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Koby's Note -Honorary Director's Blog

閉校した東京大学医学部附属看護学校の同窓会

5月19日(土)夕方、東大病院入院棟の屋上15階にあるレストランで開かれた東京大学医学部附属看護学校の同窓会の親睦会に、元学校長として招かれ出席した。窓から東京の下町が一望でき、あちこちに立つ高層ビルばかりでなく、スカイツリーも見える素晴らしい風景を楽しみながら、元学生たちと話に花を咲かせた楽しいひと時であった。

東京大学医学部附属病院は、1858年(安政5年)に設立した種痘所から始まる150年もの歴史をもっている。したがって、東京大学医学部附属看護学校の歴史も長く、100年を越える。種痘所が紆余曲折をへて東京大学医学部になったのが1877年(明治10年)、その20年後の1897年にイギリスから看護師を招いて、わが国初の大学病院附属看護学校の看護教育が始まったという。しかし、ご存知のように、看護教育が戦後アメリカ式になり、25年経った1970年代に入ると大学教育に位置づけるべきと考えられるようになった。したがって、国立大学医学部付属の専門学校レベルの学校は次々と短大、あるいは四年生の大学に移行して、現在はなくなってしまったのである。東京大学医学部附属看護学校も、次に述べる様な経緯で10年前に閉校した。

東京大学は、ある意味で看護教育に対する先見性があり、聖路加病院付属看護学校が4年制大学に移行した後を追って、1953年(昭和28年)には、医学部に衛生看護学科を設置した。したがって、附属看護学校が閉校した2002年まで、東京大学には大学レベルの看護教育と専門学校レベルの看護教育の2つのコースが約50年間続いていたことになる。全ての国立大学の附属看護学校が短大化、あるいは大学化するなかで、東京大学は50年前に設立した4年制看護教育を生かした。しかし、残念ながら専修学校としての看護学校は10年前に閉校せざるを得なかったのである。

大学紛争直後の1970年に、私が東大の小児科の教授に就任して間もなく、この看護学校長に任命された。それまで、病院長が兼任していたのであるが、大学紛争の余波で、病院にもゴタゴタがあり、院長業務が難しくなっていた。そこで、別に看護学校長のポストを作ることになり、教授になったばかりの私が選ばれたのである。大学紛争の影響で看護学校の学生さん達も落ちつかず、「学校長団交」というビラが貼られている旧い校舎で、初めて学生さん達と話し合ったことを今も思い出す。

また、その半年後に行われた最初の卒業式は、学生さんたちが卒業式をボイコットしたので、たったひとりの卒業生に卒業証書を渡すだけの式となってしまった。その思い出は今も強く目に浮ぶ。その卒業式に出席した、意志が強く真面目で立派な学生さんは、この度の同窓会には残念ながら出席しておられなかったが、今どうしておられるのだろうか。立派なお母さんになられているに違いない。

このようなビラや、卒業生たったひとりの卒業式で始まった私の看護学校長の仕事ではあったが、ストをやったりした学生さんたちは、親睦会で出会うと、今や立派な看護師になられていた。いろいろなかたちで、今も立派に看護関係の仕事を続けられている話を直接伺って、大変嬉しく思うとともに、女性のたくましく生きていく姿に感銘を受けた。

閉校した東京大学医学部附属看護学校は、2年に1回同窓会を開いている。毎回50~60人は集まるようである。2年後に、またこの同窓会に出席できるよう元気でいたいものである。

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