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63.赤ちゃんはなぜ人見知りをするのか?

要旨:

赤ちゃんがなぜ人見知りをするのかについて、他者の意図や思考を脳内で精神的に仮想体験して処理する「意識と記憶の第1回路」の発達過程での混乱が原因であると新しい脳神経発達モデルを提出した。その機能の発達により人類は模倣学習・社会的参照・言語の使用を通じてコミュニティや社会の知的資産を蓄積して種として進化を遂げた。心を育てる育児環境では、他者の意図や思考に敏感になるような養育環境を整えることが大切であるとの提言も行った。
赤ちゃんはなぜ人見知りをするのか?という実に単純な疑問に対する明快な回答はどの小児科の教科書にも書かれていません。わたしは25年間にわたって小児科臨床医として赤ちゃんを見続けてきましたが、赤ちゃんがなぜ人見知りをするのかは長年の謎でした。今回「子育ての脳科学」の連載を行うにあたり毎回の原稿の準備に何冊もの書籍を読み、毎日毎日繰り返して赤ちゃんがなぜ人見知りをするのかを考え続けた結果、私はついに納得の出来る回答を得るに至りました。そして人見知りこそが人類特有のコミュニケーションの萌芽期にあたる大切なプロセスであると確信するに至りました。今回は前回の自閉症の病因論となる仮想体験仮説を一段と深く考察しつつ、人見知りの持つ意味と人類特有のコミュニケーション・模倣学習・言語の使用と文化の構築についての推論を進めようと思います。

月齢については若干の個人差がありますが、ヒトの赤ちゃんは生後1ヶ月から生後4ヶ月ぐらいまでの期間は、新生児微笑・反射的微笑・無差別的微笑と呼ばれるように、誰の顔であっても笑顔に反応して反射的に微笑むことが知られています。ところが生後4ヶ月から6ヶ月頃を過ぎると反射的な微笑は徐々に姿を消して、母親や毎日顔を合わせて世話をしている人以外には微笑まなくなり、目が合うと視線をそらしたり、いぶかしげな表情で見つめたり、さらに月齢が進むと恐怖の表情が現れて最後には怖がったように泣いて母親等に抱きつく行動が現れます。この様な一連の乳児期の他者を恐れる行動を人見知りと呼んでいて、古くから小児科の教科書には「養育者への愛着が強くなるから」と説明されていました。しかし赤ちゃんが母親の顔を好んでみる行動はもっと早い生後1ヶ月ぐらいでも観察されている事なので、この時期になって急に養育者に愛着が湧くのも不自然で、生後6ヶ月から12ヶ月ぐらいに養育者でない他者への嫌悪的行動の出現する理由は十分に説明されていませんでした。自閉症児の多くの症例で乳児期に人見知りが観察されないことが知られていたので、私はこの乳児期の人見知りこそが自閉症の病因を解き明かす上での鍵となるだろうと考えていました。

両親が聴覚障害者の場合、乳児が最初の手話を使い始める月齢は早ければ生後4ヶ月か5ヶ月頃であると報告されていますので、ヒトの赤ちゃんが言語を使う能力を発揮し始めるのはちょうど人見知りの始まる時期と一致していると考えられます。それ以前の赤ちゃんはフロイトも言ったように1日のほとんどが反射のかたまりですが、人見知りの始まる時期になると「迷って考える」という人間的な心の働きが芽生えてきます。この時期に私が提唱している意識と記憶の第1回路を使った仮想体験が働き始めるのだと、最近になって私は気がつきました。赤ちゃんの人見知りは、この意識と記憶の第1回路、エピソード記憶と仮想体験能力の芽生えの証拠なのです。自閉症児ではこの意識と記憶の第1回路の機能に脆弱性が有るために、乳児期に人見知りが出現しにくいと考えると人見知りと自閉症の関係がよく理解できます。

わかりやすく説明すると、ヒトの赤ちゃんは生後4ヶ月ぐらいから他者の意図を理解することを始めるために、人類特有の脳の高次機能であるエピソード的な状況把握と、心の中で他人になってみるという仮想体験を開始するのだと私は考えたのです。この機能はホモサピエンス特有の高次な大脳機能なので、過去数百万年以内に人類の脳に新しく生まれた機能です。乳児期の新機能始動の時期に、最初のあいだは赤ちゃんは自分の脳の中で起こっている新しい変化、つまり他者の意図を理解するということに慣れていないために、他者の意図が自分の意図と混乱したりして、他者の意図を上手に理解することが出来ないのだと思われます。その混乱を避けるためにこの時期の赤ちゃんは反射的微笑の合間に視線をそらしたりするのです。また、他者の意図が理解できないといぶかしげに迷ったような表情になったりするのです。さらに成長すると他者の意図が理解できないことが扁桃体を刺激する恐怖の材料となって、赤ちゃんは泣いて母親等に抱きつく行動を示すのです。この時期の乳児を喩えて言うならば、街の中で目つきの悪い連中にぐるりと取り囲まれた子どものような心境で、相手が何を考えているのか、好意を持っているのか悪意を持っているのか、他者の意図や周囲の状況理解が上手に出来ないために、ただ恐怖心だけを感じる状況で、そのような他者への理解の未熟さが「人見知り」と呼ばれる行動を起こすのです。

私たちは他者の気持ちを察知するときに、その気持ちは自分自身ではなく誰か他人の中で起きている心の働きだと理解しています。例えば親とはぐれて泣いている子どもの姿を見かけると、寂しくて悲しいその子どもの気持ちがわかります。しかし決してそれは自分自身ではなく他者の心理だと理解しています。このように心の中に起こる感情や思考を自分のものと他者のものをきちんと区別するのは実は大変な作業だと思います。私はコンピュータや人工知能にはあまり詳しくありませんが、機械が自己の思考や感情を他者の思考や感情と区別する能力を持つことは可能なのでしょうか?もしも可能だとすれば人類の心に近い機能を持つコンピュータが作ることが可能になるでしょう。

  以上で述べたことをまとめますと、生後4ヶ月から1歳ぐらいまでの人見知りをしている時期の乳児では、目の前にいる他者の感情や思考を自分の中で仮想体験して、かつそれを自己の体験とは切り離して処理するという機能が未熟であると考えるとヒトの赤ちゃんの心の発達が上手く説明できると思います。そしてこの機能発達が遺伝的脆弱性のために上手く出来ないのが自閉症の病態であると私は考えているのです。

今回は前回の自閉症の病因論となる仮想体験仮説を一段と深く考察しつつ、人見知りの持つ意味と人類特有のコミュニケーション・模倣学習・言語の使用と文化の構築について推論を進めようと最初に書きましたので、ここからが私の理論の大切な部分になりますが、ヒトには社会的参照能力、他者の行動から意図を抽出して実際に自分にあてはめたり、模倣して行ってみる能力があります。この事が人類の文化と文明を形作るうえで基本的で重要な能力で、他の哺乳類には私の調べた限り、インドネシアのカニクイザルの子どもに弱い模倣学習が見られる以外には存在しません。おそらくホモサピエンス以前の人類の祖先にも石器の作成や火の使用等を行うためには、互いが行為を模倣して文化として伝える能力が有ったと思われるので、この能力は長い年月を経て徐々に人類が獲得してきた能力だと思われます。この他者の行動の意図を理解して真似をするという模倣学習能力、他者に対して意図を伝達して何かを教える文化的能力が次に起こる言語の使用という扉を人類の前に開いたのだと思われます。自閉症児ではこの様な仮想体験を脳内で処理する機能に障害があると考えると、自閉症児で言葉の発達が遅れる理由を理解しやすく、言葉だけを教えようとしても上手く進まない理由も理解できます。もっと基本的な部分、感情の交流や自己と他者の思考・意図の理解へと結びつくような発達支援の方法を模索することが必要だと思われます。

第33回「脳は小宇宙」の中で私は脳の多層構造の最外列に「コミュニティや社会の知的資産」を示し、それが一番大きな存在であることを提唱しました。この考え方はヴィゴツキーの思想の影響を受けた私が考案したものですが、人類の脳は一人の人格で完結するのではなく、他者との間で意図や思考を共有して活用する能力に長けています。そしてその英知を言語という道具を使って他者に伝え、教えたり教えられたりしながらホモサピエンスの個体と社会全体が進化していきます。この様な高次の脳機能はここまでの連載で私が提唱してきた、意識と記憶の第1回路の機能によって支えられていると私は考えているのです。ですからこの様な他者との間で意図や思考を共有する脳機能が弱いサルや類人猿に言語を教える実験が何年やっても成功しないのは、ホモサピエンス以外では意識と記憶の第1回路に相当する部分の脳神経機能が人類ほどは遺伝的に発達していないからだと思われます。

わたしが現代の子育てに提唱したいことは、子どもの「心を育てる」という事です。「心を育てる」というのは、他者の意図や思考に敏感な人間を育てると言う事です。その意味で、幼少時から他者の感情や意思に敏感になるような環境を赤ちゃんと子どもに与えることが大切だと私は考えています。
筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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