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バリ、無料産院レポート

中村 美香 トーマス

2009年9月18日掲載

要旨:

以前住んでいたバリ島を訪問。ウブド村の無料産院、ブミ・セハットについてレポートする。クリニックを開いたアメリカ人女性 ロビン・リムは、バリの友人が産後の出血多量で命を落とした悲劇をきっかけに、ASEAN諸国で妊産婦死亡率が一番高いインドネシアの状況を少しでも変えたいと思い、自宅での食事指導から活動を始めた。彼女のビジョンに賛同する輪が世界中に広がり現在のクリニックの姿に至っている。ロビンはこれらの活動に対して2006年、欧州のAlexander Langer International Peace Award を受賞、彼女が唱える「平和な未来のためのやさしいお産」のメッセージは確実に広がっている。ブミ・セハットでのお産の様子も紹介する。

アロハ!

8月頭にバリ島へ行ってきました。以前、5年ほど住んでいた事のある、私にとってとても縁の深い場所です。友達もまだたくさん住んでいますし、故郷へ帰省するような気分になります。


report_09_16_1.jpg田んぼの風景

今回の旅の大きな目的は、山側のウブドという村にある無料産院でのお手伝いです。このクリニックは一人のアメリカ人女性、ロビン・リムのビジョンから、スタートしました。

17年ほど前、 彼女と夫のウィルは新天地を求め子供4人を引き連れバリへ移住しました。元々女性支援活動をしていた彼女は、アメリカで産後の母体ケアについての本(After the baby's birth)を出版するほどの活動家。詩人でもあります。

彼女は5人目の子供をバリでウィルの助けを借りて自宅出産しました。同じ頃に、バリ人の友人も出産したのですが、彼女は栄養不足から悲しいことに産後の出血多量で亡くなってしまったそうです。この悲劇をきっかけに、彼女のミッションは始まりました。インドネシアの有力紙ジャカルタ・ポスト(2006年4月21日付け)によると、国内の妊産婦死亡率は十万人の出生あたり307人で、約1000件に3人とASEAN諸国で一番高いそうです。

 
report_09_16_2.jpgロビンと家族

ロビンはこの状況をなんとか少しでも打破したいと、バリの小さな自宅の部屋から食べ物や栄養摂取の仕方の指導を始めていきました。今でこそ彼女のビジョンと行動に賛同する人たちの輪が世界中にも広がりましたが、現在の姿に至るまでには紆余曲折、山あり谷ありの道程でした。一時期はあきらめかけて、アメリカに2年ほど家族で引き上げたこともありましたが、思いは捨てきれず、更に彼女自身も勉強をつんで再度取り組んでいったわけです。

イブ・ロビンとは彼女の次女と私の長男が通っていたママたちの参加型プレイグループ(保育園のようなもの)で知り合いました。子供たちは全員で10人ほどの小グループだったこともあり、皆が一つの大きな家族のような関係でした。彼女たちがバリに移住した同時期に、私たち家族も2年ほどバリに住んでいましたので、初期の頃から状況をよく知っています。先輩ママとして、彼女から学ぶことはたくさんありました。今でも多くのことを教えてもらっています。

ロビンの始めた産院は、現在では、インドネシア人の担当医や、助産師さんたちが登録されている正式なクリニックとして運営されています。産院の名称はヤヤサン・ブミ・セハット。ヤヤサンはNPOを指します。ブミ(地球)、セハット(健康)という意味です。ブミ・セハットの足跡やレポートなどは英語ですが、ホームページに詳しく載っています。http://www.bumisehatbali.org

 
report_09_16_3.jpgブミ・セハット(産院)の入り口

 
report_09_16_4.jpgブミ・セハットのロゴ石碑

ここでは、妊婦検診、分娩だけでなく、自然家族計画、産前産後のケア方法、リスク回避の判断力、栄養指導、必要なサプリメント支給、母乳育児指導、緊急時の救急車搬送サービスなど全てを無料で行っています。また、ウブドがあるギアニャール地区の保健省とも協力しながら、必要なエリアでの保健衛生についての指導なども2003年から始めています。2002年のテロ事件以降、バリの経済の格差はさらに広がり、ブミ・セハットのサービスを必要とする人たちは年々増え続けています。私の滞在中、ちょうどインドネシア語に訳されたロビン著の「母乳育児と産後の母子ケア」の下刷りが上がってきました。これが一万部刷られ、無料配布されるということです。ロビンは待ちに待ったこの本のできに大満足、大興奮していました。

他に週に一回、鍼灸師や漢方医も検診にきます。また、週に2回、バリ人のレイキ(霊気)マスターが、グループヒーリングワークをしに来てくれます。
 
report_09_16_5.jpgレイキマスター(黒いTシャツの紳士)レイキを受けた人々

今回、私の滞在中は、珍しくスローな週だったようです。お産も一日に一件ほどでした。多い時は11床すべてが埋まることもあるそうです。クリニックには24時間シフト制でインドネシア人の助産師さん二人が常駐しています。若い方もいれば、50代後半のベテランもいます。ベテランたちは、とても力強い助っ人です。35年ほど病院で勤務して、リタイアし、その後も社会貢献のために働き続けたいと、ここに来るようになったそうです。オフィスで経理やマネージメントをしているバリ人の優秀なスタッフたちも、仕事に愛と誇りを持っているようでした。総勢19名のスタッフ数で、うち9名の助産師さんたちが交代制で勤務にあたっています。インドネシアでは、女性の敬称としてイブ(母)を名前の前につけます。イブ・ロビンと皆に親しみを込めて呼ばれる彼女の自宅は、このクリニックから歩いて2分もしないところにあります。いつでも出動できる体勢にいるわけです。私が住んでいたころは、電話線一本ひくのにも大変なことだったのが、今や携帯電話が普通に使われ、これは緊急の場合にも、なんと役立つ利器かと思います。
 
report_09_16_6.jpg現地のベテラン助産師さんたちと

さて、滞在二日目にちょうど陣痛が始まり、夕方に入院した21歳の学生ママと夫、母親の3人に会いました。かわいい彼女の名前はオシン。なんと、彼女が生まれた時にテレビで『おしん』が流行っていたそうで、そう名付けられたそうです。明日会うときには、もう赤ちゃんと一緒ね!と言って別れました。

翌日、お昼すぎにクリニックに出向くと、オシンちゃんの横にかわいい女の子が寝ていました。午前3時頃に生まれたそうです。お母さんや妹たちも駆けつけてきて、皆でベッドを囲み会話がはずむ中、日本語でいい女の子の名前はないかしら?ときかれました。いろいろ思い浮かべて、オハナ(お花)ちゃんはどうかしらと提案。日本語では花、ハワイ語では家族という意味よ、と伝えたらかなり気に入っていたようでした。さて、どうなったでしょう?。
 
report_09_16_7.jpgオシンと妹二人、母

雑談をしているうちに、もう一人、新たな妊婦さんが入ってきました。22歳のこちらも若いママ。二人目の出産です。ご主人も付き添っていましたが、途中で食事を買いに出かけたので、私が付き添い、背中をさすったり、飲み物を持って来たりとドゥーラ対応をして、呼吸を促しながら陣痛を乗り越えていきました。ヨガボールの上に座って、腰をゆらしながらの体勢をしばらく続け、ベッドに横になって間もなく破水があり、助産師さんを隣の控え室に呼びに行きました。イブ・ロビンにも電話をしてあり,彼女もクリニックに向かっています。水中出産ということで、浴槽にお湯をはりはじめ、妊婦さんのアリアニちゃんを勇気づけていました。浴槽に入ると、彼女のつらい表情からふっと力が抜けてリラックスしているのがわかります。すぐにいきみがはじまりました。それにあわせて、イブ・ロビンと若い助産師さんたちは一緒にガヤトリ・マントラという美しくやさしいヒンズーの女神の歌を歌います。いろいろな花を浮かべたお風呂の中で、このマントラのエネルギーに包まれ、空気は一変して神聖なベールに包まれていくようでした。

いきみはじめて30分ほどで、元気な男の子が生まれました。ご主人もすぐ横で見守り、ほっとした様子でした。胎盤は大事にボールにいれ、お湯をぬいたあと浴槽に浮かばせておいたお花で胎盤を飾ります。バリ人にとって、胎盤は赤ちゃんの兄弟と呼ばれるほど、その子の分身として丁重に扱われます。ブミ・セハットではロータスバースという方式で、へその緒を切るのは3時間以上たってから、ゆっくりとします。へその緒がとれるまで切らないでいる場合もあるそうです。バリの風習では父親側の実家の庭に胎盤を埋めます。胎盤をきれいに洗って埋めるのはお父さんの仕事。この際、僧侶もきて儀式を執り行う大切な行事です。

アリアンには3歳の長男がいます。彼は病院で産んだそうですが、その時の出産費用(約2万円)の返済をまだ続けているそうです。しかも、分娩時間制限があり、その間に産まれないと,即座に帝王切開に回されるというプレッシャー付きだそうです。同様の話はバリ人と結婚して二人の子供を持つ日本人女性からも聞きました。最初の子供は病院で、似たような圧力を受け、どうにか制限時間ぎりぎりで産まれたけれども、産後はほうっておかれ、全く母親に対するケアがなかったそうです。二人目をブミ・セハットで産み、分娩だけでなく、産後の母子へのケアなどの違いに雲泥の差があったと話してくれました。
 
report_09_16_8.jpgお産に立ち会ったアリアンと赤ちゃん

ちょうど一年前の夏に、ブミ・セハットを訪ねたとき、バリ人と結婚した若い日本人女性の出産場面に立ち会いました。彼女も同じ浴槽の中で、美しい出産をされました。今回は、この時生まれた1歳になった女の子と再会できたのも大きな喜びでした!楽しく子育て中の彼女は、あの出産体験を一生忘れる事のできない感動でしたと目をキラキラさせて思い出話をし、またすぐにもう一人作って、ブミ・セハットで産みたいと望んでいました。ブミ・セハットでの2008年合計出産数は573件。検診件数、4613件。一般外来数、1006件。ハリ治療数、686件。

また、スマトラ沖地震で津波の大被害にあったアチェにも、イブ・ロビンはすぐに出向きました。掘建て小屋からスタートしたクリニックが、いまやロータリークラブなどの支援によって、風力発電も伴う耐震性もしっかりとした素晴らしい施設となっています。津波以前にもなかったような、立派なクリニックです。ここは産院のみではなく、このエリアの唯一の医療施設として住民の人々を助けています。2008年の外来患者数は7748人。インドネシア人の医師、助産師、看護士、オフィススタッフなどで自立して運営されています。スマトラで被災した若い女性二人が今、必死に助産師の資格をとるために学校へ通っています。この二人の学費援助を全面的にされているというNGOチョウタリ・ジャパン(chautary.org)の代表である山口悦子さんとも偶然お会いしました。年に一度寄付金や物資などを届けに来られるそうで、ブミ・セハットに私がいたとき、ちょうどおみえになったのでした。

日本の慈善団体が純粋にこのような支援をされているのを知って、本当にうれしく感謝の気持ちでいっぱいになりました。

私も日本の皆さんにもっともっと、この存在を伝えて、少しでも力になっていきたいと思っています。

また、マウイのミッドワイフ・コミュニティーもブミ・セハットの支援をしています。活動資金集めのためのイベントを行ったり、ボランティアとしてバリに滞在したり。

イブ・ロビンはこれらの活動に対して2006年、欧州のAlexander Langer International Peace Award を受賞しました。彼女が唱える[Gentle birth for a peaceful future] 平和な未来のためのやさしいお産、のメッセージは確実に広がっていることでしょう。
 
report_09_16_9.jpgロビンと生後一日目の赤ちゃん

世界中から集まるボランティアワーカーたち、バリ在住の外国人ボランティアワーカーたち、皆それぞれブミ・セハットと関わりながら、大切なことを学んでいるのだと思います。ここの扉はインドネシア人、在バリ外国人、問わずに開かれており、基本的に無料。寄付をしてくださる方からはありがたく受け取っています。利用者たちにとって、どれほど心強い存在でしょう。

支援方法はいろいろありますが、物資を送るのはインドネシアの郵便事情で紛失されることも多いことから、募金が一番ありがたいようです。ブミ・セハットのホームページのMake a Donationのページに募金方法の詳細が載っています。

今年も短い滞在の間にたくさんの素敵な出会いがありました。私の心に滋養をいっぱい与えてくれました。イブ・ロビン&ファミリー、ブミ・セハットの皆さん、本当にありがとうございました!インドネシア語でテリマカシー!
 
report_09_16_10.jpg若い現地の助産師さんと
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