2年半にわたって連載を続けてきた「子育ての脳科学」も新しい課題に論及するのは今回が最終回になりました。そこで連載の最初に目標とした「子育ての環境で自殺者を減らすことは出来るのか?」という非常に難しい、ある面で無謀であったとも反省できる課題について、今までの連載を総括しながら考えてみたいと思います。
連載の第3回「笑わない子どもたち」の中で、私は『最近笑わない子どもたちが増えている』との印象を述べて、人類が笑うことは「生きるために必要だから笑う」のだと提唱しました。そして、笑わない子供の増加は「生きる力の弱い子どもたち」の増加を表しているように感じ、成長後に自殺という恐ろしい事態が訪れる危険性が増加しているのかも知れないという小児科医としての直感と危惧を表明いたしました。この連載の大きな目標の一つは、子どもたちが笑顔を取り戻すような子育てを進めることから、将来の自殺者の増加に歯止めが掛かれば良いなとの願いでもありました。
「笑う門には福来たる」という言葉が示すとおり、人類は笑うことで幸せを表現し、共有し、笑顔を作る自分自身を感じる身体フィードバックによって、「笑うから幸せだ」と、笑顔を作ることで自分が幸せだと自覚するようです。子どもの笑いが新生児微笑に端を発することは明らかですが、チンパンジーでは新生児期のみにみられて成長とともに消えてしまう笑顔と笑いが、人類では成長とともに個人の中から社会全体へと発達していきます。最初は生まれつきの神経反射で満腹時やウトウト眠いときに生理的に出現していた新生児微笑が、成長と共に満腹感やまどろみの身体的快楽と結びつき、やがては幸せであるという自己意識へと発展していきます。このような「幸福感の自覚」には自分の心の状態をモニターする自己意識機能が必要条件で、ヒトの乳児期に観察される母親(養育者)と乳児が、微笑と微笑を相互にやりとりする「笑顔のキャッチボール」が濃厚な人間関係を作る最初の第一歩でもあるように思われます。親子の間で交わされる笑顔と笑顔の交流は個人と個人が感情を共有する最初のプロセスで、この顔と顔をつきあわせた笑顔のキャッチボールを通じて人類では心の輪が個人の脳を超えて社会的ネットワークへと拡大していくのだと私は考えています。
しかし笑いが純粋に幸せだけを表現するものでない場合もあります。社会的な存在として個体間の優劣を示すために交わされる愛想笑い、期待が外れたときの捨て鉢な自嘲や自虐の笑い、失敗を隠すための照れ笑いなど、社会性の獲得と共に、子どもたちはより複雑な笑いを体現するように成長していきます。この様な複雑な笑いは社会脳の発達が遅滞している子どもでは現れにくく、いつまでも「天使の笑い」のみを保持する傾向が観察されます。幸せな笑いしか知らなかった幼児は、自嘲や照れ隠しの笑いと言った「不幸な笑い」を社会的文化的習慣から学習して、次第に幸せと不幸の混じった複雑な笑いを表現するようになります。笑いが社会的道具として、幸せの共感と同時に不幸の共感をも示しているのはおそらく人類社会特有の現象であり、ヒトにおける共感の複雑さを如実に示していると思います。さらに笑いの成長は社会的なグループ化をも促進し、一緒に笑うことが仲間意識を強め、一緒に笑えない者をグループから排除する方向性という、共感・共有的要素と排他的要素の両極性を持つようになります。これが嘲笑やいじめへと増長すると、本来は幸せの表現であったはずの「笑い」が不幸を増やすことにもなるのが人類の笑いが持つ陰と陽の二面性であると私には思えます。
最近の社会問題でもある若者たちのインターネット上でのいじめやグループからの集団的な排除行為や袋だたき行為は、お互いに顔の見えない文字だけの交流の中では感情交流が適確に行われず、文章に含まれる裏側の意味や意図を理解せずに文字づらだけを受け取る「自閉的な」融通の利かない他者理解が増長した結果とも考えられます。前回の記事中でも言及したように、「顔と顔を突き合わせてお互いの感情を理解する」という共感脳の発育に必要な体験が不足している養育環境の結果が、現代社会での相互理解の障害へとつながっているのではないでしょうか? そして共感脳の脆弱化こそが「困っても他人に相談できない」「他人が困っていることに気がつかない」「他人が困っていても助けようとしない」共生関係の弱い社会をつくるもととなり、この共生脳の脆弱化こそが自殺者増加の一番の原因ではないかと私には思えます。
ですから、子育て環境で自殺者を減らすことは理論上は可能なはずです。
自殺を企図する人は多くの場合、かなりの鬱状態にあることと、鬱状態から救い出してくれる人が身近にいなかったことが指摘されています。鬱状態で一人で孤立して悩み続けた結果が自殺企図へと進展するのです。「困っても他人に相談できない」「他人が困っていることに気がつかない」「他人が困っていても助けようとしない」共生関係の弱い社会が今後ますます悪化の途を辿らないように、私たち大人が自分自身の共生脳を強くすると共に、子どもたちにも強い共生脳が育つ環境を提供することが、将来の自殺者を減らすために役立つと思われます。子育てで自殺者を減らすには、「困ったら直ぐに誰かに相談する」「誰かが困っている事に早く気づいてあげる」「困っている人がいたら助けるために自分が出来る行動を必ず直ぐに開始する」、このような共生関係の強い絆社会を作り、そのような環境の中で子どもの心を育てることが重要だと思うのです。
私は連載の初期に子育て環境は世代を越えて伝搬していく、自分が育てられた環境と方法を親たちはまた自分自身の子どもにも行うのだと論述しました。この事を環境と遺伝子発現の知見から説明しますと、母親に良く面倒を見られたラットは海馬の細胞数が多く、親になっても子供の面倒をよく見るようになる。この様なラットの脳ではセロトニンの分泌も多い...ということが山元大輔の著書、たとえば「心と遺伝子」(中公新書ラクレ 2006年刊)の中で、遺伝子がどのように環境を取り込んで発現様式を決めるかという詳しいメカニズムと共に述べられています。私たちの遺伝子は自分が育てられた環境の影響下で、どのようなタンパク質を細胞内により多く作るかを記憶していき、その結果として母親に良く面倒をみられると、自分自身も母親になったときに子どもの面倒をよく見るように脳神経が機能するのです。
自殺者の増加を文化心理学的に考えると、北山忍が著書「自己と感情―文化心理学による問いかけ」(日本認知科学会編、認知科学モノグラフ、共立出版 1998年刊)の中で述べている、『相互依存的社会での自己像と、西洋文化の影響で他人の干渉を避ける生活様式の狭間で孤立感を強める人が日本社会で増えているらしい』との見解が注目に値します。この意見は私が本編で提唱した、「困っても他人に相談できない」「他人が困っていることに気がつかない」「他人が困っていても助けようとしない」共生関係の弱い社会を換言したものであり、それを西洋文化の影響による日本社会の変貌によるものと北山忍は提唱しているわけです。
いずれにしても、「困ったら直ぐに誰かに相談する」「誰かが困っている事に早く気づいてあげる」「困っている人がいたら助けるために自分が出来る行動を必ず直ぐに開始する」、このような共生関係の強い絆社会を作り、そのような環境の中で子どもの心を育てることが、自殺者の減少の為にも重要だと私は考えています。