通過儀礼と仮親
人の一生には、誕生・成長・成人・結婚・死など、いくつかの節目があります。これは通過儀礼といい、人生の節目を無事に過ごせるよう祈願するとともに、個人の立場の変化を周囲に示す重要な場でもありました *1。医療が未発達な時代には、子どもが無事に成長するのは容易ではなく、だからこそ、節目の通過儀礼を行うことで地域社会の絆を深め、その子の成長を多くの人々で見守ることが求められたのです。そしてその象徴とされたのが、実の親以外の大人と義理の親子関係を結んだ「仮親」の存在です *2。 仮親とは、一人の子どもに数多くの親子関係を結ぶことで、その生命を保護し、成長を確実なものにしようとするしくみです *3。この風習は日本で広く見られるもので、その種類も多く、名称もさまざまですが、関係を結ぶ時期を指標として、①子どもの誕生前~幼年期に結ばれるものと、②成年期以後に結ばれるものの、2つの形態に大別されます。
誕生前~幼年期の仮親には、妊娠中に岩田帯を贈る
一方、成年期以降に結ばれるのは、成人の際に男性にふんどしを贈る
寝屋親の役割
三重県鳥羽市の沖に浮かぶ
女性の成長に寄り添う仮親
一方、女性の場合は、一定の年齢に達するか、もしくは初潮を契機に一人前とみなされ、その際、
仮親ならぬ、仮の姉妹関係を結ぶ地域もあります。山形県の温海町(現、鶴岡市)の浜中地区では、数え年で13歳になった少女たちが組を作り、毎年暮れに稲藁のくじをひいて、同じ藁を引き合った者同士が姉妹の契りを結ぶケヤキキョウダイ(契約姉妹)とよばれる風習があります。ここで姉妹となったものは、双方の冠婚葬祭に必ず出席するなど、生涯にわたる姉妹としての付き合いを誓い合うのです *8。
伊豆諸島は女性の成人儀礼を盛大に行う地域で、八丈島や青ヶ島では、昭和40年代前半まで、少女が初潮を迎えるとハツタビ(初他火)と称して、親族以外の仮親を任命し、ともに月経小屋へ籠もる風習がありました。タビ(他火)とは、文字通り火を別にすることです。古来より月経や出産に伴う出血はケガレとされ、火を介して伝播するケガレが家族に及ばぬよう、月経中や産後の女性が隔離小屋で過ごす風習がありました *9。
小屋に籠もっている間、少女は仮親から月経の手当方法をはじめ、一人前の大人としての礼儀作法や、機織りの技術、集落内の決まり事などを教わります。また、初潮は島の繁栄につながる慶事とされていたため、月経を終えて小屋を出ると、少女の家に独身男性が招かれ、盛大な祝宴を催します。この日のために、少女の両親は種々の貯えをし、祝宴に備えて着物を準備し、料理を整えました。民俗学者の大間知篤三は、ハツタビは一生のうちでもっとも盛大といわれるほどの行事であったと報告しています *10。
その後、毎月月経のたびに小屋に行くのですが、その間家族から離れ、小屋に滞在している他の女性たちとともに煮炊きをして過ごします。月経小屋での生活は、女性にとって、一見、不合理な習俗に思われるかもしれませんが、日頃の労働や家族の世話から解放されて身体を休める機会となり、時にはおしゃべりに興じたり息子の嫁探しの場となるなど、世代間の交流の場ともなっていたのです。
地域によっては、月経小屋と産屋を兼用しているところもあり、未婚の女性にとってもお産の様子や分娩姿勢、産後の養生法などを実際に見聞きする好機となっていたようです。
お産に寄り添うことの本質
ところで、お産に際し、仮親はどのような役割を担っていたのでしょうか。ここで、先ほど紹介した伊豆諸島の最南端に位置する青ヶ島(東京都青ヶ島村)で、筆者が聞いた興味深い話を通して、お産に寄り添うということの意味を考えてみたいと思います。
青ヶ島では、昭和40年代半ばまでは、初潮を機に仮親との親子関係を結び、お産にも付き添うのが慣例だったと聞き、筆者は当時を知る女性たちに、お産の様子や仮親の役割について質問したことがあります。仮親が具体的にどのようなことをしてくれたのか、出産を経験した女性に聞いてみると、島の女性たちは「産むのは私なんだから、仮親はお産の時に手出し口出しはしない。側にいるだけだよ」というではありませんか。特に、女性たちが自分の力で出産したということを自覚して、繰りかえし強調する様子が印象的でした。
一方、仮親を経験した女性も「お産の介助はしない」、「気をつけることと言えば、大きな音を立てないとか、産屋に人が入ってこないように見張ること」と話し、それ以外はお産の進行を静観するだけだったといいます。実際に、青ヶ島でもケガレが重んじられているので、仮親は産婦と赤ちゃんには決して触れません。取り上げも産後の処置も、全て産婦ひとりで行います。すなわち、島の女性たちは、仮親の役割は産婦が出産に集中するための手助けをすることであるといい、仮親は産婦に触れることも、励ましの声すらもかけなかったというのです。
とはいえ、まったく何もしなかったわけではなく、仮親は、産婦の食事や湯茶の用意、囲炉裏の火や湿度の調整、産屋内の換気など身の回りのお世話をします。興味深いのは、その際にお産の流れを邪魔しないよう、言葉を介さずに妊産婦が欲していることを察知して、先回りして世話をするということです。ある仮親経験者は、「産婦を小さい頃からずっと見ていれば、いつのまにか彼女の考え方や欲していることがわかるようになるものだよ」と話してくれました。つまり、ひとりの女性の一連の成長に寄り添った継続的な関係性が、仮親を務める女性自身の成熟をもたらすと同時に、産む女性は自らの力を信じて出産に臨み、お産に集中することで産む力が引き出されていたことがうかがわれるのです。
なかには気難しい仮親もいて、人間関係に支配されることもあったようですが、島という閉じられた空間でのゆるやかな拘束力や上下関係のなかで築かれる女性同志の絆が、身体的な同調をももたらし、医療のない時代の性や生殖の営みを支えていたといえるではないでしょうか。
幾重にも結ばれてきた仮親との義理の親子関係は、「人生の伴走者」として一人の人間の成長に寄り添い、一人前の大人になるべく自立を促すためのしくみでした。母親以外の者が養育に携わるという点では、産後や育児に不安を抱える母親の増加が指摘される現代に大きな示唆を与えてくれるでしょう。ただし、仮親は、母親の育児負担を軽減するための存在ではなく、むしろ、実の親子関係を阻害しないよう機能していた点も忘れてはいけません。子産み・子育てしやすい社会を考える時、仮親のしくみに学ぶことは大きいようです。
*1 - アルノルト・ファン・ヘネップ『通過儀礼』(弘文堂、1977年。綾部恒雄・綾部裕子訳)
*2 - 大藤ゆき『児やらひ』(三国書房、1944年)、恩賜財団母子愛育会『日本産育習俗資料集成』(第一法規出版、1975年)、柳田國男「社会と子ども」(『柳田國男全集』12巻所収、1990年)。
*3 - 小泉吉永『江戸の子育て読本』(小学館、2007年)。
*4 - 瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』(未来社、1972年)、天野武『若者の民俗』(ペリカン社、1980年)、芳賀登『成人式と通過儀礼』(雄山閣出版、1991年)、平山和彦『伝承と慣習の論理』(吉川弘文館、1992年)、岩田重則『ムラの若者・くにの若者』(未来社、1996年)。
*5 - 山岡健『年齢階梯制の研究-「若者組」を中心として』(北樹出版、1993年)、同『「若者組」と授業実践』(北樹出版、1999年)。
*6 - 澤田英三「三重県答志島の青年宿・寝屋子制度と青年期発達に関する基礎的資料」(『安田女子大学紀要』42,2014年)。
*7 - 前掲注4 瀬川清子『若者と娘の民俗』、大間知篤三「親方子方」「成年式の民俗」(ともに『大間知篤三著作集』3所収、未来社、1976年)、八木透『日本の通過儀礼』(思文閣出版、2001年)、八木透『婚姻と家族の民族的構造』(吉川弘文館、2001年)。
*8 - 佐藤光民『温海町の民俗』、前掲注7 八木透『日本の通過儀礼』。
*9 - 酒井卯作「東京都青ヶ島」(『離島生活の研究』所収、国書刊行会、1966年)、前掲注7大間知篤三「成年式の民俗」、前掲注7 八木透『日本の通過儀礼』および『婚姻と家族の民族的構造』。
*10 - 大間知篤三『八丈島』(角川書店、1976年)。