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32. 「心のふるさと」理論

要旨:

ヒトの心が新生児期に自分の養育者の保護の中で生まれ、そこから外の世界に向かって往復運動を繰り返しながら徐々に広がっていくと考えられている。この最初に心の生まれる場所を「心のふるさと」と著者が名付けた。著者の意見では、自我の萎縮・断裂・拡散が、実は哺乳類の巣から外の世界へと自分の行動範囲を拡げる生得的な巣立ちのプロトスペシャリストに関連した、行動としての成長を精神的に体験した、つまり意識化したものである。
前節では子どもの心が生まれる過程を、従来の発達モデルの提唱する段階的な発達段階ではなく、子どもの心が常に迷いながら、行ったり来たりの往復的かつ連続的に成長するというモデル、心の発達を哺乳類の巣から外界へと出てゆく行動そのものの精神的な一面と捉えることが出来るという、私なりの新しい発達心理学のモデルを提案しました。この理論は「自我」がヒトの心の中でどのように生まれて育つのかという理論に発展させることが出来ます。私は哺乳類が自分の生まれた巣を覚えて、巣の中にいる自分の位置を確認して、その次に外界へと行動範囲を拡げていく動物としての行動が、ヒトでは精神的な内化現象を経て、子どもの精神的な発達として観察され、大人の目からは段階的な発達手順を踏んでいるようにモデル化されるのだと考えています。ですからヒトの心も新生児期に自分の養育者の保護の中で生まれ、そこから外の世界に向かって往復運動を繰り返しながら徐々に広がっていくと考えています。この最初に心の生まれる場所を「心のふるさと」と仮に名付けることにしましょう。


動物が安全に自分の巣に帰るためには、自分の巣がどこにあるのかと言うことと、自分が巣に対してどの位置にいるのかを知らなければなりません。この自分の巣という概念は、本能的といわれる行動の範疇ですから、持論の神経学ではプロトスペシャリストの神経回路として生得的に備わっているはずです。哺乳類であることは自分の巣のありかを知る神経モジュールを持っていると言うことです。「自我」に関する意識の根源は意外にこんな簡単な場所に有ったと考えているのです。自分の巣に戻るためには自分が自分自身であることを知ること、自分は他者ではないことを知ること、自分の巣は他者の巣ではないことを知ることが必要です。これこそが「自己」の意識の根源であると言っても良いのではないかと思うのです。すると、大きな脳を持たないアリや蜜蜂でも自己意識を持っているのだろうか?と疑問が出てきます。私はけっして自分の巣に帰るためのプロトスペシャリストの神経回路が自己について考察する哲学的な自我と同一であると主張しているのでは有りません。しかし進化を前提に「自我」の起源を探る場合には、この場所以外に自我の根源を求めるもっと良い場所が他に見あたらないのです。

「心のふるさと」は、哺乳類としての自己保存のために空腹を教える神経回路が警報を鳴らしたときに、その空腹を知らせている自分自身に気づくことから芽生えるのだと仮定しましょう。自分自身が大切に保護されると「心=脳」は自分の存在に気づく余裕を持つことが出来ますが、常時空腹で乳を飲むこと以外に神経を使う余裕がなければ「心のふるさと」は生まれないか、生まれても成長しない可能性があります。「心のふるさと」が未成熟だと、いつまでも自分の巣の場所を覚えられない動物のように、外の世界に向かって心を拡げていくことは難しくなり自閉的になります。それには、生得的あるいは遺伝学的にプロト-スペシャリストの神経回路が脆弱であることと、脆弱さを克服する環境がなかったことの両方が関係すると推測されます。

「心のふるさと」がうまく生まれて育ち始めて、外の世界に対するアプローチを繰り返すようになっても、巣の場所から急に離れすぎるなどの失敗があると再び自閉的になるでしょうから、子どもが発育する中ではこのような心理的な世界の広がりが直線的に上昇するのでもなく、段階的に登っていくのでもなく、連続的に往復運動を繰り返しながら少しずつ「自己の範囲」を拡大してゆくのだと理解することは、子どもの心の発達を理解する上で新しい観察眼を持つことにつながります。そして心の発達という精神的な現象は全てがプロト-スペシャリストの神経回路とその相互関係の修飾、更新、追記という神経モジュールの物質的で神経生理的な現象の結果として観察されているのだと発達心理学の考え方を拡げることにもつながります。

「心のふるさと」理論で考えると、心の病気も(1)自分の巣が安定しないために乳幼児初期から不安定で自閉的になる病気、(2)心のふるさとから外に向かって伸びようとする生得的な神経モジュールに何らかの障害か問題が含まれるために、適切な環境刺激を受けないと外界へ心が広がらない消極的な心の問題、(3)外界に出ようとして失敗が続いたために自閉的になる問題、(4)心のふるさとが脆弱であるまま成長して社会的に不適合を起こす心の問題、(5)心のふるさとを見失うほど急に遠くに出てしまって心の統一性が脆くなる病気、(6)心のふるさとを忘れて自己の範囲の拡大が止まらなくなる病気、というように心の病気や問題も、自我の萎縮(上記番号1,2,3,4)、断裂(5)、拡散(6)の3パターンに還元でき、整理しやすくなります。

暫定的な推論は次のようなものです。

ヒトをはじめとする哺乳動物は帰巣本能というプロトスペシャリストの神経回路を持って生まれている。その機能には自分と他者を区別して自分の現在地を理解する能力が含まれる。「自己」の意識はこの過程で生まれる可能性がある。しかしプロトスペシャリストの生得的な神経回路だけを使って生存と種の保存が続くならばそれ以上の発達は必要ないが、プロトスペシャリストの神経回路に修飾、変更、追記を加えることでさらに高等な知性を使う動物では「我思うゆえに我あり」と哲学の段階まで自己の意識を磨き上げる結果になった。このような自我の意識は社会性の発達の中で必要不可欠なものとして特に人類で高度に発達するようになった。したがって、心の発達は常に連続的かつ行ったり来たりの往復運動と迷いの中から生まれて育つもので、大人の目から見ると、ある時期に急に成長したり、あるいは段階的に成長しているように見えるのは、発達の結果としてその様に映るにすぎない。

 

さてここで大きな問題にぶつかります。ヒトと他の哺乳類をわけている心の差異はどこにあるのだろうかという疑問です。ネズミにもヒトと同じ心があるのか?と言う疑問です。この疑問に答えるのは「意識」を持つかどうかと言うことの差だと私は考えています。

「結局何も新しくないじゃないか?」と厳しい先輩たちのお叱りの声が聞こえてきそうですが、臆することもなく自分の意見を提案できるというのが新人の強みでもあります。自我の萎縮・断裂・拡散が、実は哺乳類の巣から外の世界へと自分の行動範囲を拡げる生得的な巣立ちのプロトスペシャリストに関連した、行動としての成長を精神的に体験した、つまり意識化したものであると言う意見を子育て世代の皆さまはどのように受け止められたでしょうか?

では意識とは何かという現代科学の最大の問題の一つである疑問にも答えなければならなくなりました。次回からは、心を持たない神経細胞がいかに心を持つようになるのか、そして意識というのはどのようなメカニズムで発生するのかについて議論を進めていきたいと思っています。

筆者プロフィール
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林 隆博 (西焼津こどもクリニック 院長)

1960年大阪に客家人の子で日本人として生まれ、幼少時は母方姓の今城を名乗る。父の帰化と共に林の姓を与えられ、林隆博となった。中国語圏では「リン・ロンポー」と呼ばれアルファベット語圏では「Leonpold Lin」と自己紹介している。仏教家の父に得道を与えられたが、母の意見でカトリックの中学校に入学し二重宗教を経験する。1978年大阪星光学院高校卒業。1984年国立鳥取大学医学部卒業、東京大学医学部付属病院小児科に入局し小林登教授の下で小児科学の研修を受ける。専門は子供のアレルギーと心理発達。1985年妻貴子と結婚。1990年西焼津こどもクリニック開設。男児2人女児2人の4児の父。著書『心のカルテ』1991年メディサイエンス社刊。2007年アトピー性皮膚炎の予防にビフィズス菌とアシドフィルス菌の菌体を用いる特許を取得。2008年より文芸活動を再開する。
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