子どもといじめ-いじめ克服への道-

戻るチャイルド・サイエンス懸賞エッセイ<2007年度 受賞者>

 

大川 洋(立教女学院短期大学教授・幼児教育科学科長)

要旨
 悲惨ないじめ事件を生じさせないためには、まず人生の初期の段階で、人権意識の基盤となる自己への信頼と人への信頼を育むことが肝要である。肯定的な自己概念を育み、自己価値感情を高め、自己の存在の重みを実感させることが、いじめ克服への道である。
 日本の子どもたちの自己評価は、国際的に見て著しく低い。いじめの連鎖を食い止め、抑止力となる子どもを育てるためにも、自己評価の低い子どもにもっと目を向けるべきだ。
 人権意識を高めるために、まず必要なのは、ありのままの自分を大切にできる子どもを育てることだ。深い自己受容は、他者受容につながる。子どもには、強くなることを要求するのではなく、「弱くても大丈夫」というメッセージを伝えることが大切だ。自分を愛することは、他者を愛することへの第一歩である。


 悲惨ないじめ事件を防止するためには、いじめ加害者の研究が必要である。いじめた子どもは、なぜいじめたのか。

 日本では、いじめによる自殺が起きると、遺書などが公開されることもあって、いじめの被害者が、いじめられてどれほどつらかったかを知ることができる。ところが、いじめの加害者については、ほとんど何も知らされないまま、終わってしまうことが多い。

 海外では、いじめ加害者の研究が進んでいる。それによると、いじめの加害者の多くは、家庭に問題を抱えている。父親や母親が不在であったり、いても権威主義的であったり、抑圧的であったり、愛情や共感性が乏しかったり、子どもに無関心であったりするのだ。

 いじめの加害者の多くは、家庭生活を通して、不満やいら立ちを募らせ、その不安やストレスは、学校で他の子どもへの攻撃性となって現れる。それが、いじめである。いじめている子どもも、困っているのだ。

 児童虐待は、子どものいじめを誘発する。社会福祉法人「子ども虐待防止センター」(東京都世田谷区)が、1999年に実施した実態調査によると、東京都内で小学校入学前の子どもを育てている母親のほぼ10人に1人(9%)が子どもへの虐待を繰り返しており、30%が虐待傾向のうちに子どもを育てているという。

 最近、保育の現場で、異変が起きている。あやしても、笑いかけても、あまり笑わない表情の硬い赤ちゃんが増えているのだ。保育所の職員を対象としたアンケート調査では、「笑わない子」は、保育所で6%もいるという(2003年10月10日付「朝日新聞」朝刊)。子どもは、家族の笑いが豊かであるほど、よく笑う。笑わない子どもの家庭では、家族の絆やコミュニケーションが希薄になってしまっているのではないだろうか。

 また、抱っこしようとすると、体を固くして、反り返る赤ちゃんも見られるようになった。抱く、抱かれるというのは、まさに一体となって心を通わせ合う関係、人と関わるということが本当に楽しく心地よいという一つの大事なコミュニケーションである。抱っこやスキンシップは、赤ちゃんにとって心の栄養であるにもかかわらず、自分の親からの抱擁が十分でない赤ちゃんが増えているのだ。

 子どもは、親に愛され、「あなたがいてくれて嬉しい」というメッセージを受けてこそ、「生まれてきてよかった」「私はみんなに愛されている」という自己への信頼を育む。自分を愛してくれる人とのコミュニケーションは、自然に笑いを生み、喜びとなり、「私は人が好き」「人と一緒にいることが楽しい」という人への信頼を育む。自分が大切に育てられたという自己価値感情が、やがて周りの人も大切にする心を育むのだ。

 いじめの根底には、他人に対する思いやり、いたわりといった人権意識の立ち後れがある。人権とは、自分を大切にし、人も大切にしたいと思う心の有り様をいう。悲惨ないじめ事件を生じさせないためには、まず人生の初期の段階で、人権意識の基盤となる自己への信頼と人への信頼を育むことが肝要である。

 周りの子どもをすぐに叩いてしまう子どもをよく調べてみると、家で激しい体罰を受けていたり、虐待されているケースが多いということが分かってきている。そのような子どもを、乱暴な子、暴力をふるう子として敬遠するのではなく、そのような子どもにこそ保育者や教師のあたたかい眼差しが向けられなければならない。「乱暴な子」として上から評価的に見るのではなく、その子どもの下に立ち(understand)、その心の声に耳を傾けてくれる人が必要なのだ。人を大切にすることができるようになるためには、まず自分が大切にされなければならない。

 人は、自尊感情が高くなければ、他者に心を開けない。人は、自己評価が高いと、他者の長所に敏感になり、他者との良好な人間関係を築こうとする。反対に、自己評価が低いと、他者の欠点に敏感になり、他者を傷つけやすくなる。自己の尊厳の重みを実感していなければ、他者の尊厳にも無頓着とならざるを得ず、いじめたり、暴力をふるったりしかねない。適正な自己愛があり、自分自身を肯定的に受け容れて尊重できることは、他人を愛し、他人をも人間として尊重するための必要条件である。自分を大切にできなければ、人を本当に大切にすることはできない。

 自己概念と行動とは、深く結びついている。肯定的な自己イメージをもっていると、利他的な行動や寛大な行為を示すことが多くなる。反対に、否定的な自己イメージをもっていると、問題行動が多発する。実際、いじめなどの問題行動を続ける児童生徒の主体的要因として、否定的な自己イメージをもつ者が多い。肯定的な自己概念を育み、自己価値感情を高め、自己の存在の重みを実感させることが、いじめ克服への道である。

 いじめという現象は、日本だけではなく、どの国でもある。しかし、いじめが多く発生している学年、年齢が、国によって異なっている。ノルウェーやオーストラリアなど、他の多くの国では、いじめの発生件数は小学校低学年で多く、学年が上がるにつれて減少していく。自尊心が形成されると、いじめのような卑劣な行為は、できなくなっていくのが普通である。しかるに、日本のいじめの発生件数は、中学1年生が最も多い。これは、なぜなのか。

 日本の中学生は、高校入試よりもずっと以前に、自分への期待値を大幅に下げてしまう。高校のランクが可視的で、そのうえ、中間テスト、期末テスト、模擬試験が繰り返されるため、中学生も自分の分をわきまえてしまう。中学生は、自分がどの程度の人間なのか、自分の身の程を痛いほど思い知らされている。諦めるには、早すぎる年齢だ。しかし、人は自分が好きでないと頑張れない。頑張ろうと思っても頑張れず、思うような成績が取れないストレスは、中学生に重くのしかかる。「私は私に期待していません」というような、自分への期待値の低い状態では、いじめは多発する。自分がどうでもよくなってしまえば、他人もどうでもよくなってしまうのが普通だからだ。

 一般的には、知識や経験が増えれば増えるほど、自信がついて自己価値感情は高まると考えられている。しかし、日本の子どもたちは、小学生の時よりも中学生の時の方が自信がなくなる。しかも、勉強する生徒ほどセルフ・エスティームが低くなる傾向さえ見られる。勉強する生徒ほど、自己評価が他者との相対比較に縛られ、学習を通じて成長し豊かになる自分というものを実感できないでいる。また、答えが一つしかない学習があまりにも多く、「あなたはどう考えますか」と問われることが少ないため、確かな自己概念が形成されにくくなっていることも影響している。

 「子どもの体験活動等に関する国際比較調査」(子どもの体験活動研究会、1999年実施)によると、日本の小中学生は、「いじめを注意したこと」、「友だちのけんかをやめさせたこと」、「困っている友だちの相談にのってあげたこと」、「悪いことをしている友だちに注意したこと」が、「何度もある」あるいは「時々ある」という割合が国際的に見て著しく少ない。いじめに遭遇しても、何もしない日本の子どもたちの姿が浮彫りになっている。「何度もある」という割合が高いアメリカやイギリスやドイツは、子どもたちの自己評価が高い国々である。

 日本の子どもたちの自己評価が、国際的に見て著しく低いことは、1980年代から知られていることであるが、特別な対策が立てられることもなく、今日に至っている。しかし、「私なんかいない方がよい」と思う小中学生が3割近くいる現実(2006年1月10日付「朝日新聞」朝刊)にもっと目を向けるべきだ。「今子供達の心の中では」という小中学生の意識調査(麻布台学校教育研究所、2005年実施)では、「自分が好きではない」と答えた子どもは、小学生男子23%、女子31%、中学生男子50%、女子63%にも上る。自己評価が低いと、自分の心に感じたことや、自分の頭で考えたことに価値を置かなくなる。自己の内なる信念や価値観に基づいて行動しなくなるので、いじめに遭遇しても、抑止力となることができなくなる。抑止力が働かないから、日本のいじめは、長期化するのだ。

 今日のいじめの特徴の一つは、立場の入れ替わりである。すなわち、「いじめる」という行為と「いじめられる」という行為を同一人物が経験する割合が高い。人からいじめられる経験は、自己価値感情を低くする。すると、他者の尊厳にも無頓着となり、いじめるという行為につながりやすくなってしまう。いじめられた子どもが、自分だけに苦痛を留めておくことができずに、そのストレスを今度は別の他者に発散させてしまうのだ。ここに、いじめの連鎖性を見て取ることができる。

 日本では、いじめが発覚すると、いじめの加害者を叱責して指導が終わってしまうことが少なくない。いじめの連鎖を食い止め、抑止力となる子どもを育てるためには、いじめの加害者のみならず、被害者、観衆、傍観者をも含めたすべての子どもの人権意識を高める取組が欠かせない。

 人権意識を高めるために、まず必要なのは、ありのままの自分を大切にできる子どもを育てることだ。深い自己受容は、他者受容につながる。人は、よさと同時に、弱さや未熟さ、劣等性などをもった、あるがままの自分を受け容れて大切にできてこそ、さまざまな人にあたたかい眼差しを向けることができるようになる。反対に、自己受容ができていない人は、他者受容も困難である。子どもには、強くなることを要求するのではなく、「弱くても大丈夫」というメッセージを伝えることが大切だ。弱い、未熟な自分を大切にできてこそ、弱い、未熟な他者を大切にすることができるようになるのである。自分を愛することは、他者を愛することへの第一歩である。

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