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【産科医の海外留学・出産・子育て記】第3回 ハーバード大学への道①なぜ、ハーバード?

吉田 穂波(ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

2012年7月20日掲載

要旨:

3人目の子どもを生んで間もなく、子連れでアメリカへ留学しました。そのことを話すと、たいていの方は驚かれます。両親の留学によりアメリカで暮らした幼少期の経験や、留学する医師が多いことなどに影響を受けたのだと思います。また、2人目の子どもの妊娠と、長女の喘息が重なってしまった大変な時期に出会った本も大きなきっかけとなり、留学を決意しました。その時の葛藤と決断の経緯をご紹介します。
なぜ、ハーバード留学?

さて、3人目の子どもが生まれた1ヵ月後にアメリカ留学したことを話すと、たいていの方に驚かれます。普通は3人の小さな子どもがいれば、育休中はゆっくり家庭で育児に専念するでしょう。私は、この出産後の休暇を利用してハーバード大学へ留学しようと準備をしました。私には、自分なりのタイミングの測り方があり、今こそその時だ!と思ったのです。もともと、子どもがいるということをとても誇りとしていた私は、旅行や海外出張、飲み会に子どもを連れて行くのがさほど苦にはなりませんでした。参加前に、必ず周りの人に「子連れで迷惑をおかけしませんか」という確認はしますが、意外にウェルカムな反応に味を占め、いろんな場に子どもと一緒に出かけていました。

自分が4歳から6歳まで、両親の留学で米国テキサス州ヒューストンで暮らしていた、という記憶も海外留学に対する憧れの源になりましたし、そうでなくても医師の世界では、特に研究や教育に携わる医師はキャリアのどこかで海外留学、というのが一般的でした。実際、周りのドクターでも海外留学経験者が多く、自分はいつか必ず留学するんだ、と思いながらキャリアを積んだものです。一度ドイツ留学をしたからもう夢は叶えられたかというと、ドイツでは経験できなかった勉強や研究方面でアメリカの方が優れているという先入観がありました。たくさんの医師が海外に研究留学しているのだから私にだってできるはず、と思い、あまり不安は感じませんでした。

後から考えると、父親が留学する場合(子どもの面倒は妻に任せられる場合が多い)と母親が留学する場合(自分の仕事や勉強に加え、ある程度は自分が中心となって子どもの面倒をみる必要が高く、保育園などの預け先を確保するという困難が付きまとう)では、留学先での生活が大きく異なりますから、これは事前のリサーチ不足だったと思います。 たいていは父親が留学先で研究や学業に没頭し、ついていった妻が子どもの世話と家事を一身に背負う、というパターンで、なんとかやってるよ、という事前情報でした。保育園料金が高額だということも渡米してから分かりました。

当時、産婦人科の臨床現場で働いていた私は、2人の子どもを抱え、朝から晩まで自分の時間がまったく取れないと言ってよいほど、ワーク(仕事)&ワーク(家庭)の毎日でした。教科書を開くことはおろか、新しい知識を得たいと思っても、夕方のセミナーや講習会、勉強会に出席する時間が取れません。おまけに、どれだけ自分が精一杯働いても、使える時間は24時間だけです。子どものお迎えのために夕方や祝日の診療ができないと、勤務先での実働時間が減り、評価も下がります。

その頃の私は「どうしてこんなに頑張っているのに評価が低いんだろう」と、被害者的思考で考えてしまい、今のように「周りへの信頼、感謝の気持ちを上手に伝える」「相手の協力を得られるような形で頼む」といったアサーティブなコミュニケーション術や、「評価が低いのには自分にも責任がある。もっと戦力になるにはどうしたらいいのか、アイディアを練ろう」という主体的なマインドで考えることができていませんでした。「職場にいる時間は短くても、貢献できるようなスキルを身につけたい」「子育て中でも、周りより劣っていると思われたくない」というような負けず嫌いと、科学的根拠を作るための統計・疫学といった研究スキルを身につけたいという思いがいつもありました。

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長女が熱を出すと子連れで出勤し、シッターさんに
病院の近くまで来て預かってもらっていました

しかし、本当に海外留学にチャレンジしてみようと思ったのには、もうひとつ大きなきっかけがあります。私が2人目を妊娠している頃、長女が肺炎をきっかけに喘息という病気になりました。子どもの気管支(空気を通す管)は細いので、炎症を起こすと腫れて狭くなりやすく、痰が詰まり、あっという間に全身状態が悪くなってしまいます。また、一度病状が改善しても、繰り返しやすいのが小児喘息の特徴です。4ケ月おきに長女が喘息の重症発作を起こし、10日前後の入院をしました。そのため診療を代わってもらうか、付き添いの人を頼むかしなければならなかった1年間、私は、「どうしてこんなことに・・・」と自分の境遇を哀れむばかりでした。1人目の育児というのは、私にとってそれほどにまで思いつめてしまうものでした。

しかし、周りに愚痴を言い、嘆いていた自分の中に、「悲劇のヒロインでいいの?」という、自分に対する疑問が涌いてきたのです。"自分はハッピーでいたい"という本能でしょうか。もともと両親から譲り受けた楽観的な性格のおかげでしょうか。本が好きな私は、自分をワクワクさせ、気持ちを明るくするような本を探し回り、多くの自己啓発書にめぐり合いました。ビジネスマンが読むような『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)にも時間のマネジメントや、人生を自分の思うように進めるヒントがたくさん詰まっていました。思考や気分は変えることができる、起こった事柄に対して反応する方法を自分で選択することができる、自分の考え方を変えれば現実も変わる、というフレーズには、当たり前だけれども、目からうろこが落ちたような気がしました。中でも、『3週間続ければ一生が変わる―あなたを変える101の英知』(ロビン・ シャーマ著)という本は印象に残っています。その中で

  • 忙しさにこれで十分と言うことはない。蟻も忙しいのだ。問題は、何にそんなに忙しいのかと言うことである。(ヘンリー・ソロー)

  • 困難だから、やろうとしないのではない。やろうとしないから、困難なのだ。(セネカ)

  • こちらから人生に対して行動を起こさなければ、人生の方からこちらに行動を興してくる傾向がある(ロビン・シャーマ)

という格言があり、そのときの私の胸にグサッと刺さりました。勉強したい、向上したいと思いながら、子どもの体調の変化にエネルギーを奪われ、そういう自分を許している。このままではいけない、と思ったのです。そこで、3人目を授かった時に、診療を離れても勉強できる産休のタイミングを選び、海外留学を決行することにしました。海外留学中は、収入を得られなくなります。しかし、隣の芝は青い、という言葉のように、収入は得られるけれども時間のない生活より、収入は得られなくとも自己投資ができる留学の方が、私にはまぶしく映りました。

次回はどのようにして留学を実現したかご紹介します。
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2008年7月 三女が生まれたばかりのころ

筆者プロフィール

report_yoshida_honami.jpg 吉田 穂波(よしだ ほなみ・ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー・医師、医学博士、公衆衛生修士)

1998年三重大医学部卒後、聖路加国際病院産婦人科レジデント。04年名古屋大学大学院にて博士号取得。ドイツ、英国、日本での医療機関勤務などを経て、10年ハーバード公衆衛生大学院を卒業後、同大学院のリサーチフェローとなり、少子化研究に従事。11年3月の東日本大震災では産婦人科医として不足していた妊産婦さんのケアを支援する活動に従事した。12年4月より、国立保健医療科学院生涯健康研究部母子保健担当主任研究官として公共政策の中で母子を守る仕事に就いている。はじめての人の妊娠・出産準備ノート『安心マタニティダイアリー』を監修。1歳から7歳までの4児の母。
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