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マウイのドゥーラ <2>

要旨:

「私のドゥーラ初体験」は、 11年前、マウイでの自然分娩を望んで当てもなくやってきた臨月の日本人女性との偶然の出会いがきっかけとなった。助産師の紹介、滞在先探しや通訳などを手伝い、出産にも立ち会った。彼女が母へと変わっていくプロセスに触れ、生命誕生の場面に関わるという光栄な役目に感謝し、またこうしたお手伝いがしたいと感じた。海外でのホームバースには特にしっかりしたサポートが必要である。日本からの問合せが増える中、自己責任であることやデメリットなど現実的な話をして、憧れだけでは出来ないことを説明している。激変する産後の生活にもドゥーラの役割は大きく、多岐に及ぶ。やりがいあるドゥーラの活動を続け、より多くの人々にサービスを提供していきたい。

アロハ!

私のドゥーラ初体験はひょんな出会いから始まりました。11年前、あるミーティングに参加したとき、お腹の大きい日本人女性らしき方が目に入りました。声をかけたところ、マウイでの自然分娩を望んでやってきたが、まだ滞在先も、ミッドワイフ(助産師)も見つかっていないという状況だというのです。臨月に入っている彼女を放っておけるはずもなく、すぐに私の友人のミッドワイフ・ティナを紹介しました。滞在先を探すのも手伝い、運良く私の自宅のすぐ隣のコテージを借りる事ができました。


予定日を約一ヶ月後に控え、それからは、週一回の検診とカウンセリングにより、妊婦のYさんとティナの信頼関係が築かれていきました。私も通訳兼サポーターとして同席。はじめてお産に立ち会うことにわくわくでした。Yさんは初産にこのような大胆な冒険的計画で臨む、かなり直感的行動をする方でした。マウイの自然を愛することから、ここで産みたいと思ったそうです。

陣痛は微弱な状態が何時間も続きました。そんな時、ティナはよく促進させるために散歩に連れ出します。この時は、近くの人気のないビーチに行きました(別のケースでは月夜の山道散策もありました)。その晩、夜半過ぎに元気な女の子が生まれました。水中出産を希望していましたが、結局ベッドから動けず、その場での自然なお産となりました。彼女のお母様も日本から駆け付け、立ち会う事ができました。忍耐強く、そのプロセスを感じながら、信頼する人たちに囲まれてのお産は、彼女にとってとても感動的なものだったようです。赤ちゃんとのボンディング(出産直後に母親が赤ちゃんを胸に抱くカンガルーケアーをして母と子の絆を深めること)時間も十分にあり、美しい涙を流していました。彼女の母への移行プロセスの現場を目の当たりにして、私も全身がエネルギー全開になり、喜びで胸が一杯で、後片付けのために一睡もせず夜明けを迎えた後もまだ興奮状態が続き疲労感を感じませんでした。この体験は私の中の何かにスイッチを入れたかのようでした。生命の誕生場面に間接的にお手伝いさせていただく、その光栄なる役目をご縁でやらせていただいたことに心から感謝し、また機会があれば是非お産のお手伝いをしたいと思ったのでした。(この方は10年後に第二子を我が家のコテージで出産しました)

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report_09_13_2.jpg助産師のティナとマウイの妊婦さん

このことから学んだこともたくさんあります。まず、海外でのホームバース(病院や助産院などの専門機関ではなく居住の場での出産、海外では自宅出産とは言えないのでこの言葉を使うことにします)にはよほどしっかりしたサポーターが必要であるということ。それは産後にも大きく言える事です。家事全般、買い物、赤ちゃんの世話や検診、などなど、慣れない土地で言葉も勝手も違うことばかりです。通常のドゥーラとしての役割以上のケアをしてあげなくてはならない場面がたくさんあります。

その後、ご縁の繋がりにより、日本からマウイでの自宅出産に関するお問い合わせや、依頼を受ける機会が増えました。その際には、最初にはっきりとデメリットについても説明します。万が一の場合にかかる医療費の高さ(海外保険は使えません)、観光ビザ3ヶ月以内で出産に関わるすべてのプロセス、手続きを終えて帰国しなければならないこと(肉体的、精神的な負担)、産後のケアを助けてくれる家族や友人が同伴できなければ無理だということ、滞在費やレンタカーなどの経費もかなりかさむこと、全ては自己責任となる、などです。安易にイメージや憧れ、自分の都合などによってマウイ出産を決めてほしくはないので、かなり現実的な話をさせていただくようにしています。

これまで日本からマウイに出産しにくる方、マウイ在住の日本人の方を含め12件の出産に関わりましたが、お産は2度として同じケースはないことを改めて実感します。 皆さんそれぞれの諸事情があって、マウイでの出産という選択に至る訳です。その方の生き様も強く反映されますから、その個性を尊重し、よりよい対応の仕方を学びながら、毎回新たな発見をし、私自身の成長の糧ともなってきました。また、産む本人の意識や、夫婦や家族の関係性、心理状態が出産というドラマから産後の生活にいかに影響を与えるのかも目の当たりにしました。よりよい出産に持って行くために、妊娠期間中のカウンセリングの重要性を痛感し、ミッドワイフの的確なアドバイスや洞察力、直感力、対処法などからも多くを学びました。妊産師は、夫婦やパートナー、親(家族)、すでにいる子供たちとの関係性、自分の持つ不安や恐怖、ポジティブなビジョン、感情の揺れ動き、などをミッドワイフやドゥーラの助けを借りながら客観的にみていきます。出産を一つのターニングポイントとしてとらえると、自分をリセットして、自分の軸を中心に置く素晴らしい機会でもあると思います。出産により、母となる女性もリボーン(再誕生)していくプロセスはパワフルです。

report_09_13_3.jpg出産を終えて皆でポーズ(写真左端が筆者、12回目のドゥーラです)

マウイという場所は自然のエレメントを肌で感じられる所です。風(空気)、太陽(火)、海や川(水)、大地(土)。それらのパワーは偉大です。自然の中で自分を解き放す事で、今まで気がつかなかった、あるいは忘れていた自分を思い出すきっかけにもなります。自然と戯れる、包まれる、それによって、母として必要なグラウンディングや滋養力が養われます。そういう意味では、マウイ自体が持つエネルギーがドゥーラ的であるかもしれません。特に、日本の都会に暮らしている妊婦さんが来た時は、海、山、滝壺のプールなどに連れて行き、少しずつ眠っている野性の本能を呼び起こすガイドもします。感性も次第に開いていきます。自分が自然の一部だという感覚、自分に備わったパワーへの信頼と自信も膨らんでいきます。これらは出産育児への下準備として、誰もが味わっていただきたいものだと思います。

また、どのような結果も受け止める、受け入れることができるような姿勢を築くことも大切です。自分が思い描いたような出産ができなかったと悔やみ続けることは産後にいい影響を与えません。何かしらの事情でホームバースができないこともあるかもしれません。しかし、それにこだわり、執着していては先に進めません。自然と密接な関係にいると、生かされていること自体の奇跡と感謝の気持ちが沸き起こり、自分の小さな思い込みを流しやすくすることができるでしょう。私たちも大きな自然のサイクルの一部として生の営みを続けているということです。

産後の生活は激変します。慣れない育児のとまどいや、睡眠不足、母乳の不安、母体の回復など、新しいリズムへスムーズに移行できるようサポートする産後ドゥーラの役割は大きく多岐に及びます。特に家族の協力をあまり得られない場合は、コミュニティーの援護も大きな助けです。マウイではママ同士の横の繋がりも強く、家事手伝いや食べ物の差し入れ、上の子供の面倒など、お互い協力しあう場面がよくあります。移住組は核家族がほとんどなので、遠くの親戚より近くの他人、となるわけです。アメリカでは乳房マッサージが存在しません。これは日本独特の文化なのかわかりませんが、在マウイ日本人ママたちからのリクエストはかなりあり、私の産後ドゥーラはマッサージも含め母乳相談を受ける事が多いです。こちらのミッドワイフ・ミーティングでも、紹介したことがあります。

お世話をした方たちから、「とても安心感を得る事ができました」、「助かりました、ありがとうございます」などの言葉をいただくと、心から喜びがあふれ、やりがいを感じずにはいられません。人生の大きな節目に、少しでもお役に立てることをさせていただく事はなによりの充足感です。それが自分自身の滋養にもなり、一人でも多くのご縁のある方たちにドゥーラのサービスを提供していきたいと思っています。人と人とのハートの繋がりがドゥーラ精神の基本にあるもの。やさしくハートを開かせてくれるマウイのエネルギーを大切に私なりの活動を続けていきながら、その輪を日本や世界にも広げていきたいと望んでいます。女性の持つ底力に思いを馳せて。

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