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「リテラシー」という考え方 -「情報リテラシー」、「ゲームリテラシー」

最近、「リテラシー」"literacy"という言葉をあちこちで耳にするようになった。先日ある会で、ゲームを教育に利用する話が出た時に、「ゲームリテラシー」という言葉が、また、あるメディアと教育について研究している人から、教育には「情報リテラシー」が必要であるという言葉が出た。この「情報リテラシー」という言葉は、1980年代後半、中曽根内閣の時にできた臨時教育審議会の第2次答申(1986年)の中で、教育には特に重要であると指摘されているのである。これからの教育では「情報および情報手段を主体的に選択して活用していくための個人の基礎的な資質」を高める必要があると答申している。その成果が現われて、教育の情報リテラシー、さらにはゲームリテラシーの考え方が強くなったのであろう。

英語辞典を開いてみると、そもそも、「リテラシー」"literacy"とは、「学問のあること」、「教育のあること」の意味であり、つづいて「読み書き能力」と出る。「イリテラシー」"illiteracy"も、「無学なこと」、「読み書きができない事」、「文盲」、「非識字」などを意味する。国際小児科学会に関係していた1980年代、しばしば「イリテラシー・レート」(非識字率)という言葉が、理事会でよく出て来た事を思い出す。それぞれの国で、それぞれの文化の中で、どのようにしてこのイリテラシー・レートを下げるか、などが話し合われたものである。結論は、当然のことながら、小さい時からの教育ということになった。

わが国では「イリテラシー」はほとんど問題にならないが、多くの発展途上国では、大きな問題なのである。もっとも、先進国でも、貧困と関係して、全く問題ないとは言えない国もあることも、忘れてはならない。

最近の「リテラシー」は、広い意味で、「特定の分野についての知識や、それに関係する機器を使いこなす能力」などとして使われるようになったと思われる。コンピューターが普及して、社会の情報化が進むにつれて、意味が拡大されるようになったと言える。考えてみれば、われわれ一般人は、どれほど「情報」についての知識や、それを使いこなす能力をもっているのであろうか。この広い意味での「情報リテラシー」こそが問題なのである。「ゲームリテラシー」であっても、この「情報リテラシー」なしには考えられないと言えるからである。しかも、「情報リテラシー」は、単に「リテラシー」と呼ばれる場合さえあるのである。

「情報」"information"という言葉とその考え方は、第2次世界大戦中にアメリカで生まれたものである。暗号解読や弾道計算のために、大量の情報を高速で機械処理する必要が出てきて、計算機から始まってコンピューターを開発する事になったのである。その流れの中で、情報を科学の対象として、物質のように定量化し、それを利用するための「情報科学」や、計算機からコンピューターを開発するための「情報工学」が体系づけられたと言える。わが国では、戦後になって出てきた言葉だが、現在この「情報リテラシー」そのものに関係する教育はどうなっているのであろうか。

現在、我が国でも、「情報」というと、社会の中でおこるモノやコトに関する知らせというような単純な意味ばかりでなく、ある特定の目的について、適切な判断をするのに有用な資料や知識も指すようになっている。この場合、情報はエントロピーを下げるもの、すなわち、あるシステムの「乱雑さ」、「無秩序さ」、「不規則さ」の程度を下げるものというような熱力学的な定義も出てくるのである。さらには、機械系や生体系では、情報というものは、システムがその機能を果たすために必要な指令や信号の組合せを指すことになる。それなしには、システムはゴタゴタして機能しなくなるのである。

したがって、どんなカタチでも、情報を扱う人は誰でも、我々がもっている、分子、原子や遺伝子の知識のように、情報の基本的理解から始まる情報リテラシーをもつ必要がある。特に、情報を提供して、子ども達を教えている教育関係者には、それが必須であることは明らかである。子ども達が、情報を取り込みやすいカタチにするにはどうしたら良いか、それこそ情報科学とか、情報工学の立場から考えなければならない時に来ている。それは、子ども達が、「学ぶ喜び」の中で、学ぶことができるようにすることである。

そのカタチのひとつとして、当然のことながら、ゲームを利用する方法もある。ゲームに関心をもっている人は別としても、多くの人は知らないことの方が多いのではなかろうか。コンピューターゲームは、対戦ゲームから始まってロールプレイングゲームが加わり、オンラインゲームに発展して来たという。教育など、ゲームそのもの以外にも役立たせるよう開発したゲームを「シリアスゲーム」と呼ぶそうであるが、それを教育に利用するとなると、教育関係者は、正に情報リテラシー、そしてゲームリテラシーも持たなければならない時代になったと言える。

コンピューターゲームで育った親の子ども達が、今学校で学んでいる時代であることも考えなければならない。そう考えると「シリアスゲーム」の教育利用も、避けて通れないものと言えよう。したがって、情報リテラシー教育はますます重要になっていると言えるだろう。

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