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論文・レポート

【国際都市ドバイの子育て記 from UAE】 第1回 酷暑のドバイへお引越し

森中 野枝

2017年6月16日掲載
アッサラーム・アレイコン!

ドバイからこんにちは!

2011年から2013年の一年半をカナダ・トロントで過ごした私たちは(詳しくは【移民の街トロントの子育て記fromカナダ】をご覧ください)、またもや急な転勤で今度は中東の国、アラブ首長国連邦に引っ越してきました。カナダに転勤が決まった時も、何の前触れもなくいきなりカナダと言われ、大きくて強い波に押し流されるかのように引っ越したのですが、今回も同じ。地球儀の上を地図も持たずにうろうろしていたところを、見えない大きな手でひょいっと摘み上げられて、降ろされたところがドバイだった、という感じでした。それでも、夫は「ノー」と言えないしがないサラリーマン。行くしかありません。

さて、みなさんはUAE、アラブ首長国連邦と聞くとどのような印象を抱かれるでしょうか。恥ずかしながら、私がもっていたのは「長い名前の国」と「セレブにあこがれる女の子が行きたがるキラキラした場所」という非常に漠然としたイメージ。まずは、簡単にアラブ首長国連邦の概要をご説明します。

エミレーツは「首長国」、UAE人は「エマラティ」

アラブ 首長国連邦の英語名は、United Arab Emirates。国名にある「首長国」は英語でエミレーツ(Emirates)といい、首長を王様とする国のことです。イギリスが長く支配していたこの地域から突如軍事撤退を宣言したのは、1968年。小さな首長国では生き残れないと、アブダビ、ドバイをはじめとする7つの首長国が集まって連邦体制を作り独立、1971年にアラブ首長国連邦が誕生しました。世界で最も高級な航空会社で知られるエミレーツ航空の「エミレーツ」は、首長国を意味する英語のEmiratesからきたものです。UAE人のことは、英語ではエミレーツに住む人という意味で、エマラティ(Emirati)と呼びます。

7つの首長国の中で、みなさんが馴染みがあるのはアブダビやドバイでしょうか。他に北部にシャルジャ、アジュマーン、ウンム・ル・カイワイン、ラス・アル・ハイマ、フジャイラという5つの首長国があり、合計7つの首長国でUAEは構成されています。面積が一番大きく石油産出量の大部分を占めるアブダビ首長国のアブダビ市が首都。アブダビの首長がUAEの大統領を、二番目に大きなドバイ首長国の首長が副大統領を務めるのが慣例となっています。

UAEは、アラビア半島東部に位置し、東はオマーン湾、西はペルシャ湾に面しています。ペルシャ湾を挟んだ対岸にはイラン、オマーンとサウジアラビアとは陸続きで、オマーンには車で簡単に入国できます。

天気予報がいらない国

私がカナダに住んでいた時の英語学習の目標の一つは、「天気予報を正確に聞き取ること」でした。冬の朝、起きると外はまだ真っ暗。肉眼で天気を確認できないため、まずテレビをつけて最新の天気予報をチェック。あわただしい朝の支度の途中でも手を止めてじっくり見ます。雪が降るかどうかや予想気温だけでは十分ではありません。風が吹くと体感温度が実際の温度より10度は下がるため、風の強さが何級なのか、何時から強風が吹くのか。赤ちゃん連れ、車なしでお出かけする私にとっては、天気は死活問題。入念なチェックが必要でした。

一方、ドバイではほとんど天気予報を見ることがありません。昨日も、今日も、明日も、おそらく一週間後も、晴れ。雨は基本的に年数回しか降らず、雨が降る時は一週間ぐらい前から、「週末に雨が降るらしい」とどこからともなくうわさが回ってきます。

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出典:World Weather Information Service
ドバイの天気予報。ずらりと晴れマークが並んでいる。


気候は砂漠気候で、季節は冬季(11月~3月)と夏季(4月~10月)に分けられます。夏季の気温は50度に達する日もあり、「車のボンネットで目玉焼きが焼ける」といううわさが都市伝説のようにまことしやかに語られます。砂漠気候で乾燥しているかと思いきや、その逆で高温多湿。湿度が100%に達して結露し、壁や窓ガラスに水滴がびっしりつくことも。真夏に冷房が効いたショッピングモールから外に出ると、眼鏡が一瞬にして曇ってしまいます。

一方、冬季は、気温が20度~30度と過ごしやすい期間。雨が降るのもこの時期で、朝夕は気温が下がり、セーターやブーツなどが必要になる時期が1、2か月あります。

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8月、外気温を示す車の温度計が48度に。
モールの駐車場から、「よーい、ドン!」と全速力でモール内に駆け込みます。


8割が外国人

UAEの総人口は945万人(2014年)。アブダビ(150万人)に続いて、ドバイの人口は約140万人です。特筆すべきは、UAE全体の8割を占める外国人の多さ。ドバイに至っては、9割が外国人と言われています。外国人の多くは出稼ぎ労働者で、国に家族を残して単身で働きに来ている人が大半です。主な出身地は、インド、パキスタン、フィリピン。同じイスラム教で、地理的にも近いインド・パキスタン人がダントツ多く、ドバイは「最も美しいインド人の町」と言われるほど。インド人子弟のための学校も多く、ドバイには30ものインド人学校があります。外国人労働者はタクシー運転手、レストラン店員、工事現場の労働者などの肉体労働だけでなく、公務員、医療機関、教育機関、IT、企業のマネジメントなどありとあらゆる分野で活躍していて、日常生活において私たちがUAEの現地の人と接触することはほとんどありません。現地の人は、高給取りの公務員か企業のマネジメントなどの仕事をする人が多いそうです。

世界一のオンパレード

ドバイと言えば「世界一」を多用した観光プロモーションの代表としても有名です。石油依存からの脱却を目指し、観光資源をもたないドバイに観光客を呼び込むための話題作りとして「前代未聞」の建物や観光地が次々と誕生しています。世界一高い高層ビル(バージ・カリファ)、世界最大のショッピングモール(ドバイ・モール)、月からも見える噴水ショー(ドバイ・ファウンテン)、7つ星ホテル(バージ・アル・アラブ)、ヤシの木の形をした人工島(パーム・ジュメイラ)、屋内スキー場(スキー・ドバイ)など枚挙にいとまがありません。

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ギネスブックにも載った地上828メートルの高層ビル、バージ・カリファ。
この日は、国旗を模した建国45周年の特別ライトアップがされていた。


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エミレーツ・モールの中にある人口スキー場。写真はスノー・パークという
雪遊びができるエリア。反対側にはゲレンデがある。


共通語は英語

UAEの公用語はアラビア語ですが、圧倒的に外国人が多いため、実質的には英語が共通語です。アラビア語で数が数えられなくても、全く問題なし。冒頭のアラビア語の挨拶「アッサラーム・アレイコン」を使ったことは、考えてみれば一度もありません。アラビア語が出来なくても生きていけますが、逆に英語ができないとかなり苦労します。

ちなみに私が日常的に接する日本人以外の外国人は、長男が通っているインターナショナルスクールの先生(イギリス出身)、クラスメイトのお母さん(レバノン、ヨルダン、エジプト、韓国、南ア、フィリピン、パキスタン、ウクライナ出身)、同じアパートに住むお友達(台湾、香港出身)、子どもの通う体操教室のコーチ(ルーマニア、ウクライナ、ロシア出身)、体操教室のクラスメイトのお母さん(アメリカ、デンマーク出身)など。

国際都市、ドバイ

私が中国に留学していた1990年代は、まだ外国人の行動が制限されていて、外国人留学生は大学の「留学生楼」という寮に押し込められている時代でした。中国人と接する機会を探していたところ、運よく私と同年代の女の子がいる中国人のホストファミリーが見つかりました。ホストファミリーの住むエリアに入る時は、国籍を偽り守衛の監視をくぐりぬけ、毎週末泊まりに行き、家族のように温かく迎えてもらいました。その後留学を終え、日本に帰国し、夫の駐在で再び北京に滞在した時には、北京で生まれた長女を連れてよく遊びに行き、親戚のような付き合いが続いています。移民の国カナダでは、多様なバックグラウンドをもつカナダ人と交流できる場所が多く、積極的にそのような場に顔をだして「子育て」を通して刺激を受けることができました。

そんな私にとって、ここでは地元の人と触れ合う機会がほとんどなく、外国人との交流ばかりで物足りなく感じることがあります。ドバイは駐在員の都市。ここで知り合う相手はみな外国人。自分と同じような根無し草で、お互いにいつどこに引っ越すかわからない人ばかり。たとえて言うなら、大勢の人が猛スピードで縦横無尽に移動する渋谷のスクランブル交差点に立っているような感覚。自分だけではなく、相手も短いスパンで移動するので、せっかく友達になったのにすぐにお別れ、お互いに人生の一中継地点でしかないのです。

息子が通っていたナーサリーの担任の先生は、新学期が始まって1か月でエジプトに引っ越してしまい、次の先生が見つかるまで1か月かかりました。そして、その新しい先生も学年が終了すると同時に南アフリカに引っ越していきました。次女の通っていた体操教室のお友達の家族は、15年もドバイに住んでいたのに、お父さんがリストラに遭い突然解雇され、泣く泣くプール付きの豪邸を売ってデンマークへ帰って行きました。夜逃げのように一瞬で住まいを引き払い、全部の荷物を抱えて国に帰って行ったフランス人のお友達もいました。生き馬の目を抜く大都会、ドバイ。まさにスクランブル交差点なのです。

でも逆に言えば、人の出入りが激しい分コミュニティの結束が緩くて風通しがよく、新しい人を温かく迎え入れる雰囲気があり、若くて活気があります。コミュニティの線引きも明確でなく、いろんな国の人と知り合う機会があるのも大きなメリットです。

国際的な都市、ドバイならではの環境で、日本人コミュニティ、中国人コミュニティ、インターナショナルコミュニティを行き来しながら、ドバイに住む「日本人駐在員の子育て」をレポートしていけたらと思っています。


筆者プロフィール

森中 野枝

都立高校、大学などで中国語の非常勤講師を務めるかたわら、中国語教材の作成にかかわる。
学生時代中国・北京に2度留学したあと、夫の仕事の都合で2004-2008 北京に滞在。2011-2013カナダ・トロント滞在。現在はアラブ首長国連邦ドバイに住んでいる。
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