CRNは、設立以来、中国との交流を積極的に進めてきた。それには、私が中国という国が好きであるという背景もあり、CRNが日本語、英語の次に、中国語のサイトを立ち上げることになったのも、これと無関係ではない。私はさらに、CRNの中国との交流の核として「東アジア子ども学交流プログラム」を作り、事あるごとに、日本と中国が一緒になって「子ども学」について考える機会をつくってきた。
日本と中国の国交正常化が1972年のことなので当然であるが、私が中国に行き始めたのは1970年代に入ってからである。その頃私は、東京大学の小児科医として、もしくは、小児アレルギー学者として中国を訪れていたが、1996年にCRNが設立されてからは、CRNの代表として、また、「日本子ども学会」の代表として、「子ども学」をテーマに交流するようになっていった。
実のところ、「子ども学」を中国語でどのように表現するのかは大きな問題になった。なぜならば、「子ども」を中国語にすると「孩子(ハイツ)」「小孩(シォハイ)」になるが、それは「ガキ」とか「小僧」のような言葉であって、その後に「学」を加えても学問というイメージにはならない。結局のところ、「子ども学」は中国語で、一般的には「児童学」という堅い言葉が使われるようになってしまった。そこでCRNでは、中国語サイトを立ち上げる際に専門家が集まって議論を行い、英語の"Child Science"の訳語に近い「児童科学」という言葉も使うことにして、現在に至っている。
少し話がそれてしまうが、国立小児病院を定年でやめて、関西の女子大学で教え始めてから、保育学にもう少し教育学的な考えを導入すべきではないかと考えるようになった。現在の日本では、保育士になるための保育学と、幼稚園の先生になるための幼児教育学とでは、全く内容が異なる場合がある。保育学の中心は、子どもの「遊び」と「生活の世話」であるが、幼児教育学はいわゆる就学前教育で、教育学的発想が中心になっているのである。しかし、考えてみれば、子どもはこの世に生まれて来るや、経験すること、感じることすべてが初めてであり、生活の中で、親や養育者と一緒にそれに対応し、学んでいる。子どもの体の成長や心の発達は、その日々の「学び」の結果といえるであろう。したがって、幼稚園・学校という教育の場だけで行われているものだけが教育ではなく、日々の生活や保育の場においても、教育学的な発想が必要であると考える。
中国では、保育と就学前教育は区別していないようだ。あくまで都心部の話であるが、0〜2歳については、祖父母やお手伝いさん(阿姨/アーイー)による家庭での保育が一般的であり、2、3歳になると幼稚園に入園する。この幼稚園は、教育的発想に基づいたカリキュラムのある保育を行っているが、同時に、朝から晩まで子どもを預かり、働く親たちの生活を支えている。保育と教育が一体となっている点で、日本より一歩進んでいるという印象を持つ。
最近、関西の学会のために訪日された上海師範大学の学部長である陳永明教授以下、方明生教授、李燕教授、付属小学校・付属幼稚園の先生2人とお会いする機会を頂いた。私の提唱した「子ども学」を評価してくださり、方教授が中心となって、立派な「子ども学」の教科書「儿童学概论(児童学概論)」を出版し(表1)、さらに、大学に「子ども学部」を創設されたとうかがい、大変うれしく思った。また、陳教授も方教授も日本語が堪能で、コミュニケーションに困ることはなかったことも、驚きであった。
![]() 中国の教授陣・現場の先生方とご一緒に |
![]() 「児童学概論」 |
私が考え、体系づけた「子ども学」を介しての交流が始まって、10年程になるが、中国の上海で「子ども学」が大きく花開いたことは、この上ない喜びである。
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