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ヒト学からみた少子化社会

要旨:

生物としてのヒトの科学的理解にたって現代人が直面する地球規模の諸問題を考える新たな学際研究のことを「ヒト」学と呼んでいる。ヒトは進化の過程で生活スタイルの変化が起こり、その生活条件に適応して生きてきた。本稿では少子化問題をヒト学の観点から分析し、その背景と課題について述べたい。

私が尊敬する小林 登先生は、現代社会で子どもが直面する多様な問題の解決のために、従来の学問の専門分野を超える学際的研究が必要であるとして「子ども学」を立ち上げられた。私は、大学で自然人類学の研究と教育に長年たずさわってきたが、生物としてのヒト(ホモ・サピエンス)の科学的理解にたって現代人が直面する地球規模の諸問題を考える新たな学際研究が必要と感じ、それを「ヒト学」と呼んでいる。(「ヒトの特異性を研究する意義」チャイルド・サイエンスVol.3:4-9)。小林先生が、「小児科学から子ども学へ」と学問活動を展開されたのと同様の動機で、及ばずながら私も「人類学からヒト学へ」の可能性を探っている。

 

化石資料のみに頼っていた古い人類学では、ヒトは単一系統で、何百万年もの間に猿人・原人・旧人・新人という段階をへて進化したと信じられた。しかし、最近約20年間に、DNA(ゲノム)研究の進展や考古学の新たな証拠によって、このような「発展段階説」は破綻をきたした。人類には過去に多数の種が存在したこと、また現代人ヒトは、20万年にみたない歴史をもつ新しい種であるが、それ以前の古人類とは次のような特異性によって明確に区別されることが明らかになった。それは、言語や概念化思考、シンボル(記号)、身体装飾、価値判断、それにたぶん歌や踊りなどの能力にもとづく「文化」をもつことで、脳とくに大脳新皮質前頭連合野に新たな機能が生まれた結果と考えられる。

 

ヒトは、進化に要した時間の大部分で採集狩猟生活をしていた。農耕や牧畜による食料の生産が始まるのは、わずか約一万年前からにすぎない。おそらく、われわれの行動を決める遺伝子セット(DNA)は、採集狩猟の生活条件に適応するようにプログラムされているに違いない。その生活条件がどのようなものであったかは、考古学的資料や、現在も地球上にごく少数であるが生存している採集狩猟民の末裔の人々の生活からある程度は推定できる。南アフリカのサン、中央アフリカのピグミー、日本のアイヌ、東南アジアのネグリト、オーストラリアのアボリジニの人々などがそれである。

 

これらの人々を「文明の落ちこぼれ」とみなすことは許されない。私は、これらの人々をヒトの生態の原点を知る上での貴重な「生き証人」と考えている。その原点とは、核家族からなる小人数の地域的集団、極めて低い人口密度、一定地域内での遊動生活、多様な食物(主食ではない)、自然に関する深い知識と畏敬の念(アニミズム)、食物の公平な分配、老若男女が共に食事、男女の役割分担、リーダーはいるが階級はないことなどである。このような生活条件は、農耕・牧畜を基盤とするいわゆる「文明」の下でのそれとは全くといってよいほど異質である。K. ローレンツは、『文明化した人間の八つの大罪』(1973)で、現代人が生物としてはすでに矛盾する存在になってしまっていることを描いた。

 

さて、少子化問題であるが、一昔前まで10人くらい子供のいる家族は珍しくなかった。ギネスブック(旧称)には、信じられないような話だが、68人もの子を産んだロシア人の母親がいたことが載っているという。いうまでもなく、両親から平均2人の子どもが生まれて大人にまで成長するなら、人口は一定に保たれる。それが、生物集団の自然の姿である。いわゆる合計特殊出生率(TFR)は、一人の女性が一生(15歳から49歳)に産む子どもの数を示す人口統計上の指標で、この値が2.08を下回ると人口は減少してゆく。日本では、第二次大戦後のベビーブームの頃にこの値は4.5以上と高かったが、1950年代には3.0以下となり、1975年には2.0を割りこんで、少子化時代に突入した。2005年には遂に1.26という低値を示し、将来が案じられているのは周知の通りである。

 

人口研究家であるA. J. コール(1974)の推定によれば、ヒトの全員が採集狩猟民であった一万年前の世界人口は約500万人であった。仮に人口がこのままであったなら、ヒトが文明を発達させることはなかったし、地球環境を破壊することもなかったであろう。その後、農耕の開始によって人口は徐々に増大し、紀元0年には約一億人に達した。その後の人口はいわゆる指数関数的に増大し、とくに17世紀の産業革命以降はまさに人口爆発というべき状況で、現在の世界人口が約65億人に達していることは周知の通りである。

 

農耕の開始による人口増大の原因は、食料供給の安定化によって死亡率が下がったことにあると考えられようが、必ずしもそうとはいえない。農耕によって定着化が進み人口が密集するようになると、疫学的条件から感染症が流行しやすくなり、幼児死亡率は採集狩猟生活のときよりもかえって高まったと考えられるからである。むしろ、農耕によってもたらされた人口学上の大きな変化は、出産間隔の短縮によって一人の母親が産む子ども数が増えたことと平均寿命が延びたことであろう。

 

採集狩猟民では、乳幼児は3歳または4歳ではじめて離乳するため、それに応じて出産間隔も長い傾向がある。母親が出産すると、プロラクチンというホルモンによって母乳の分泌が促される。このホルモンは、授乳の刺激によっていっそう分泌されるが、同時に月経(排卵)を抑える効果をもつ。このため、母親は、授乳している間は妊娠しないという原則がある。長い出産間隔(スペーシング)は、移動生活をする採集狩猟民にとって有利な適応的行動であった。

 

農耕の開始によって、離乳時期が早まり、出産間隔が短縮されたため出産回数が増えたと考えられる。その一つの要因は、離乳食にある。ヒトの幼児のユニークな点は、離乳後の幼少期が3-7歳と長いことである。チンパンジーは、生後4-5年で離乳するが、すぐにコドモはオトナのまねをして自分で摂食を始める。硬いものを咀嚼できる大臼歯が生えだしているからである。

 

一方、ヒトでは、最初の臼歯である第一大臼歯が生えだすのが6-7歳と遅いため、離乳後の幼児は大人と同じものを食べることができず、母親や近親者に食べさせてもらう。幼少期には、言語を習得するために脳細胞の配線が急速に進むので、脳に十分な糖分を供給するために良質の離乳食を与える必要がある。親や集団にとって大きな負担となる幼少期が延長したのは、自然選択上不利に思える。しかし、この期間があればこそ、ヒトは言語を学習して他の動物には見られない文化的適応能力を増大させることができた。おそらく、母親を中心に集団の全員が子供の世話をする協力的行動が進化したことが、ヒト種の成功をもたらしたのではなかろうか。

 

農耕の開始によって、穀物から粥のような離乳食が容易に得られるようになったことが離乳を早めた一つの要因と考えられる。その結果、出産間隔が短くなり、年子が生まれるようになった。また、採集狩猟生活では死因の第一位はたぶん事故であったが、農耕・定着生活によってそれが減ったことが寿命の延長につながったであろう。

 

動物学では、幼児の特徴を保持しつつ成長して性的に成熟する現象をネオテニー(幼形成熟)というが、ヒトはこの例であるとの仮説がある。A.モンターギュ(1981)によれば、子供の精神的特徴である好奇心、愛への欲求、遊び、想像力、涙と笑い、正直さなどが大人にまで持続するのがヒトのユニークな点である。ヒトの感性の原点であるこれらの性質は、学習によって学ぶのではなく、生得的な能力である可能性がある。本来、子どもたちは、これらを兄弟姉妹や近所の子どもと一緒に生活し遊ぶ中で自然に培ってきた。ヒト学の立場からすれば、そのような状況が少なくなったことが、現代の少子化の最大の問題であるといえよう。

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