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所長ブログ

パターナリズムと不毛な人生

榊原 洋一(CRN所長、お茶の水女子大学名誉教授、
ベネッセ教育総合研究所常任顧問)

2018年5月25日掲載
「俺はお前の父親で人生経験も豊かだから、お前のために判断してやる」

最初から乱暴な言葉で申し訳ありませんが、タイトルの「パターナリズム(父権主義)」とはそうした上から目線の態度のことです。

少し前の本欄で取り上げた「子どもの目と大人の目」の大人の判断もそうしたパターナリズムの一種といえます。

確かに、経験が少ない年少の子どもは自分自身のことを判断することが困難なことが多々あります。予防接種の意味を理解して、自分から痛い予防注射を受けると判断する幼児はいないでしょう。本人の意志(痛い注射はいや)に反して(無視してではなく)、大人が代わりに判断しなくてはならないことが許されるのは、それが子どもの利益につながる善行(benevolence)と見なされるからです。

医の倫理学では、大人(保護者)が子どもに代わって判断する場合には、それが善行であることが条件になっています。しかし、問題はそれが善行であるかどうか判断するのも大人なのです。

私の医師としての倫理的姿勢に大きな影響を与えた経験があります。それは約30年前、大学病院の助手として受け持ったK君の診療を通じての経験でした。K君は生後数ヶ月から呼吸困難が始まり、長く続くので、確定診断のために入院してきました。様々な検査の結果、筋肉が萎縮する病気であることがわかりました。医学の教科書には、治療法はなくそのままでは幼児期に呼吸困難で亡くなる、と書かれている病気でした。呼吸困難は気管切開と人工呼吸器で良くなりますが、教科書には「治らないので、人工呼吸器をつけて延命することは勧められない」と記載されていました。しかし私はご両親と相談し、人工呼吸器を開始しました。

K君のような子どもに人工呼吸器をつけることは欧米では行われていなかったので、ある国際学会でK君のことを発表したところ、ある北米の小児神経医の大御所から、「あなたは家族の負担をどう考えているんだ!」と一喝されたことを思い出します。

欧米の医の倫理学の論文をみると、K君のような子どもへの延命治療は行わない、と書かれていました。現在では、人工呼吸器の発達でK君と同じ診断名でも人工呼吸器をつける子どもが少しずつ出てきていますが、倫理学の論文では未だに、延命治療をすべきではない、と書かれているものが多いのです。確かに医療資源の問題や家族の負担等で一筋縄では解決できない問題です。

しかし、延命すべきでない、という倫理的判断の根拠は、「一生呼吸器をつけて生きてゆくことは『不毛な人生(futile life)』であるからだ」と書かれているのです。子どもの人生を「不毛な人生」と断じて、生命延長の治療を中止することがどうしてできるのでしょうか。こうした極端なパターナリズムに立脚した「医の倫理学」の専門家の意見を私はどうしても受け入れることができないで現在に至っています。人の人生を「不毛である」と言い切り延命をしないことがどうして善行なのか、理解できないからです。

現在K君は人工呼吸器をつけて、30歳を超えました。唯一動かせる目の動きで作曲しCDを出したりしています。

筆者プロフィール

sakakihara_2013.jpg榊原 洋一 (さかきはら・よういち)

医学博士。CRN所長。お茶の水女子大学名誉教授。ベネッセ教育総合研究所常任顧問。日本子ども学会理事長。専門は小児神経学、発達神経学特に注意欠陥多動性障害、アスペルガー症候群などの発達障害の臨床と脳科学。趣味は登山、音楽鑑賞、二男一女の父。

主な著書:「オムツをしたサル」(講談社)、「集中できない子どもたち」(小学館)、「多動性障害児」(講談社+α新書)、「アスペルガー症候群と学習障害」(講談社+α新書)、「ADHDの医学」(学研)、「はじめての育児百科」(小学館)、「Dr.サカキハラのADHDの医学」(学研)、「子どもの脳の発達 臨界期・敏感期」(講談社+α新書)など。
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