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所長ブログ

学びに向かう力

榊原 洋一(CRN所長、お茶の水女子大学名誉教授、
ベネッセ教育総合研究所常任顧問)

2017年4月14日掲載
私事ですが、この3月で大学を定年退職しました。年度末の繁忙と引き継ぎなどで、しばらくこのブログを書く時間もとれませんでした。今日から、新たな気持ちで、人生の第3クオーターを開始しますので、よろしくお願いします。


さて、今回のテーマの「学びに向かう力」は、ベネッセ教育総合研究所が、social-emotional skills(社会情動的スキル)というやや固い用語を一般の方に分かりやすくするために考案した用語です。

子どもを含めて私たちが、言葉や人間関係のルールだけでなく、学校で教科を学ぶために必要な能力は何でしょうか?すぐに思いつくのは、知能です。文字を読んだり計算したり、あるいは記憶したりする能力の中枢は、大脳皮質と呼ばれる脳の表面にあります。皆さんも、側頭葉に聴覚性言語中枢があるとか、前頭葉には運動性言語中枢がある、といった記述を見たり聞いたりしたことがあると思います。また、記憶には海馬という脳の奥にある部位が関連していることもご存知かもしれません。海馬は脳の奥にありますが、これも大脳皮質の一部なのです。

こうした脳の部位(大脳皮質)が、言語学習や記憶など知能の大事な働きに関連していることは間違いありません。こうした能力は、心理学では「認知能力」と呼ばれており、これまで脳科学者や心理学者が、学習や教育との関連で関心をもって研究してきました。

ところが、近年の研究や調査によって、認知能力が発達するだけでは、効果的な学習はできないことが分かってきたのです。

そうした研究の嚆矢は、ウォルター・ミシェルという心理学者が行った、俗に「マシュマロテスト」と呼ばれる実験です。

5歳くらいの子どもの前にマシュマロをおいて、「すぐに食べていいよ。でも、5分間我慢したら、もう一個マシュマロをあげるね」と言って、子どもを一人きりにします。すぐに食べてしまう子どもと、我慢して待ってもう一個もらう子どもに分かれますが、ミシェルはこの実験の10年後に、実験に参加した子どもたちの詳細な心理テストを行いました。5歳時点での子どもたちの知能(IQ)は、すぐに食べてしまった子どもも、待てた子どもも同じですが、10年後に調べると、学業成績だけでなく、社会性や共感能力など、すべて「待てた」子どもの方がよい成績を納めたのです。

この「我慢できる」能力こそ、社会情動的スキルの一つであり、「学びに向かう力」の一部なのです。学びに向かう力は、教室で教師が黒板に書いた内容を一生懸命写し、記憶することでは身に付きません。では、どうやって、身につけることができるのでしょうか?

実は、まだよくわかっていないのです。世界中の教育や心理学、脳科学の研究者が、その回答を必死に追い求めているところです。


さて、昨年の秋に、日本子ども学会の学術集会が、浜松で開催されました。その基調講演で、安西祐一郎さんが話されたことをご紹介します。安西さんは、中教審の委員長をつとめ、また今は日本学術振興会の理事長をされています。いわば、日本の教育や研究の大方針を決定する重要な位置におられる方です。

講演のタイトルは「未来に生きる子どもたちのために―おとなは何がしたいのか?」でした。

皆さんは、このタイトルをみて、おやっと思いませんか?私も、サブタイトルは「おとなは何をすべきか?」ではないのか、と思いました。しかし、実際にお話を伺って、安西さんはこの「何をしたいのか?」に大きな気持ちをこめていたことが分かりました。

何をすべきか、と何をしたいか、の差はなんでしょうか?些細な差のように見えます。しかし、この2つの疑問には心理学的にも、脳科学的にも大きな差があります。

「何をすべきか?」という問いに応えるためには、自分が置かれている状況を分析し、その結果から「自分には何が求められているのか」を導きだす必要があります。この分析的な頭の働きは、まさに認知的な過程です。

翻って、「何をしたいのか?」という問いに応えるためには、自分に何が求められているのか、分析する必要はありません。自分の内面からわき上がってくる気持ちに従って、決定すれば良いのです。内面からわき上がって来るのは、単純な知識ではなく、情動そのもの、あるいは情動で色濃く染められた知識です。


安西さんの詳しい話の内容は忘れましたが、瀬戸内海の小豆島に住む子どもたちの実話を使って、子どもたちも「するべきことをする」のではなく、「やりたいことをする」方がいいのだ、というメッセージが込められていました。


まさに、学びに向かう力についてのお話だったのです。

筆者プロフィール

report_sakakihara_youichi.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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