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Koby's Note -Honorary Director's Blog

モスクワから来た難病のサーシャちゃん

ロシア連邦大統領メドベェージェフと首相プーチンとの交代劇とか、それに関連した最近のプーチンに対する反対運動、荒々しいモスクワのデモの様子をみると、難病のサーシャちゃんはどうしているかなと思う。元気ならば、もう立派なレディになっている年齢である。

それは、1980年代後半のことだったと思う。国立小児病院の院長になって間もないころ、アレクサンドル・デミトフ、通称「サーシャ」ちゃんという先天性の難病の女の子が、モスクワから治療のため入院しに来た。ソ連邦からロシア連邦に代ったのが1991年の事だから、政治は勿論のこと、経済的にも行きづまったソ連邦時代末期の出来事であったと思う。医療も同様の状況となり、わが子のため、日本に医療を求めて来たのであろう。

当然のことながら、サーシャ親子の東京での医療費、滞在費はかさみ、ロシア庶民にとっては大変な事であっただろう。親子の窮状をみた有志が支援のため募金を始めたところ、それを知った鹿児島の創立間もない池田学園高校の生徒さんが、バザーを開いたり、募金をしたりして、数回にわたり、破格の浄財を送って下さったのである。

大変感激したサーシャちゃんの母親は、学校まで御礼に行くということになり、私も同行した。羽田から鹿児島へ飛行機で飛び、学園の広々とした体育館に入ると、鮮やかな赤のソ連国旗が飾られ、ロシア語で書かれた「サーシャ頑張れ」と横断幕まで張られていた。そして、生徒さん達の折った千羽鶴が、全校生徒の前で、白いスーツ姿の美しい母親、ナターリャさんに渡されたのである。その時会場には、ロシア民謡「トロイカ」も流れていた。母親ナターリャさんは勿論のこと、私もそして生徒さんも、みんな涙ぐみ、会場の一同は「小さな生命」への祈りで一杯になった。

その後、東京で開かれた日本小児科学会に、私の友人であるモスクワ大学小児病院長、ステュディニキン教授をお招きする機会があった。入院中のサーシャちゃんを診察して頂き、そのお陰でサーシャちゃんは帰国してからモスクワの小児病院で治療を続けられることになったのである。残念ながら、帰国後どうなったかは全く連絡がない。ステュディニキン教授にとっては、難病とは言え、病気治療のためにわざわざモスクワから東京まで、と思ったに違いない。

当時、シベリアのハバロフスクからも希望があって、ロシアの子どもたちが、何人か入院した。この場合は、子どもたちの病気は白血病で、シベリアの医療レベルより国立小児病院の方が高かったものと思う。その医療費は、いつも森林公団とか、漁業公団とかがスポンサーになっていた。恐らく日本との貿易で、外貨をもっていたのであろう。

しかし、子どもたちを外国で治療するより、日本とロシアの小児科医が交流して、お互いにレベルアップした方が良いという事になり、シベリアの小児科医との交流が始まった。サーシャちゃんをはじめ、難病のロシアの子どもたちは、日本とシベリアの小児科医を結びつける大きな役を果たしていたのである。

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