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戦争孤児の明るい歌声

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私は3歳から5歳過ぎまでの2年半、母と子だけの家庭環境で育ちました。貿易会社勤務の父が、2年半ほど単身でアメリカに滞在していたからです。まだ飛行機の便が一般的ではない時代でしたので船による渡航で、父は渡米中一度も帰国しませんでしたし、自宅に電話機がなかったので、2年半の間にただ1回だけ家の隣にある町工場の電話を借りて話をしただけでした。通っていた幼稚園の園長先生(男性)が、運動会などの行事の度に私の父親代わりをしてくれたことを思い出します。

父が帰国した時、まだ日本には普及していなかったテレビや蓄音機を持って帰ってきたために、我が家にはにわかに電化製品が増え、友人がテレビを見にやってきて、何か誇らしい気持ちになったことも記憶に残っています。

蓄音機とともにたくさんのレコードも持って帰ってきました。クラシック音楽のレコードに混じって、ウィーン少年合唱団(と勝手に思っていた)の子どもの合唱曲が入ったレコードがあり、気に入って何回も聴き入っていました。
収録曲のなかに、気分がうきうきするような明るい曲があり、メロディーを口ずさんでいました。

ずっと後になってCDの普及が進みLPレコードを処分する時に、このウィーン少年合唱団だと思い込んでいた合唱団の名前が、オーベルンキルフェン合唱団であることに気がついたのです。そして私が口ずさんでいた明るい曲が、Der fröhliche Wanderer(英語名The Happy Wanderer)だったのです。

第二次大戦後にエディス・メーラーというドイツの女性が、教会に預けられていた子どもたちを集めて、大部分が孤児からなる合唱団を作りました。1953年にこの合唱団は、イギリスで行われた合唱大会でこの歌をうたい優勝したのですが、明るく心弾む歌であったために、イギリスのヒットチャートで長期間一位を占め、全世界で口ずさまれたのです。アメリカにいた父も、有名になったこの歌の入っているレコードを買ったのでしょう。

「私のお父さんはハッピーなワンダラー」で始まる山歩きの明るい曲が、大戦で傷ついたヨーロッパの人々の心の清涼剤として作用したのではないでしょうか。 思い返せば、日本でも戦後「高原列車は行く」とか「青い山脈」といった明るい曲が流行ったのは、国民に未来への勇気を与える曲想だったからでしょう。

合唱団の明るい歌声の主である子どもの多くが、戦争孤児であることを知ったとき私は大きな衝撃を受けました。たとえ親がいないという逆境にあっても、もう残酷な戦争がないということが、子どもの声を明るく響かせたのです。

明るい未来の予想は、子どもに生きる勇気と希望を与えるのだということを実感させてくれる歌声でした。

注:なおObernkirchen Children's Choirと検索するとYouTube(https://www.youtube.com/watch?v=j_QJi7wVENE)で聴くことができます。

筆者プロフィール
sakakihara_2013.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめて出会う 育児の百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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