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座談会「子産み・子育てしやすい社会へ~ドゥーラ的な発想を軸に考える~」

2014年12月 5日掲載
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要旨:
晩婚化・晩産化により、母親になる人の環境は激変しています。加えて核家族化が進行し、また地域の人間関係も希薄化する中で、必要な情報を必要な人に確実に届けるためにも、妊娠・出産・育児期を通して継続的に母親を心身両面からサポートする「ドゥーラ的存在(または「仮親的存在」)」が重要となるのではないか、との議論がなされました。

■ 実施概要
日時 : 2014年9月25日(木)14:30~16:30
場所 : 新宿住友スカイルーム 会議室
主催 : チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)

■話題提供者
三砂 ちづる(津田塾大学国際関係学科教授)
福澤(岸) 利江子(東京大学大学院医学系研究科助教)
持田 聖子(ベネッセ教育総合研究所研究員)

■プログラム
・持田 聖子氏の話題提供「関連データ紹介」(1)
・三砂 ちづる先生からの話題提供
「女性の出産経験から考える ―日本に"ドゥーラ"導入は必要か」(2)
・福澤(岸) 利江子先生からの話題提供
「これからの日本社会におけるドゥーラはいかにあるべきか?」(3)
・パネルディスカッション
「子産み・子育てしやすい社会へ~ドゥーラ的な発想を軸に考える~」(4)


■講演録
はじめに~「ドゥーラ」とは?

ドゥーラとはギリシャ語で「他の女性を支援する経験ある女性」という意味です。具体的には「子産み、子育てする母親に寄り添い、支援する人」のことで、いろいろなかたちで女性、母親へ精神的、身体的なサポートを提供します。

日本では、1977年に、小林登氏(東京大学名誉教授、CRN名誉所長)が諸外国で活躍しているドゥーラを日本へ紹介したことが始まりです。2005年には、アメリカでドゥーラについて勉強した福澤(岸)利江子先生が日本におけるドゥーラについて調べた結果、小林氏の記事に行き当たり、それがきっかけとなって、CRNでドゥーラに関する連載を開始。2012年には、産後ドゥーラ(※1)を養成する一般社団法人ドゥーラ協会が設立され、ドゥーラということばが日本の社会で少しずつ脚光を浴びるようになりました。そして2014年の今年、ドゥーラをもっと広い意味で捉え直し、子産み・子育てのしやすい社会づくりに焦点を当てた、福澤先生のドゥーラに関する新連載「ドゥーラCASE編」が始まっています。

今回の座談会では、このドゥーラ的な発想を軸に、子産み・子育てしやすい社会のあり方についての議論が行われました。

【話題提供①】
最近の出産を取り巻く社会環境の変化      (持田聖子)

ベネッセ教育総合研究所が2006年と2011年に実施した「妊娠出産子育て基本調査」から、データを紹介します。現在の日本は、第一子出産の平均年齢が30歳を超えるなど、晩婚・晩産化社会となり、母親になる人の環境は変化しています。親になる前に赤ちゃんとの触れ合いを経験したことがある人は全体の約半分。また、核家族化が進み、地域での子どもを通じたつながりも希薄化。妊娠・出産を家族や地縁で支える伝統が変わりつつあります。

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出産体験と育児肯定感の関係については、出産体験が「よかった」と思っている人は、その後の育児にも楽しさや充実感、自信を感じられるようになり、逆に出産への満足度が低かった人ほど、子育てに自信がもてないことがわかりました。

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そして出産体験への満足度が低い人ほど、母親に向けた心身の相談サービスの認知が低く、またサービスに満足する比率も低い傾向にあり、より必要な人に必要な支援が届いていない可能性が考えられます。支援の質の向上とともに、そのようなサービスがあることを知らせるしくみの検討も必要となっています。

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これらの調査結果から、昔に比べて、母親が孤立化しやすくなっている今の日本では特に、妊娠・出産・育児期を通して母親に寄り添い、心身ともに支えるドゥーラ的サポートが必要と考えられます。

【話題提供②】
女性の出産経験から考える~日本に"ドゥーラ"導入は必要か
(三砂ちづる)
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ブラジルで初めて聞いた「ドゥーラ」 

私がドゥーラという言葉を知ったのは、1990年代、ブラジルで助産婦(当時)を普及させるための仕事をしていた時のことです。リオ・デ・ジャネイロの大きな公立産科病院の医師から聞きました。助産婦のいないブラジルの病院に「ドゥーラ」を導入しようとしていたのです。意味は「お産のときに付き添ってくれる人」。当時のブラジルは、帝王切開率が40%と高く、病院での出産が主で助産婦はいない。妊婦がいくら痛くても、辛くても、付き添ってくれる人はいませんでした。助産職がないと、そうした発想も皆無なのです。

しかし、妊婦を放っておくのはよくないのでは、ということになり、前述のリオのドクターは、病院の近所に住む経験豊かな女性や身体運動の専門家などに妊婦の付き添いをお願いし、ドゥーラ的な役割を果たしてもらっていたのです。

日本の助産師はまさにドゥーラ

日本にドゥーラ導入は必要か。結論から言いますと、私は日本にはドゥーラの導入は不要なのでは、と思ってきました。助産師がいるからです。彼女たちが本来の助産師らしい仕事をしていれば、そこにはドゥーラ的な要素が十分に含まれるのではないかと考えています。

日本では助産院で出産する人は全体の約1%ですが、途切れることなく助産師が自律的な仕事ができる制度が続いてきた国は、実はまれなのです。助産師はいたとしても、開業権が与えられていない国も多い。たとえばフィンランドの助産師はほとんどの病院出産を扱い、とてもパワフルな仕事をしていますが、医師のいないところで出産介助をすることができないといいます。ですから地域に出ていくことができず、妊婦健診は保健師の担当となり、継続的に妊婦さんに関わることができません。一方、日本の助産院では、じっくり妊婦さんにかかわることができます。

日本の助産院を見学した途上国の医師たちは皆、医療介入をしなくてもお産が安全に行われ、おまけにお母さんはとても幸せそうで、赤ちゃんもその家族もハッピーなことにびっくりされます。日本の伝統的なお産のあり方には、ドゥーラ的要素が多分にあるのでしょう。

ドゥーラとは、成熟した女性

お産に付き添うとは本来どういうことなのか、についても考えてみましょう。ある若い民俗学者が大変興味深い研究をしています。日本のある離島には、昭和40年代まで月経小屋があり、女性は毎月月経になると「汚れているから」とされて家族から離れ、その小屋に行き、3~5日、他の女性と一緒に煮炊きをして過ごしたといいます。子どもも含め、家族や家事は近くの人に任せます。一見「汚れ」と言われて差別されているようですが、そういう名目で女性を守っていたとも言えるのではないでしょうか。お産もこの小屋で行われていました。

島では、女の子が初潮を迎えると、親族以外の「仮親」を任命し、その子の人生に付き添う習慣があったそうです。仮親は出産にも付き添い、産婦が自分の力を信じて産めるように、周囲の環境を整えていたといいます。

この仮親のしくみを通して、仮親も、サポートされる側の女性自身も、人間として成長し、成熟していくといいます。人は、人の役に立ちたいと誰もが思っています。仮親を引き受けた女性は、環境を整えるために周囲に目配りができる人です。女性自身も仮親に信頼をおいているからこそ、自らの力を信じてお産ができた。ドゥーラとは、この仮親のような「産む人の周りの環境を整える」役割なのではないかと思います。日本でも、ドゥーラ的な支援を考えるのであれば、この仮親のような考え方は、大きな示唆を与えてくれると思います。

※「仮親」については、以下のコンテンツでも詳しく紹介しています。
日本の離島の風習に学ぶ~出産における「仮親」の役割
https://www.blog.crn.or.jp/lab/03/35.html

【話題提供③】
これからの日本社会におけるドゥーラはいかにあるべきか?
(福澤利江子)
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99%の女性は医療施設で出産している

先ほど、1%の助産院のお話がありましたが、逆に言うと、日本の99%の女性は病院で出産しています。多くの病院では、妊娠中は病院の外来、出産は病棟、さらに退院したら地域(保健師など)、と担当する部門が次々に替わり、ケアの継続性が不足しがちです。医療現場は人手不足で、付き添いや励ましといった非医療的ケアは、医療の枠組みでは直接の収入にはなりませんので、忙しいと優先順位が低くなることが多々あります。私自身、病院勤務の助産師でしたが、多忙のため十分なケアができませんでした。

妊産婦さんの本来もっている力を引き出すためのケアが十分にされず、健康な妊産婦の妊娠・出産が病気のように扱われてしまうと、産む女性も支援者も医療技術に頼りがちになります。その結果、妊産婦自身が「できるだけ自然に産みたい」「できれば母乳で育てたい」と望んだとしても、「何かあったらいけないから念のためあきらめる」という方向へ向かいやすくなり、せっかく女性に備わっている力を信じたり発揮したりするのがとても難しくなります。また、そのような妊産婦さんの意思や希望に沿ったケアが提供されにくい要因には、医療訴訟の割合が多い産科医療において、近年ますます、何よりも安全を重視する傾向にあるという社会状況もあるかもしれません。このようなことが、ドゥーラが必要になった背景にあります。

日本でのドゥーラサポートのあり方は?

海外や、日本でも近年発達しつつある職業としてのドゥーラサポートのあり方について、現在の課題を考えます。まず、ドゥーラサポートは金銭換算が可能でしょうか。これは難しい問題だと思います。なぜなら、ドゥーラというのは、being、つまり「あり様」であり、本来目に見えないからです。また、金銭のやり取りによってドゥーラとクライアントの関係性が完結してしまうと、ドゥーラの寄り添いにお母さんが感謝し、その恩を次世代に返すという連鎖は、生まれにくくなるかもしれません。

次に、こうしたサポートは家族がすべきでしょうか。妊娠は、夫婦間から始まる非常にプライベートなことですが、生まれてくる子どもは、社会全体の宝という意味でも公的な意味をもつ存在です。私自身、出産後にまったく知らない人から電車や町の中で「子育ては人生の中で一番楽しいことだよ」と言われるなど、実際に心の支えになるアドバイスや励ましをたくさんいただきました。逆に実母や専門家からは、気遣い故ではありますが「大変だよ」「これからもっと大変だよ」といったネガティブなアドバイスが多かった気がします。こうした経験を通して「通りすがりの他人」から心の琴線に触れるサポートを受けることは、実は大きな意味があるのではないかと感じました。

また、ドゥーラには、資格や専門化は必要でしょうか。小林登先生は「ドゥーラになりたい人はすでにドゥーラだ」とおっしゃっており、三砂先生は、ドゥーラは成熟した女性だと表現されました。そうだとすると、点数化し採点できるような資格試験を設定したり、ドゥーラの素質をジャッジすることは難しいと思います。クライアントとしては資格のある人に頼めば安心感はあるでしょうし、働く側も有資格者であることで、自信をもって働けるというメリットはあるかもしれません。でもそのことが、資格をもたない素晴らしいドゥーラが活躍しにくくなることにつながってはいけないと思います。

すべての人がドゥーラ的な存在である社会に

理想はすべての人がドゥーラ的な存在である社会です。医療施設での出産がほとんどである日本の社会では、出産付き添いについてもドゥーラ導入の需要があると思います。現在の社会問題を克服する応急処置として、ドゥーラという職業が日本にもますます必要となってきたように感じています。現在活動しているドゥーラたちが、社会の宝として大事にされ、評価される社会になってほしいと思います。

パネルディスカッション
子産み・子育てしやすい社会へ~ドゥーラ的な発想を軸に考える~

コーディネーター:榊原 洋一(医学博士。CRN所長)

3つの話題提供を受けてのパネルディスカッションでは、「よりよい子産み・子育て」のためのサポートについて、「なぜ必要か」「何が必要か」「具体的にはどのように取り組めばよいのか」という3つの側面からの議論が行われました。以下に、各パネラーの論旨をご紹介します。

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「知らないから不安」をなくすために  (持田聖子)

子産み・子育てについては、知らないからこそ不安になる、という側面があると思います。たとえば未婚の男女は、知らないがゆえに子どものいる暮らしに対するネガティブなイメージが先行する傾向があります。現在の学校では、避妊の仕方は教えても、親になること、妊娠・出産・育児の正確な情報を伝える場があまりありません。少子化社会の中で、男女ともに、若者に向けた正確な情報提供が大事になってきていると感じます。

また、妊娠後は、子育てに関する情報もきめ細かく提供し、できるだけ不安を少なくして「よい出産」につなげられればと思います。そして、出産後は、母親の心身へのケアも充実させることで、その後の育児にも前向きになれるのではないでしょうか。情報提供や妊娠・出産期を通しての寄り添いを充実させるためにも、ドゥーラ的な支援は大事だと思います。


仮親のしくみから示唆を得る  (三砂ちづる)

日本のお産のシステムは素晴らしく、自宅出産から大学病院まで、さまざまな選択肢があります。この充実したシステムを上手に使えるように、母親となる女性がもっとしっかり、自分自身の人生を引き受けられるようにすることが大事だと思います。

そのためにも、女性は、身体的経験で「あ、これだ!」と思うものをつかんでほしい。それは出産であったり、母乳育児であったり、人によって様々ですが、身体的インパクトのある経験は、その人の人生を180度変えるような影響力があります。

そして、将来的にそうした女性になるためにも、若い女性に継続的にかかわる、先ほどの仮親のような考え方からヒントを得ることができるのではないかと思います。


サポートする側もされる側も自信のもてる社会に  (福澤利江子)

妊娠・出産という時期にある女性の感受性はとても鋭いものです。ですから、特にこの時期の女性が温かく良質な人間関係の中で過ごすことは肝要だと思います。

産科医療の現場で、医師や助産師は、人手不足や多忙のため、寄り添うケアに十分に時間を割きたくてもできていないのではと思います。そこで、妊産婦さんと医療者を同時に助けてくれるドゥーラの導入は検討の価値があるのではと思います。

最初は「ドゥーラ」という新たな職業の方がその役割を果たしつつも、最終的には社会に属する誰もがドゥーラ的な存在として、産む女性とその家族を支える社会になってほしいです。誰もがドゥーラ的存在になれる、そして、なることによって成長できるということもお伝えしたいです。支援を受ける女性は「この人にならば、すべてをさらけ出せる」と思える人を探して、妊娠・出産・育児という大事な時期に、ご自身と大事な赤ちゃんのために心をこめたサポートを十分受けられるよう、道を見つけ追求してほしいと願っています。

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今こそ必要な「ドゥーラ的(仮親的)存在」~まとめにかえて~

地域のつながりが希薄化している現在、孤立化しがちな妊娠・出産期の母親への継続的なサポートはますます重要になっています。家族とは違う身近な人と連続性をもってつながること、まさに「ドゥーラ的(仮親的)存在」があることで、安心して子産み・子育てできる社会につなげていけるのではないか、そしてこれから私たちは、その具体化に向けてできることを考える必要があるのではないかとの提案がなされ、閉会しました。


編集協力:菅原 然子

(※1)ドゥーラには妊産婦を支援する「出産ドゥーラ」と、産後女性をサポートする「産後ドゥーラ」のふたつの役割が存在します。今の日本で広まりつつあるのは、後者の方です。


プロフィール

三砂ちづる(みさご ちづる)
津田塾大学国際関係学科教授。専門は、疫学、母子保健。1958年山口県生まれ。ロンドン大学PhD(疫学)。著書に『オニババ化する女たち』(光文社)、『月の小屋』(毎日新聞社)、『五感を育てるおむつなし育児』(主婦の友社)、『女を生きる覚悟』(中経出版)、訳書に『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)、共著に内田樹氏との『身体知』(講談社アルファ文庫)等多数。

福澤(岸)利江子(ふくざわ きし りえこ)
東京大学大学院医学系研究科家族看護学教室助教。 助産師、看護師、保健師、国際ラクテーションコンサルタント。研究分野は、周産期ケアの国際比較、ドゥーラサポート。ドゥーラに興味をもち、2003-09年にイリノイ大学シカゴ校看護学部博士課程に留学、卒業。 05年よりCRN「ドゥーラ研究室」運営。社団法人ドゥーラ協会顧問、ニチイ産前産後ママへルパー養成講座監修。

榊原洋一(さかきはら よういち)
医学博士。CRN所長、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。 著書に『オムツをしたサル』(講談社)、『集中できない子どもたち』(小学館)、『多動性障害児』(講談社+α新書)、『はじめての育児百科』(小学館)等多数。

持田聖子(もちだ せいこ)
ベネッセ教育総合研究所 次世代育成研究室研究員。主な研究は、「妊娠出産子育て基本調査」、「首都圏"待機児童"レポート」「未妊レポート」など。生活者としての視点で、人が家族を持ち、役割が増えていくなかでの意識・実態の変容と環境による影響について調査・研究を行っている。

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