
所長ブログ
Director's Blog所長ブログでは、CRN所長榊原洋一の日々の活動の様子や、子どもをめぐる話題、所感などを発信しています。 | ![]() |
確かに現代の子どもの状況が昔に比べて悪くなっているのではないか、と思いたくなるような情報はたくさんあります。
たとえば子どもの虐待です。子どもの虐待の報告数は年々増加し、現在では年間約6万件が児童相談所に報告されています*1。
発達障害(自閉症、注意欠陥多動性障害)を持つ子どもの数も少しずつ増加しているとされています。ベテランの教師の方の中にも、昔は発達障害の子どもはこんなに目立たなかった、という印象をもつ方がおられます。
さらに子どもの不登校や引きこもり、あるいはいじめなどが、毎日のように新聞やテレビで報告されていることは皆さんもご存じのとおりです。
携帯電話やスマホの増加に伴う少年犯罪も増えているように思えます。
身体的にも最近の子どもは疲れやすく、長い距離を歩けない、体力が落ちた、と言われます。
こうした「証拠」によって、現代の子どもたちの状況が悪くなっている、と考えるのは当然かもしれません。
本当にそうなのでしょうか。
子どもの虐待については、本当に発生数が増えているのか、あるいは虐待ホットラインなどの充実によって報告数が増えているだけなのではないか、という意見もあります。人口が日本の2.5倍のアメリカでは、1年間に約80万件の児童虐待が起こっています*2。もし日本でも同じ人口比で児童虐待が起こっているとすると、年間に25万件起こってもおかしくないことになり、現在報告されている数の5倍になります。欧米の児童虐待の研究者の中には、日本で年間5万件しか児童虐待がないのは、ホットラインなどの報告制度が不備だからだ、と思っている人がいるほどの少なさなのです。
発達障害については、普通学級児童生徒の6.5%にその行動上あるいは学習上の問題があることが分かっています*3が、10年前の調査でも6.3%であり*4、大きな変動がありません。アメリカでは発達障害は子どもの15%前後であるという報告があり*5、日本の頻度の少なさが際立ちます。昔はそんな子どもはいなかったという、ベテランの教師の意見に傾聴しつつも、最近の医学的研究によって明らかになった、発達障害の原因は遺伝子にあるという知見を考えると、最近増えてきたという印象は、本当に事実に基づいているのか慎重に判断しなくてはならないと思います。子どもの身体的健康の代表的な指標である乳児死亡率や5歳児以下死亡率を見る限り、明治時代からそれらの数値は毎年着実に減少し、現在の日本の数値は、世界で最も低い値となっています*6。
そして少年犯罪についていえば、戦後すぐとバブルの時期に大きな波がみられた少年犯罪率は、毎年減少を続けているのです*7。
チャイルド・リサーチ・ネットは、子どもの心と体の健康のウォッチャー(監視人)としての役割も担っていきたいと考えます。子どもを巡る状況が本当に「悪くなっている」のかという点については、世の中に喧伝されている意見に惑わされず、信頼できるデータに基づいて判断をしてゆきたいと思っています。
*1: 厚生労働省 「子ども虐待による死亡事例等の検証結果(第9次報告の概要)及び児童虐待相談対応件数等」 平成24年度
*2: Bureau of the Census "Child Abuse and Neglect Victims by Selected Characteristics: 2000 to 2009"
*3: 文部科学省 「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」 平成24年度
*4: 文部科学省 「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」 平成14年
*5: Official journal of the American academy of pediatrics
*6: WHO "Child Mortality levels"
*7: 法務省 平成24年度版犯罪白書
私は世界中どこへ行っても子どもたちが幸福な顔をしていることを、実感としてもっていましたが、どうしてそうなのか深く考えたことはありませんでした。
しかし、最近子どもの自尊感情について少し研究をしたことによって、その理由が少し分かりかけてきました。大人より子どもに笑顔が多いのは、年少の子どもにとって幸福の源泉は、生きているということそのものと、家族や友達などの身近にいる人の存在だからです。戦火を逃れて難民になっても、乳児は母親に抱かれているだけで笑顔をみせます。自分が母親に愛されているだけで幸福なのです。しかし、その子どもも年齢を重ねるうちに、自分の存在を相対的にみることができるようになってきます。また、未来を見通す力もついてきます。自分を相対化したり、未来を見据える力がつくことは、子どもの成長発達の証であり喜ぶべきことです。しかし、同時にこうした能力を獲得することによって、それまで心の支えであった本人の能力によって左右されない「自己効力感」が、自分自身の相対的な能力によって左右される自尊感情に置き換わってゆきます。保育園、幼稚園では、本人のさまざまな能力が他人によって評価されることはほとんどありません。しかし小学校に入ると、成績やスポーツの能力などが、本人の意思とは無関係に本人の相対的な評価につながります。そして自分の未来をより現実的に見通せるようになることによって、その時その時の感情によって支えられていた幸福感も、本人の生きている社会状況によっては、将来まで続くものではないことを知るようになるのです。
世界の類人猿研究の最先端にいる京都大学の松沢哲郎教授は、ヒトとチンパンジーの大きな違いの一つを、見事な実例で説明されています。その実例とは、松沢教授のいる犬山の霊長類研究所の成人のチンパンジーが、脊髄に大きな怪我をして歩けなくなったときのエピソードです。チンパンジーの高い能力と感受性を知っていた松沢教授は、そのチンパンジーが落ち込んで活動性や食欲がなくなるだろう、と予想しました。しかし、自分が歩けなくなったことに「気づいて」いながら、そのチンパンジーはまったく気落ちすることなく、元気に生活を送り、食欲がなくなることも無かったのです。のちにこのチンパンジーは手術で回復しましたが、このエピソードから松沢教授は、「チンパンジーは絶望しない。絶望するのは人だけだ。」と論じたのです。やや難しい言い方をすると、ヒトには「時間的に延長された自己」を予見する能力があるが、チンパンジーにはそれがない、というのです。人は下半身麻痺になった自分の将来を予見することができ、それが困難なものであることがわかってしまうために、落ち込んだり、食欲がなくなってしまうのです。
子どもも大人に比べて、この「時間的に延長された自己」を見通す能力がまだ備わっていません。しかしこれは欠点ではなく、自分の将来を憂うことなく、現在の幸福感を満喫できるという特典があるということです。だからこそ、世界中の子どもたちは、今現在の幸福感があれば、笑顔を見せることができるのではないでしょうか。
CRNの名誉所長の小林登先生は、未来の世界の中で生きてゆくのは、私たち大人ではなく子どもたちであるという意味で「子どもは未来である」と主張されました。ただし子どもには未来を予見できないのです。これらのことから導かれる結論は、子どもたちの代わりに未来をできるだけ予見し、未来の大人(現在の子ども)が生きやすい世界をつくり上げてゆくことの責任は、子どもたちにではなく、私たち大人にあるということなのです。
今回は日本中で成人の間に流行している風疹について急いでお話しなくてはならないと思い、筆をとりました。楽しい話題は次回までお預けにします。
風疹は別名「三日はしか」とも呼ばれます。はしか(麻疹)は、高熱や全身の発疹が1週間以上の経過で続くのにたいし、風疹は発熱も微熱程度ですし、発疹も麻疹ほど目立たない軽症のウイルス感染症です。「三日はしか」と呼ばれるのもそのためです。軽症ですむこともあって、予防接種をせずに自然にかかった方がいいと思うひとも多いようです。専門家である小児科医の中にも、ごく少数ですが、そうした意見を持っておられる方がいるほどです。とは言え数は少ないのですが後遺症が残ることがある脳炎を引き起こします。昔、私自身も風疹脳炎による後遺症に悩むお子さんを受け持ったことがあります。
しかし風疹流行の最も大きな問題は、妊娠初期の妊婦さんが風疹にかかることによって、胎児に難聴、視力障害や知的障害をきたす先天性風疹症候群を起こすリスクが生じることです。かつては風疹の予防接種を女子中学生に行っていたのも、この先天性風疹症候群を防ぐことが目的でした。この予防接種法との関連もあり、風疹患者の7割以上は男性で、20代から40代が8割を占めるようです。
現在大きな社会・健康問題となっている成人での風疹の流行は、もちろん風疹にかかった方ご本人の健康問題もあるのですが、それ以上に風疹にかかった成人と接触することによって、予防接種を受けていない妊娠初期の女性が風疹にかかり、その結果として先天性風疹症候群の子どもの増加が予想されることです。
風疹は予防接種で防げますので、未接種の成人が予防接種をすれば、先天性風疹症候群の子どもの増加を防ぐことができます。要は、未接種の成人が風疹の予防接種を受ければいいのだ、ということになります。しかしここに、多くの皆さんが予期しない決して無視するわけにはいかない新たな問題が生じるのです。
それは、未接種の女性が風疹の予防接種を受けた後に、妊娠がわかるというケースがあるということです。風疹ワクチンは生ワクチンですので、弱毒化した(生きている)風疹ウイルスを注射して、ワクチンに含まれている弱毒化した風疹ウイルスに感染することによって免疫を獲得するのです。妊娠に気がつく前に風疹の予防接種をした場合、弱毒化したとはいえ、受胎したばかりの胎児に風疹のウイルスが感染することになります。妊娠がわかっている女性に対しては、風疹の予防接種は禁忌(行ってはいけない)となっているのも、そうした事情があるからです。
では、実際に妊娠がわかる少し前に風疹の予防接種を受けてしまった場合は、どうすればいいのでしょうか。
半年ほど前、私は次のようなメールを見知らぬ方からいただきました。
「先月、私は妊娠に気付かずに風疹の予防接種をしてしまいました。そして現在妊娠10週目ということが本日わかりました。子どもが先天性風疹症候群にかかるリスクはどれくらいなのでしょうか?かかりつけの産婦人科の先生は、中絶をしたほうがよいといっています。中絶で体に何らかの影響が残ることも心配で取るべき選択を迷っています。」
風疹のワクチンは妊婦さんへの接種は禁忌ですが、妊娠がわかるのは受胎数週間後ですので、このお尋ねのようなことが起こることは避けようがないのです。心配なら中絶をすればよい、という考え方もありますが、風疹ワクチンを妊娠初期に受けた場合、どのくらいの頻度で生まれてくる子どもに先天性風疹症候群が起こるのかといった情報があれば、悩む必要はないのです。
探してみると、そうした情報はちゃんとあるのです。私は次のようにお返事をしました。
「ご心配のことと存じます。
予防接種の教科書(Epidemiology and prevention
of Vaccine-Preventable disease)に掲載されている次のような研究論文があります。
妊娠初期に気がつかずに風疹の予防接種をした321人の妊婦から生まれた子どもを調査したところ、先天性風疹症候群の発症はゼロだったというものです。
この教科書には、その結果に基づいて『妊娠が分かっている女性はワクチンは避けたほうが良い(理論上危険性はありうる)が、だからといって知らずにワクチン接種をしてしまった場合に中絶する理由はない』とはっきり書かれています。
日本の産婦人科医は、中絶を勧めることもあるようですが、アメリカではそうではありませんし、私も事実に基づいたアメリカの考え方のほうが合理的だと思います。」
そして、最近私はこの女性から次のようなメールをいただきました。
「お陰様で、元気な男児を出産しました。
榊原先生が見ず知らずの私の突然のメールに返信してくださったおかげで、この子が無事に生まれたも同然だと思います。ありがとうございました。」
成人への風疹ワクチン接種を推奨するキャンペーンの中で、このメールの主のような方がかならずおられると思いますが、ご紹介した研究論文の結果がそうした方へのご参考になればいいなと思っています。
【編集部より】
※風疹については厚生労働省ホームページもご覧ください。
※2013年5月20日、厚生労働省研究班は、妊娠中に風疹ワクチンを接種した場合でも中絶などを考慮する必要はないとの緊急見解をまとめました。詳しくは、こちらをご覧ください。
日本産婦人科医会ホームページ
妊娠中に風疹含有ワクチン(麻しん風しん混合ワクチン、風しんワクチン)を誤って接種した場合の対応について(pdf)
本年(2013年)4月1日からCRNの所長に就任することになりました。前所長の小林登先生が育て上げたCRNをお引き受けすることになり、大変光栄に思うと同時に、大いに緊張しています。
小林先生は私が東京大学小児科に入局した当時の教授で、私の恩師であるとともに、古い体質の残る医学部の中で、医学の壁にとらわれない新しく柔軟な視点でものごとを実践される方でした。このCRNも、専門性の壁を乗り越えようという小林先生の発想が結実したものであると思います。
当時医学部の講義といえば、広い階段教室で権威ある教授や助教授の最先端の理論を、学生が好奇と畏敬のまなざしを向けながら拝聴する場所でした。もちろん今ではそんな雰囲気はないと思いますが・・・。
小林先生は、自らが講義をされるだけでなく、当時の世界最先端の研究者を呼んでこられて講義をしてもらうことで際立っておられました。チンパンジーの研究で有名なジェーン・グドール氏や、スローウイルス研究でノーベル賞を受賞したガジュセック教授などの講義を聴けたのも小林先生のおかげです。
たまたま研修医の私が受け持った、まれな疾患の患者さんについて講義をするようにと言われたことも思い出します。大いに緊張して講義をしたことを覚えていますが、全くの新人の私を信頼してくださる小林先生の懐の深さに感激しました。CRNのお話をいただいたときに、35年前のあの気持ちがよみがえってきました。
最初のブログはこのようにやや堅苦しいものになりましたが、小林先生のご期待を裏切らないようがんばってまいりますので、皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。
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