから、本当かなとやってみた。すると、ベロッと出さないにしても、口をもぐもぐしますね。赤ちゃんでも、大人がやることを見ているのですよ。

榊原 医学には大きなブレークスルーがあって、小林先生は敏感にそれをキャッチされていた。例えば、小林先生の専門であった免疫学の世界では、リンパ球がいろいろなばい菌を識別していることが明らかになって、免疫学がすごく変わった。赤ちゃんも"泣くことのできるニンジン"とは違うのだとわかって、赤ちゃん学がすごく変わった。そのような新しい動きをつねにキャッチされていたのかなという気がします。

司会 それで、日本にもアメリカやイギリスのように、赤ちゃんや子どもを学際的に研究する学会をつくるなり、研究をするなりしないと、世界の流れから外れて、遅れてしまうという意識があったのですか。

小林 そうだね。あったと思いますよ。

榊原 小児科の世界にも、例えば新生児学会や小児保健学会のような似通った学会があるのですけど、どちらかというと、治療や予防が主体になっている。多分、小林先生は学際的なことをやるには新しい場所が必要だったと思われて、相次いで「赤ちゃん学会」と「子ども学会」をつくられたと思います。

「子ども学会に、もっと小児科のお医者さんを入れたい」と言うと、先生は「あまり小児科のお医者さんを入れる必要はない」ということをいつもおっしゃいます。これは医学の世界ではすごく希有なことで、医学の世界って、医者でまとまることが結構多いのです。小林先生は、それまでの医学の世界をよくご存じで、新しい土俵が必要だと思われたのではないかと思います。

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「子ども学」は時代のターニングポイントで誕生した

司会 小児科学の領域に、いろいろな人たちが入ってきてくださいという考え方もあるけれど、逆に小児科学をほかの分野に投げていくことで、ほかの分野が刺激されていくということもありますよね。

石井 先生が新しいアプローチで子ども研究をしていたから、当時の大平総理にご紹介した。そうしたら、大平総理がすっかり小林先生に惚れ込んでしまって、人づくりは小林先生でいこうということになった。小林先生は子ども研究の魅力を、外の人にとてもうまくお伝えになったように思う。

司会 単に赤ちゃんや子どもの研究というのではなくて、人間そのものの根源的な研究でもある。あと発想ですよね。ひとつひとつの対象だけじゃなくて、相互間の、子どもに関わらず人間相互の関わりとか、次の情報化時代の先駆けとなるような......。

石井 そのとおりですね。エントレインメント(相互作用による引き込み現象)は子どもだけのことではない。大平総理もものすごく感動された。それで、大平首相の元に政策研究会ができると、小林先生も自然にメンバーにという流れになっていった。

司会 大平総理の私的諮問機関である政策研究会は、日本が大きな転換を遂げる上で重要な研究会だったと、研究者の間では、いまだに言われています。情報化社会、ソフト化社会、エコロジー、田園都市構想、いまにつながる政策提言が行われた。

石井 これは全く権力闘争にかかわるような政治的なマターではなかった。どんな内閣だろうが何だろうが、やらんといけないことだと思っていた。あの政策研究会は、大げさに言うと、1980年以後の日本のロングレンジのポリシーを決める場だった。

司会 大平首相はこの研究会を実施するに当たって、「"経済重視の国"から"文化重視の国"に転換するのだ。知性がこの国の財産だ」と言っていた。

石井 要するに、哲学を変えようということになった。戦後復興は成功した。重厚長大産業も実現した。自動車産業がやっとキャッチアップできた。オイルショックも何とか切り抜けた。そして省エネ、省資源、それから公害問題、環境問題も全部クリアした。ある意味、自信ができたわけです。そして、この頃から、我が国があと少ししたら、ものすごい長寿国になるということもわかってきた。そこで、1980年の時点で、日本のシステムを根本的にどう変えるのかが話し合われた。

それで、私と小林先生が幹事をやっていた科学技術の史的展開グループでは、「ホロニック・パス」というキーワードを出しました。例えばエネルギー多消費型のハードエネルギー・パスでいくと、生産力は上がっても、環境破壊がすごくなる。しかし、自然エネルギーに回帰するソフトエネルギー・パスでいくと、逆に生産が伸びず、能率も落ち、経済もダメになる。そのような二者択一ではなくて、環境を保全しながら、高度な産業技術も発展させる。そういうフィロソフィー(哲学)を、大平総理をはじめみんなが合意した。そこで徹底的にやろうとなった。成功するかどうかはわからないが、努力はする。そこに人材をつぎ込む。教育も変える。国土も変える。そして、現実はその通りに進んだと思うのです。

司会 「ホロニック・パス」は石井先生の著作によれば、全体と個の間の関係を尊重し、自律分散型の社会にして、調和的な発展をめざすものとされています。後のインターネット時代に通じる先見的な考え方だったのではないかと思います。そして、それに並行して小林先生が学際的な「子ども学」を提唱された。母子相互作用に象徴されるような個体同士の働きかけでシステム全体が変化していくという生物学的なモデルが、産業も含めて社会全体の変革モデルの根底にあったというのは、大変興味深いです。1980年代というと30年以上前になりますが、いまだにまったく古びていない発想であることに驚きます。(後編①に続く)

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