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【宝宝、ニーハオ!-上海子育て記】 第13回 番外編:2015上海再訪の旅

上海から日本に帰国して1年がたちました。現在私は職場復帰し、息子は幼稚園に入園、娘も同じ園のプリスクール(3歳未満児クラス)に通っています。
英語教育を掲げているということもあって、国際色豊かなこの園には中国人ファミリーも何組かいらっしゃいました。先生によると、息子はさっそく「ニーハオ!俺、上海出身!」と自己紹介したそうです。(この場合「出身」と言えるのかどうかはさておき・・・)
偶然ですが、職場でも私の隣の席が中国人の同僚になったこともあって、なんとなく帰国してからも彼の地とのご縁が続いているように感じています。

ご縁と言えばこの春、上海在住時に中国語の家庭教師をしてくれていた虞さん(女性)が結婚されることになりました。
上海の結婚式とはどんなものでしょう?アイさんとの再会、1年ぶりの上海で改めて感じたこと、今回は番外編として息子と二人で行った上海再訪の旅をレポートします。


到着前からすでに上海

出発の朝、私たちは成田空港にいました。利用したのが中国系の航空会社だったためか、チェックインカウンターに並ぶ乗客は中国人の方ばかりです。
大きなスーツケースにたくさんのお土産、中国語がテンション高く飛び交います。年配の方が息子を見て「小朋友 你几岁了シャオパンヤオ ニ ジスエラ?(ぼく、何歳?)」と話しかけてきました。彼が「五岁了ウースエラ!(5歳です)」と答えると、「かわいいね。」「中国語話せるのね。」などと会話が弾みます。

しばらくして退屈した息子が漫画を読み始めると、「ちょっとあの子見て!本読んでるよ!」「漢字読めるの?」「賢いねえ!」・・・なんだか誤解されているようですが、一緒に並んでいる人たちの視線が息子に集中します。そんな中、一人の車いすにのったおじいさんが静々と近づいてきました。息子の手を撫で「他爱学习ターアイシュエシー。(彼は勉強が好きなんだね)」とにっこり。
もうこうなるとここは成田空港ではなく、限りなく上海の路上です。(第11回写真)
こういう場面、何度もあったな・・・だんだん思い出してきました。

ところが、搭乗してしばらくたつと、「この子5歳だって!ずっと静かにしているよね。」という会話がどこからともなく聞こえてきました。どうも私たちのことを話しているようです。
「さっき見た?このお母さん、子どもが落としたおもちゃを拾ってあげなかったの。自分で拾いなさいって拾わせたんだよ!」・・・間違いなく私たちのことです。
「来た時もかばんを自分で持たせてたものね。」・・・そこから見ていたのですね。
こんな時だけちゃんと中国語が聞き取れてしまう自分を恨みます。きっと優しくない母親だと言われるのだろうと覚悟していると、次に続いたのは意外な言葉でした。
「すごいよね。まだ5歳なのに、中国の10歳の子と同じくらいのことができる。やっぱり日本人の子どもは自立してるわ。」「そう、すごいよね。」
なんと批判ではなく賛辞だったのです。

中国では子どもがとても大切にされますから、周りの大人がなんでもしてあげる傾向があります。
小学生になっても通学かばんは重いからと大人が持ってあげるくらいです。それではいけないと考える人が出てきているのでしょうか。日本に滞在している間に、似たような光景を何度も見たのかもしれません。
いえいえ、そんなことより、子どもはどこに行っても注目の的だということをすっかり忘れて焦ってしまいました。(まだ到着してないけれど)上海に戻ってきたぞとさっそく気持ちを切り替えました。


上海の結婚式に出席

さて、いただいた招待状には披露宴開始が「18:18」と書いてありました。「18」分なんてとても中途半端に感じますが、中国では縁起のいいとされる数字「8」を使うのがみんな大好きです。ちなみにご祝儀として渡す金額は、偶数が鉄則です。中国では左右対称やきれいに対になるものが縁起がよく、また結婚は二人が一つになるからと考えられているからです。結婚のお祝いに割り切れる偶数はだめな日本とは逆ですね。
縁起のいい数字があれば、色もあります。めでたい色は「赤と金」、絶対にこれに限ります。ご祝儀袋も真っ赤な封筒ですし、出席者に配られるたばこ(注1)のパッケージも真っ赤、芳名帳も赤地に金色のペンで徹底しています。
逆に縁起の悪い色もあります。花嫁には、出席の際の注意事項として一つだけ、
「結婚式で黒は絶対に着ないでくださいね。中国では黒に真珠はお葬式です。日本では礼装に黒を着ることは知っていますが、だめです。私のお母さんは赤を着ます!」と念を押されました。

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レセプション 右側に芳名帳
真っ赤な高級たばこ「中華」(一箱約1,000円)と
お茶とお菓子のお土産

結婚式会場についてみると、入り口付近にはたくさんの花の飾りが付いた高級外車が止まっていました。これは出席者が乗ってきたものではなく、花嫁を迎えに行くために特別に用意されたものです。
虞さんのお宅にも、旦那さんが乗る車を先頭に、さらに4台の車が列をなしてお迎えにきたそうです。何事も面子を大事にする中国では、派手な演出でお迎えに行くこと、迎えられることが重要だと聞きました。
私たちは残念ながらこのお迎えの儀式には間に合わなかったのですが、虞さんの説明によると朝からとても大変だったようです。まず、新郎は友人たちと共に車で新婦の実家に到着すると、待っていた親族たちが出すクイズやゲームに挑戦します。これにクリアして初めて中に入ることが許され、家族、親戚、友人らみんなと一緒に花嫁の待つ寝室に向かいます。(注2)
そして皆が見守る中、赤いシーツで飾られているベッドで、新郎が改めてプロポーズし新婦に指輪をはめるのです。この公開プロポーズがお迎えの儀式のヤマ場なんだそうです。

それが終わると、花嫁の家族が新郎にご祝儀を渡したりお茶でもてなしたりした後、友人、親戚一同で公園へ移動し写真撮影。そして披露宴会場に移動後、新婦は新郎側家族よりご祝儀をもらい、お茶の時間。新郎新婦はなつめと蓮が入ったデザートを食べます。(注3) ここまででざっと約8時間、そしてやっと披露宴の始まりです。

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お迎えの車
花嫁とお母さん

上海でも日本と同じく、結婚式の様式はそれぞれです。昔ながらの伝統的なものもあるでしょうし、個々の理想、予算にもよるでしょう。
私が出席したのは、旦那様が日本人ということもあるのか、ホテルでの最新式のパーティーでした。

実は上海で結婚式に出席すると言うと、参加したことのある夫や友達から、絶対にびっくりするよと散々脅かされていました。
「長時間にわたって何ということもなくだらだらと続く」「出席者は勝手に来て勝手に帰る」「来る人の服装がみんな普段着」「大皿に山盛りの料理がどんどん運ばれ、食べ終わっていない皿の上に皿が乗せられ続ける」「お酒とたばこがとにかくふんだんにふるまわれ続ける」等々。

私もさぞや・・・と覚悟半分楽しみ半分で臨んだのですが、披露宴は時間通り18:18に始まり、乾杯、主賓のあいさつ、誓いのキス、新婦のあいさつ、新郎新婦から両親への花束贈呈などを経て、ちゃんと3時間で終わりました。小さな子どもとお年寄り以外、皆さんゲストらしい装いです。

強いて言うならば、中華式の回転テーブルをくるくる回してその日初めて会った他のゲストと大皿の中華料理をシェアして食べる(あんまり日本の結婚式ではありませんよね)、ビールがぬるい(おなかを冷やすので中国の方はビール冷やして飲みません)、白酒(アルコール度数50%以上)をさかんに勧められることなどは、日本ではないだろうなと思いましたが、私にとってはどれも想定していた範囲内、特別びっくりした!ということではありません。なんだかちょっぴり肩透かしの気分・・・。

どちらかというとそれよりも、新婦の寝室を皆に公開してのプロポーズ、新郎新婦が映画の主人公のようにポーズを決めた大量の写真、天井からレースのようなスクリーンが降りて来て、抱き合う二人のシルエットが浮かび上がっての誓いのキス、それと同時に無数のハートが会場の壁一面に飛び散る!といった派手な演出の数々、そちらの方が私には相当インパクトがあり、驚きでした。最近の日本の結婚式はだんだん簡素化されていると聞いたことがあります。それとは真逆のロマンチック、ドラマチックが大盛りのセレモニー、3時間目が釘付けでした。

息子はというと、明るくなったり暗くなったり、映像と音楽を交えた派手な演出に目を白黒させていました。もともと結婚式がどんなものなのかを知っているのか不明ですが、これが息子の人生で初めて出席したことになる結婚式です。上海でというのがまた特別に感じます。

ご招待いただいたことに感謝し、そしてこれからも新しく夫婦になったご夫妻とお付き合いを続けさせていただければと思っています。

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素敵な会場
新婦と父親


アイさんとの再会:上海の一般家庭を訪問

結婚式の次の日、私たちが向かったのは、上海で一番お世話になった方、通称アイさん、お手伝いさん兼ベビーシッターの金さんのお宅です。金さんは私たちが日本へ帰国する日、早朝にもかかわらずわざわざ見送りに来てくれました。娘の手を握り締めて「こんなにかわいい子と別れたくない!」と大号泣。見ている周りの方がもらい泣きしてしまったほどです。

そんな金さんに、去年待望の二人目のお孫さんが産まれました。一人っ子政策緩和の恩恵に預かる世代が出てきたのです。一人目のお孫さんが女の子、二番目が男の子だったので、金さんの喜びは相当のものだったと思います。
アイさんのお宅を訪問するのは、実は初めて。それどころか、上海の一般家庭にお邪魔することさえこれまでなかったので、とても楽しみにしていました。

金さんの自宅は、「小区」と呼ばれる典型的な上海の集合住宅でした。多少古びていましたが、立地がよく、広さは十分です。ガスレンジや換気扇がピカピカだったので最近新しくしたの?と何気なく聞くと、「ううん、変えてから7年くらいたちます。時間がなくて最近ちゃんと掃除もできなくて。」と言うのでびっくりしてしまいました。油をよく使う中華料理を毎日作っているはずなのに、よく磨かれていて新品同様の美しさ・・・思わずたった1年ですでに汚れ始めている我が家の台所を思い浮かべてしまいました。金さんはお掃除が上手で、いつも我が家をきれいにしてくれていたなあと思い出します。

それにしても金さん、会った早々、「子育てって疲れるね~!一人で二人も育てて、仕事もして、太太タイタイ(奥さん)は本当にすごいよ!私は一人でも大変!」とまくしたてます。そう言われてみると、確かに少し痩せたように見えます。
実は、息子さんに二人目の子どもが生まれたのに機に、金さんは仕事をやめ、上の孫娘のいーいーちゃんを自宅に引き取って一緒に生活し始めたそうなのです。

「彼女はずっと私たちと一緒なの。息子夫婦がたまに会いに来るけど、あっちの家には行かないの。あっちには、小さい赤ちゃんがいて大変だから。来年から幼稚園にもここから通うの。」と。てっきり日中だけ面倒を見ていると思っていたので驚きました。

中国では、別居する祖父母が孫を養育することが特別ではないということは知ってはいました。都市に出稼ぎにくる田舎の人はたいてい子どもを実家に置いてきます。都会の生活費は高いですし、若夫婦は仕事に集中して仕送りをし、子育ては引退した祖父母の役目です。
しかし、金さんの自宅と、息子さん夫婦が奥さんの両親と暮らす場所はどちらも上海市内。車で30分くらいの場所です。
なんとなく子どもを育てるのは親の役目、自分の子どもと離れて暮らすなんてと考えてしまいますが、どうもこちらでは仕事で忙しくて手の回らない父母よりも、信頼できる祖父母にちゃんと育ててもらった方が子どもにとっては幸せ、と合理的に考えるようです。
女性の就業率が高いわりに産休、育休が短い中国では、祖父母が子育てのメインの担い手とならざるをえないという事情もあります。(注4)

親になった息子さんたちも祖父母にかわいがられて育ったので不安はないのでしょう。そして、金さん自身にしてみれば、息子を自分の親に育ててもらったので、小さな子どもの世話の経験が少なく戸惑っているようでした。「アイさんとしての仕事とは勝手が違う、食事、トイレ、遊び、寝かしつけ、朝から晩まで、ずっとよ!忙しすぎて家のことが何もできない!疲れた!」
前述したように、子どものために何から何までやってあげるのでしょうから、痩せるほど疲れるのも納得です。

さて、金さんと久しぶりに会った息子の反応はというと、「アイさん ニーハオ!好久不见ハオジューブジェン!(お久しぶりです。)」と練習通り言えましたが、恥ずかしそうにしていていつもの元気がありません。ところが、息子が大好きだったからと金さんお手製のワンタンが出されると一変、そんなに食べて大丈夫?と心配になるほど、何個も何個もすごい勢いで食べ続けました。小さな頃から食べていた、懐かしいおふくろの味、いやアイさんの味ですから、よほど美味しかったのでしょう。満腹になって緊張も取れたのか、それからいーいーちゃんとも仲良く遊びました。

疲れたと言っても、相変わらずパワフルで元気いっぱいの金さん、次は日本で会いたいねと言って別れました。きっとまた会えると信じています。

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アイさんと息子


1年後の上海

さて、1年後の上海、私にとって何が一番変わったかと言うと、私たちが住んでいたマンションが閉鎖されたことです。大規模改修するので、○月末までに退去ください、再入居できるようになったら知らせます。そんな通知が突然出たそうです。

日本ではなかなかないと思うのですが、こういうことが上海ではあまり珍しくありません。不動産関連の相場は上昇中で、貸主側の立場が強いのです。
ここに来ればいつでも会えると思っていた友人たちはそれぞれ新たな場所へと引っ越し、お世話になったマンションのスタッフの方々の行方については知りようもありません。

改修された様子もなく何もかもそのままで、人だけがいない姿はがらんとしてさみしいものです。
外から柵越しにかつて住んでいた部屋をのぞいていると、「俺の家どこ?なんで入れないの?」と息子は聞きます。短い期間でしたが、彼の最初の記憶に残る「自分の家」はここになるのでしょう。そう思うと感慨深いものがあります。変わらず静かな家の前の通りを、しばらく忘れないように二人でゆっくりと歩きました。

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以前住んでいたマンションの前で。


さて、上海に住む日本人家庭の間で昨年もっとも話題となったのは、日本人学校の通学バス問題です。(注5) 日本人学校には学校が提供するバスサービスはなく、それぞれのマンションが住民向けのサービスとして送迎をしたり、各家庭で私営のバスサービス会社を利用したりしていました。しかし、突然政府の指導により、そういった私営のスクールバスが禁止されたのです。

ある日突然、自分たちで通学しなさいとなると、大混乱になったことが予想できます。
友人たちにどうしているのか聞いてみると、「片道30分歩いているよ。初めは大変だったけど、普段なかなか子どもとゆっくり話す時間がないから楽しいよ。空気が悪いのがちょっと心配だけど。」「子どもも初めは疲れていたけれど、だんだん体力がついてきたみたい。親にとっても運動になるわ。」「何家族かでタクシーに毎朝来てもらう契約を結んだ。割高だけどそれは仕方ないかな。」「上海で公共バスに乗ったことなんてなかったけど、挑戦してみたら便利だって分かった。」と、結局は自分で対応するしかないと、不満ばかりが出るわけではなかったのが意外でした。

「ルールはいつでも突然変わる、文句を言っても無駄。あとは自分たちがどうそれに対処するか。もしうまくいかなかったらまた別の方法を考えればいい」
これはよく聞く中国的な考え方ですが、マンション閉鎖にしても、日本人学校のバス問題にしても、次々と降りかかるトラブルを軽々と乗り越えていく友人たち、強いなあ、頼もしいなあと感心してしまいました。


住めば都よ 我が郷よ

さて、最近の日中関係、そして大気汚染の問題だけでなく、一般的に中国は生活するに不便なところと日本では認識されているようです。

確かに日本には、秩序があり、清潔で、治安がよく、サービスの質が高い、帰って来てみると今まで当たり前に感じていたことに感動を覚えます。上海はそれらの点においては残念ながら日本には到底及びません。しかしながら、その強さ、おおらかさ、プラス思考、率直さ、チャレンジ精神、子どもへの好意的な視線など、学ぶべき点は大いにあります。

上海に駐在が決まったと言うと、周りの人に「大丈夫?本当に行くの?」と言われたという話はよく聞きます。私自身「上海は大変だったでしょう~」と決めつけられて、どう答えていいか戸惑うことが多々ありました。
本当のところ、これから上海に向かう人に対してそんなに心配することはないですし、上海から帰ってきた人に対してもまるでサバイバルからの帰還のように接する必要もないと思うのです。
なんとかなるものです。少なくとも、「なんとかなる」を学べる場所です。
日本に帰国してからの1年を思い返してみると、なんでも予定通り、規則通りに進むことに慣れてしまい、想定外の出来事に動揺したり小さなことを心配したりすることが増えた気がします。皮肉なことに、思いがけないことが起こるけどまあなんとかなるでしょとあきらめていた時の方が心安らかだったかもしれないのです。

私の母方の祖父が、戦時中の満州から白樺の皮を剥いで作ったはがきに「住めば都よ 我が郷よ」と書いて日本に残してきた家族に送っていた事を思い出します。
どんなところでも前向きに生きること、柔軟な考え方をもつこと、日本から離れて上海で暮らした3年間で私たちもそんなことを学べたのではないかなと改めて思いました。

たった3日の滞在でしたが、また新しい体験といい思い出ができました。息子は元クラスメイト達と会えたことが一番嬉しかったようです。彼にとって上海はやっぱりいつまでも「俺の場所」のまま。今度は家族みんなで訪ねたいと思っています。

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クラスメイトとの再会。


  • (注1)中国では特に男性にとって、たばこは昔からコミュニケーション手段の一つです。ビジネス上での付き合い、宴会の場、またお祝いごとなどで、好意や敬意、謝意を表す品としてたばこはお酒と並んで重要なアイテムです。ですから、接待やお祝いのパーティーなどでは必ずたばことお酒がセットでふるまわれます。
  • (注2) 新郎が花嫁を迎えに行く儀式は地域でかなり違うようです。
    地方によっては花嫁を探す、かくれんぼをすると聞いたことがあります。ただ、公開プロポーズを行うのは共通のようです。
  • (注3)棗子(なつめ)の発音ザオズーが早子と同じであるため、子どもが早くできるように、蓮の実の発音のリエンと同じ「连(lián)」の意味は「つながる」、そこから新郎と新婦が蓮の実を食べ合い、「互いに心を繋げよう」と新婚生活を誓う、そこからこのなつめと蓮の実のデザートが食べられるそうです。このように中国語は同音異義語で縁起を担ぐことがよくあります。
  • (注4)上海の一般的な産後、育児休暇は3か月です。
  • (注5)上海の日本人学校、通学バス禁止で困惑 当局が突然の通告
    http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM27H1S_X20C15A1EAF000/
    幸い、4月からは政府の認可した形のバスサービスが始まったようです。
筆者プロフィール
石橋 貴子

チャイルド・リサーチ・ネット日本語版・英語版編集、外資系企業勤務を経て、2011年6月より夫の転勤に伴い上海在住。
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