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21. 人間機械論

要旨:

現代の脳科学では、脳の認知は神経細胞が「表象」を処理する物理化学的過程に帰依できると考える「表象認知主義」が主流になっている。そのため、今回は人間機械論を取り上げる。人間が機械であるという考え方の発端は、フランスのデカルトにさかのぼる。『人間機械論』を提唱する著書には、フランスのラ・メトリの” L'homme-machine”がある。また、20世紀に生まれた人間機械論は、ノーバート・ウィーナーが書いた“The Human Use of Human Beings”がある。そして人間機械論が最高潮に達するのは、ドイツのG ・ロートである。
人間が機械であるという考え方の発端は、フランスの数学者であり自然哲学者であったルネ・デカルト(1596-1650) にさかのぼるという見解があります。私はもしも彼がもっと長生きしていれば、それが体系化されたとも思いますが、デカルト自身は人間を機械と見なすまでの考え方を強く打ち出すには及んでいなかったと受け止めています。「我思う、ゆえに我あり」は彼の哲学を象徴する名句ですが、彼は当時の保守的思想であったスコラ哲学が、キリスト教の教義(神学) を中心に据えて、「信仰と理性は調和する」と教えて、信仰こそが真理に到達する道だとキリスト教中心の教育を行っていた時代に、個人の持つ「理性」を中心に真理を探求していこうと考えた最初の哲学者でありました。

近代哲学の扉を開いたデカルトは、32歳の時に自分の使命に目覚め、本格的に哲学にとりかかり、機械論的世界観をその誕生から解き明かした『宇宙論』を著しましたが、ガリレイが唱えた地動説に対して、1633年にローマの異端審問所が地動説の破棄を求めた宗教的弾圧が起こったのを見て、彼は『宇宙論』の公刊を断念した経緯があります。デカルトは理性によって完全に基礎づけられた倫理学を体系化したいと望んでいた一方で、今は暫定的に神学的道徳を守るほかない、と考えたとうかがえます。ガリレオの宗教弾圧の後に出版された代表的著作『方法序説』(1637) の冒頭でデカルトは、「良識( bon sens ) はこの世で最も公平に配分されているものである」と理性が神によって与えられたことを認めており、これがデカルトの精神と肉体の二元論の基礎にもなっています。デカルトは脳の正中後方にある松果体という部分が精神と肉体の接合点で、松果体に人の心が宿ると考えていましたが、松果体は現在では心の座ではなく睡眠の調節に関わるメラトニンというホルモンを分泌している内分泌器官であることがわかっています。数学の座標軸を発明したデカルトは、精神と肉体を二つの座標軸に考えて、その交点を松果体に求めたのではないかと、著者は推測しています。心が人間の脳の中にあると考えたデカルトの着眼は偉大で、これだけをとってもデカルトが「近代哲学の父」呼ばれるに相応しい新しい世界観の開拓者であったことは疑う余地がありません。人の心が脳のどこにあるのかは、脳科学最大の研究テーマの一つでもありますので、この連載の中でも後ほどまた詳しく取り上げることになります。

『人間機械論』を提唱する著書には、フランスの哲学者であり医師であった、ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリ(1709-1751) が1747年37歳の時に亡命先で著した" L'homme-machine" 『人間機械論』(杉捷夫訳 岩波書店刊 1932年)があります。ラ・メトリはその著作で霊魂の存在を明確に否定し、デカルトの動物機械説を人間にも適用して、足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉であると、100年近く前にデカルトが唱えていた人間を精神と肉体が結合した存在とみる、生命の二元論よりもはるかに機械論的な生命観を提唱しました。ただ、彼の著作物の表題だけを追って見るならば、翌年の1748年には『喘息論 Un traite de l'Asthme 』『改宗した外科医 Le Chirurgien Converti 』『人間植物論L'Homme-Plante』『機械以上の人間 L'Homme plus que Machine 』『反セネカ論、幸福論 Anti-Seneque ou discours sur le bonheur』と5編の著作があり、医師でもあったラ・メトリが人間=機械と考えていたと、短絡的に結びつけるのにも疑問が残ります。私は個人的には『機械以上の人間 L'Homme plus que Machine 』を読んでみたいのですが、残念ながらフランス語は全く読めないので、翻訳のない現状では読むことが叶いません。

20世紀に生まれた人間機械論は、ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener,1894-1964) が一般知識層向けに書いた"The Human Use of Human Beings"(『人間機械論―サイバネテイックスと社会』池原止戈夫訳 みすず書房刊 1954年) があります。サイバネティックスの父、ノーバート・ウィーナーは、9歳でハイスクールに特別入学し14歳でハーヴァード大学に入学、18歳で数理論理学の論文で学位をとってイギリスに渡り、ケンブリッジ大学でバートランド・ラッセルから数理哲学を学んだ逸才です。帰米して1919 年24歳のときに、マサチューセッツ工科大学(MIT)数学科の講師、34年以後同大学の数学教授となりました。1930年頃から神経生理学者と共同研究し、計算機械も生物における神経系も同じ構造をもつことを考案し、その数学的論理としてサイバネティックスを創始しました。第二次世界大戦中の射撃制御装置に関する研究は、通信理論を総合し、サイバネティックスを定式化することを促しました。戦後、彼はウォーレン・マカロックやウォルター・ピッツらの人工知能、計算機科学、神経心理学の分野における当時最も優れた研究者の幾人かをMITに招き、サイバネティックス、ロボティクスやオートメーションなどの分野で新たな境地を開拓し続けました。彼は幅広い研究において才能を発揮し続け、また彼の理論と発見を他の研究者と自由に共有しました。

この節で人間機械論を取り上げた理由は、現代の脳科学では、脳の中に表象(脳内イメージ) が存在して、表象の操作により人が考えたり行動したりするのだという、脳の認知は神経細胞が「表象」を処理する物理化学的過程に帰依できると考える「表象認知主義」が主流になっているからです。この表象認知論の発展は、コンピューター理論の発展と平行して、人工頭脳の発展の影響を強く受けていると思います。そして人間機械論が最高潮に達するのは、ドイツの脳科学者、G ・ロートが、「私ではなく、脳がそう決断する」と断った上で、「意志の自由は幻想にすぎない」と最新の脳科学の知見に基づき、人間の行動は無意識の脳のプロセスによって決定されていると、意志の自由の存在を否定しているというものです。(意思と意志の差については、この連載中では今のところ明確には区別していませんが、意志は意思に比べてより行為に近い概念であると著者は感じています。)

人間の脳は本当に「電気仕掛けの考える機械」なのでしょうか?認知脳科学については今後の記事の中でまた考えていきましょう。


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ロダンの『考える人』は静岡県立美術館に所蔵されています。本稿で使用した画像は、静岡県立美術館のCRNでの使用許可を得て提供を受けました。ここに謝意を表します。

静岡県立美術館ホームページ http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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