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人の行動には、それなりの理由がある:突然にキレるわけではない

要旨:

最近アメリカの大学で起きている殺人事件は、殺人者の多くはその学校の学生で、個人的な付き合いも、何の恨みもない学生を撃ち殺すというものである。こうした訳のわからない行動は,「突然キレた」と言って片付けられることが多い。しかし、悲劇的な信じられない行動が一見突然にはじまったときでも、その行動には、例外なく数年にわたるプロセスが先行しているのである。個々の経験、あるいは小さなひび割れの蓄積が、どのようにして一人一人の精神的安定を蝕んでいくのか学ぶことができたら、精神的破綻に起因する大惨事が今にも起きようとしていることを、もっと敏感に察知できるようになるだろう。

最近アメリカの大学で起きている殺人事件には、どの分野の専門家も途方に暮れているようだ。殺人者の多くはその学校の学生で、個人的な付き合いも、何の恨みもない学生を撃ち殺すというものである。直近では、北イリノイ大学で起きた事件が、教育者、心理学者、精神科医たちに問題の緊急性を感じさせている。彼を知る人たちが、このような恐ろしい暴力事件を起こすような男ではないと考える若い男子学生が、あらわな怒りを爆発させて攻撃したことに、困惑しているのだ。私達のこの問題は、科学的な追求を要する他のどの分野でも我々の知識が深まったこの21世紀において、人間の発達や行動については未だ甚だ無知であることに起因していると私は確信している。

 

地球規模でこの深刻で悲しい現象が進んでいるのか否か、それを突き止めるための検証が、このような暴力行為の蔓延に対し充分にされてはいない。日本を含むアメリカ以外の国々でも、同じような暴力行為が起きていることが指摘されている。常軌を逸する攻撃行為の閾値が国によって違うとしても、他人を傷つけることに駆り立てられる人々について、明確な理解には未だに至っていない。

誰かが通常の予想を超える行動をとるとき、人は戸惑う。全ての人が、精神的に正常か、異常か、そのどちらかに属するものと人々は考えがちであるからである。いつもは全く普通の行動をとっており、もちろん暴力的でもない人が、突然豹変するような世界は受け入れられないのである。そこで、こうした訳のわからない行動を説明するために、手っ取り早い説を打ち立てる。つまり、「突然キレた」と言って片付けるのである。

自分がよく知っていると思われる人、あるいはよく知っていると思い込んでいる人が正気を失った行為やショッキングな行為に走る可能性について、誰もが自分の理性的な予想が間違っているなどとは考えたくない。そういう思いからきた気休めの結論である。

5人の学生を殺害、16人に怪我を負わせた後に自殺した、ノーザン・イリノイ大学の27歳の大学院生について、新聞報道の記述には以下のような内容も含まれていた。「優秀な学生」、「一目おかれている」「落ちこぼれではない」、「学部長賞受賞者」、「学内の指導的なポストに立候補」、「人に好かれるタイプ」、「話しやすい」、「模範的な学生で、いい人だった。彼に何かが起こったとしか考えられない。」

事件当初は、殺人者は気の弱い男で、この殺傷事件における行動は、彼の性格からはまったく有り得ない事で、予測できる余地は全然なかったとかなり断定的に報道されていた。が、その後、事件前の6ヶ月間に様々なタイプの銃を購入しており、そのいくつかは同一の販売業者から購入していたことを我々は知るのである。そして今にいたっては、精神科に通院していて向精神薬を処方されていたこと、おそらく、自分で服用を止めてしまって治療を中断してしまったことがわかってきた。周囲と関係を持たない人物であると周りの人から思われており、交際中だった女性は、彼の行動は何かかなりおかしいと感じることが数回あったと思い起こしている。

多人数殺傷事件のほとんどが男性によるものであるが、女性による攻撃もないわけではない。女性の場合は、殺人者と犠牲者に家族、親戚関係がある場合が、男性による事件よりも多いが、それにしても、こうした行為を予測できなかったケースが多い。数年前に起きた母親が自分の5人の子どもを溺れさせてしまった事件は、アメリカ社会に多大な衝撃と驚きを与えた。知人、教師、隣人の誰もが容疑者の母親は、「本当に普通の」人で、事件を起こしたときには「正気を失っていた」に違いないと主張していた。他にどうしたら母親がこんな冷酷なことができるというの、と自問自答した結果だろう。この暴力行為の強烈さは、母親の友達にとってどうしても理解不可能なものだったのだ。

しかし、突然心が壊れるということも、神経が切れるということもない。悲劇的な信じられない行動が一見何の予告もなく突然はじまったときでも、その行動には、例外なく数年にわたるプロセスが先行している。事件前に殺人者の行為を予測することはできなかったとしても、思い起こせば理解できる行為なのである。こうした認識を持つことが非常に重要であり、子どもや思春期の青少年の発達の専門家による経歴及び生活の研究も、こうした立場に信頼性を与えるものとなっている。

人類の発展や行動科学の領域とは別の自然現象にも共通しているものが多い。堤防が突然決壊し、大きな洪水が起きたとしよう。多くは、何も進んでいないかのように見えても、それに先駆ける数十年の間、簡単には気が付かない小さな侵食が実は徐々に進んでいて、やがて壊滅的な決壊にいたったのである。こうした自然現象の場合は、何の前触れもなく起きた現象として片付けることなどできないであろう。

人間には歴史がある。個々の経験、あるいは小さなひび割れの蓄積が、どのようにして一人一人の精神的安定を蝕んでいくのか学ぶことができたら、精神的破綻に起因する大惨事が今にも起きようとしていることについて、もっと敏感に察知できるようになるだろう。普通の人よりも精神的に脆い人々がいる。こうした個々の違いもまた研究していく必要がある。理想を言えば、精神的な脆さを察知する能力を増し、建設的、人道的な介入を行えるようになるべきである。こうしたアプローチは、航空機の製作や改良といった物理の分野で、また、薬の製造や検査などの化学の分野、危険性が高いとされた橋のアセスメントや補修における工学技術の分野で、効果をあげている。

我々がもし、「正気を失った行動」は偶発的なもので、本質的に予測不可能であり、理解できないものであると信じるならば、問題の核心に迫ることは決してなく、大量殺人を防止することも不可能であろう。人間の行動に起因した出来事は、すべての自然現象と同様に、その因果関係が分析できる対象であると、今日の科学者は確信している。地球上のここかしこで見られる人間の問題の多くは、"行動に起因する偶発事故" に絡んでいるため、人間の行動の科学を大きく発展させ、我々が探究する人道的目的を達成させていくことが必要であろう。

ノーザン・イリノイ大学の犯人の行動を防止する機会を逸したのは、悲しいことだ。ある人々を恐ろしい暴力行為に駆り立てる生活環境、心理的特徴を徹底的に研究することで、このような痛ましい事件を防止することが可能になるだろう。周囲の人々の生活の質を脅かすことなく、危険な人々の行動を予測し制御することを可能にすべきである。ある人々にとっては、考え方をかなり飛躍させなくてはならないことかもしれないが、多くの神経科学者、行動心理学者、小児の発達の専門家たちにとっては、もはやとっぴな夢物語ではない。

筆者プロフィール
ルイス・P・リプシット Lews P. Lipsitt (ブラウン大学心理学/医科学/人間発達学 名誉教授 Ph.D.)

Brown University Child and Adolescent Behavior Letter の創立編集者、2006年京都で開かれた「国際赤ちゃん学会」では、乳幼児の行動と発達の分野における長年の研究で日本赤ちゃん学会から表彰された。
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