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制約的な枠の中でのアクティブ・ラーニング:米国の研究者が見た日本の小学校におけるICTとアクティブ・ラーニング

要旨:

小学校の授業におけるパソコンの使用について、日本は先進国の中では下位にランクしており、文部科学省では現在、アクティブ・ラーニングの実現のためにICTを活用するような改革に力を入れている。こうした国のカリキュラム改正に対応しようと奔走する教員らは、2つの大きな課題に直面する。1つは、教員の研修(授業研究)の形が「制約的な枠」に囲われていることだ。ICT改革の焦点が授業の指導法に絞られており、授業外での学習サポートやコミュニケーションといった有効な使用法については触れていない。2つ目に、アクティブ・ラーニング実現のためのICT活用を強調することにより、政府はまた、日本の教員が、幼児や児童の21世紀スキルを促進させるような他の幅広い従来の学習指導法(プロジェクト学習、エンゲージメント学習、発見学習)と併用して、実験的あるいは革新的な指導法を試すことをかえって制限してしまっている。
English
*本稿は、2016年12月に執筆された英文記事を翻訳掲載したものです。

「アクティブ・ラーニング」とICTに関する文部科学省のガイドラインにより、小学校の教員は効果的な指導をしづらくなっている

文部科学省は、2020年の目標として積極的な改革を推し進めてきており、ICTやアクティブ・ラーニングをめぐる劇的な改革も含まれている。この提案された改革を機に、教員や教育委員会は来たるべき2020年に備え、講演会やセミナー、模擬授業を開催している。また、オリンピックが開催されることで日本に世界中から注目が集まるとあって、世界における日本の立ち位置、将来の日本社会を形成する日本の教育の役割を危惧する声が大きくなっている。しかしながら、こうした改革は、意図した効果を生み出せるのだろうか?

2013年のOECD国際教員指導環境調査によると、教育におけるICT活用について、日本は先進国でも下位に位置付けられている。1986年に文部科学省がコンピューター教育を積極的に進めようと「コンピュータ教育開発センター」を設立したことに注目すると、この惨状はさらに衝撃的である。文部科学省が現在提案している2020年に向けた改革案では、「アクティブ・ラーニング」の実現とICT活用が強調されている。教員がこれらのカリキュラム改訂に対応しようとする中で、いくつかの課題に直面している。まず、文部科学省は「アクティブ・ラーニング」が何を意味するのか明確に定義づけできておらず、活発な教育現場におけるICT使用を測るための明確な基準を提示することもできなかった。第二に、日本の教員研修の主流な文化においては、「制約的な枠組み」に縛られ、授業での指導(例:授業研究)に焦点を当てており、授業以外で学習サポートやコミュニケーションを促すことができるようなものではない。第三に、「アクティブ・ラーニング」の実現とICT活用を前提とすることによって、政府はさらに別の「制約的な枠組み」を生み出してしまっており、日本の教員が、幼児や児童の21世紀スキルを促進させるような他の幅広い従来の学習指導法(プロジェクト学習、エンゲージメント学習、発見学習)と併用して、実験的あるいは革新的な指導法を試すことを制限してしまっていると感じる。

批判的思考 vs アクティブ・ラーニング

アクティブ・ラーニングは、一般的な文献で、明確に定義された教授法を指すものではなく、高等教育に関する文献で普及した言葉で、より能動的な、学生中心の学習形態を表す方法を指していた。 1990年代初頭(Bonwell&Eison, 1991)に普及したアクティブ・ラーニングは、講義が主流となっていた大学での、息が詰まるような学習環境の解消策として急速に導入された。 様々なアクティブ・ラーニング戦略の有効性に関する経験的証拠が存在している(Prince, 2004)。Eisonのような研究者は、大学講義形式から、よりインタラクティブな授業戦略へと全般的に移行していくことをイメージしていた(Isbell, 1999)。日本で言えば、東京大学・大学総合教育研究センターなどの研究グループがICTとの融合を含む様々なアクティブ・ラーニング戦略を研究、奨励している。永田と林 (2016)の論文においては、素晴らしい例が紹介されている。

ところがこうした研究は、大学レベルに集中してしまっている。小中学校の教員にとって、文部科学省が重点を置くアクティブ・ラーニングは、非常に混乱を招くものである。何故ならこの教育段階における指導は既にかなりインタラクティブなものであるからで、その証拠に海外の研究者からは、日本の幼児教育・初等教育モデルは、基礎的な学力や肯定的な社会情動的発達、高度な論理的思考を促すものである、と絶賛されている (Lewis, 1995; Peak, 1991; Sato, 2004; Stevenson & Stigler, 1992)。本研究のためにインタビューをした研究者らは、文部科学省が懸念しているのは、おそらく高校での指導についてではないかと答えていた。しかし文部科学省がアクティブ・ラーニングとは何であるかの定義を明確にしていないことで、教員にとっては様々な問題が出てきてしまっている。

例えば、2016年12月9日に東京で行われたパネルディスカッション「アクティブラーニング推進における教育工学の役割」では、文部科学省の職員が100ページ以上にわたる資料を紹介したものの、アクティブ・ラーニングに関する学術的な文献には一切言及していなかった。日本語で読める研究論文もある(溝上, 2007)上、そのいくつかは、特にICTとアクティブ・ラーニングの融合の問題について取り上げている(林, 2010)のに、これは気になる事態である。さらに困ったことに、子どもの学習への能動的なかかわりを促す、発達の観点から適切な戦略についての言及がなかったようである。

米国の幼児教育・初等教育においては、教材と「能動的に」関わることを促す有名なプログラムがいくつかある。例えば、モンテソーリ教育においては、教具を使った日常的な活動を「お仕事」と呼び、その概念を大切にしている。この視点に基づき、授業の中で様々なアクティビティが行われ、子どもは色々な学習様式から学ぶことになる。プロジェクトによっては、授業の枠から「はみだし」、複数の科目にまたがったり長期間に渡って学ぶこともある。米国におけるプロジェクト学習は、いずれも子どもが能動的に教材と関わるように促すものである。最近では、米国教員組合の会報(American Educator; Vol. 40, #3, 秋号 2016)が号をあげて、プロジェクトを使用した指導法を特集し、いくつかの教科分野における例を紹介していた。日本人の研究者も、プロジェクト学習がどうアクティブ・ラーニングを促すかを研究している(中山, 2013)。

文部科学省が小中学校でのアクティブ・ラーニングの推進を本当に望むのなら、教員がアクティブ・ラーニングのどの側面に注目すべきかを定義し、ICT活用における注意点を明示した方がよいのではないか。たとえば、アクティブ・ラーニングの成功例でカギとなる要素は、すべての学生が参加できる点にある。そのような授業には、多様な能力(Cohen&Lotan, 2014)や多重知能(Gardner, 1983)についての研究と一致するようなマルチモード・アプローチを取り入れなければならない。この分野の伝統的な研究によれば、子どもたちは様々な方法で学習するため、教員が学習効果を高めるためにカリキュラムの中に複数の選択肢を作っておくように勧められている。 また、共同グループワークの研究では、複雑でマルチモード的な問題の作成は、より複雑な問題解決能力を発達させることを示している(Cohen, 1989)。

このような研究内容を加味することで、教員は、子どもの学習、特に高次の思考力の発達をサポートする、経験的な記録という形での介入を提供できる。 これらの研究内容のおかげで、文部科学省のガイドラインに欠けている定義、目標、成功の尺度に明確性が出てくることになる。そうすれば、教員や研究者は、ICTをどのように活用できるか、具体的にICTの使用目的はどうあるべきか、説明することができる。

授業研究と教員の知識の官僚化

筆者がインタビューした日本の研究者はみな、日本の授業研究が世界中の学習に大きな影響を与えていることに同意していた。ある研究者は、「特に算数と理科では、日本の教員は授業研究を誇りに思っていい」と述べた。Arani、FukayaとLassegard(2010)は、初期の教員主導のこうした研究は、当時の自由民権運動の影響を受け、1880年には既に起こっていた、と記している。これらの初期の形態は、米国における指導改革として普及した、さらに制度化された「授業研究」と融合した(Akita& Sakamoto, 2015; Doig&Groves, 2011; Fernandez&Yoshida, 2004; Lewis, Perry, Hurd&O 'Connell, 2006)。他国からも認められたことで、官僚的な視点から授業研究を正当化するのにも拍車がかかってしまった。

しかし、授業研究は日本の学校において「制度化」されるにつれ、柔軟性を失ってしまった。今では、若い教員は、養成課程において模擬授業の方法も身につけなければならないことになっている。そしてこれが教員研修の一部、あるいはノルマとなると、目的がはっきりしなくなり、形だけが残ってしまい、形通りにこなすことに目が向いてしまうのだ。そして文部科学省が教員養成と資格付与における監督庁として力を拡大したため、官庁がバックアップする授業研究の介入では、教員主導の指導法の開発や改革が生まれる原動力はなくなってしまったように感じる。

授業研究は、授業以外でのICTの幅広い学習や革新的な使い方にではなく、授業そのものに焦点を絞っている。酒井朗氏は、教員はICTを、まるで吸収すべき新たな教材のように捉えていることに気づいたという。教員は、自分のことを、授業で使う教材の使用法については、高度な専門知識をもつ「プロ」だと思っているので、ICTを授業の一部として使おうとし、より効果的に知識を伝達するツール、あるいは日常的に教員、児童、保護者の間のコミュニケーションを円滑にするツールとして活用する方向に、なかなか目が向かない。

「渡りに船」

文部科学省は、「アクティブ・ラーニング」実現のためのICT活用を進めたことで、意図していなかったものの、教員のICT利用をさらに狭めてしまったようだ。日本教育情報化振興会のような団体が、学校での拡大するICT活用に対する幅広いアプローチを提唱しているが、文部科学省は、学校におけるICTの一般的な利用をどう拡大させるかについて、具体的な目標を示していない。ここでもまた、問題は明確性が欠如していることにある。提案された2020年に向けた改革について文部科学白書では、文部科学省は「思考力」という単語を10回も使っている。しかし「思考力」とは、非常に曖昧な用語であり、それ単体ではICTとの明確な繋がりはない。「発言力」のような単語を使っているのも、同様にして、何となくコミュニケーションを重視しようとしている雰囲気は伝わるものの、ICTがどのように子どものコミュニケーション能力を刺激したり、向上させるのかについては、言及できていない。

文部科学省は、1980年代、1990年代、2000年代初頭の学校におけるコンピューター導入で、努力に反し目立った進展を見せられなかったことに苛立ち、「アクティブ・ラーニング」の登場に、多くの改革を推し進めてくれるものとして、「渡りに船」とばかりに飛びついたのだ。しかし、この用語は政策的には、多分に柔軟性を与えるものだが、ICTを推進するには混乱を招き、ともすると非生産的でさえある。「アクティブ・ラーニング」は、より魅力的で革新的な授業を目指そうとしていることは伝わるかもしれないが、教室という環境の中で、児童の学習や高次の思考力、あるいはそれ以外に「21世紀スキル」といって連想されるスキルを刺激するように、ICTをどう活用したらいいのか、文部科学省は言及していないようである。

同省の提案で、アクティブ・ラーニング実現のためのICT活用がはっきりと打ち出されたことで、やはり教員の行動や改革の範囲が制約的になってしまっている。日本の教員は、授業研究の技術をICT活用に適用することで対応してきたが、特に低学年のうちは、アクティブ・ラーニング実現のためにICTを活用することは、なかなか難しいのである。平たく言えば、ICTは小学校低学年ではアクティブ・ラーニングを妨げる可能性があるということだ。文部科学省がICTとアクティブ・ラーニングの目標を、明確にガイドラインとして提示できていないことで、教員から革新性や創造性を引き出しにくくする第ニの制約、あるいは囲いを作ってしまったかもしれない。

ICTを使って児童同士の会話や共同作業を促す

日本の初等教育の教員は、どのようにICTを効果的に使えるのだろうか?教員はまず、教育科学の2つの経験的な点に注目する必要がある。つまり、児童がその教材に集中している必要があること、その上で児童がお互いに話したり作業を一緒にすると学習効果が高まることである。これらの基本的なポイントは非常に重要である。教室が、インタラクティブで賑やか、会話が活発であっても、子どもたちがその教材に集中していないことも起こりうる。もしくは、教員中心で展開する授業で、児童をかなり引き付けるようにするには、授業やデモンストレーションが十分に魅力的でなければならない。しかし、複雑な学習課題に児童が非常に集中して取り組むことができる授業は、最大限に分析力を伸ばし、複雑な問題解決に挑む児童をサポートすることができる。教員はICT機器(タブレット、インタラクティブ黒板、プロジェクタなど)を活用することで、これら2つのポイントを実現できるかどうか見極めることから始めなければならない。

児童の集中を高めたり、何らかの形でコミュニケーションや共同作業を効率的に行うことをできるようにしない限り、ICTを活用することが逆効果になることもある。実際、私が視察したいくつかの公開授業では、児童同士が話し合い、教室内で一緒に作業するのをICTが妨げていた。たとえば、タブレットを使って形(三角形や四角形)の勉強をしていた小学2年生は、やはりタブレットを操作することに気を取られてしまっているように見えた。別の授業で見た、よりシンプルな教具(三角形や四角形を切り抜いたもの)の方が、触れて学ぶという点も網羅しており、児童の集中度合いという点では優れている。教員は、その使用する端末が一般的な児童の発達レベルに適しているかどうかを慎重に検討する必要がある。

しかし、教員はICT導入を積極的に検討した方がよい。特に高学年の児童にとっては、ICTが活動への集中を非常に高めることがある。視察したある授業では、児童がタブレットを使ってストップモーション・アニメーションを制作していた。この授業に児童は高い意欲を示し、集中の度合いも非常に高かった。映像でストーリーを伝えるために、様々な物体や絵をどう配置するかを児童同士で話し合う中で、対話も増え、一緒に作業をすることも増えた。この作業では、論理的な順序付け、色彩と陰影の効果、物体や図形を使って考えや感情を伝える方法など様々な課題を検討することが課せられていた。つまりこの授業では、問題解決、熟慮、想像力、革新的な発想を引き出すことに重点が置かれていたのだ。

「アクティブ・ラーニング」とICTは、教室の中の活動と、外へ開かれた活動をよりよくつなぐことができると考えられる。そのためには、教育改革の目標をどこにおき、どういう認知スキルを伸ばそうとしているのか、学校活動という幅広い枠組みの中で、ICTがどのように学習を支援することができるのかを明確に定義しなければならない。


    参考文献
  • Akita, K., & Sakamoto, A. (2015). Lesson study and teachers' professional development in Japan. In K. Wood & S. Sithamparam (Eds.), Realising Learning: Teachers' professional development through lesson and learning study (pp. 25-40). UK: Routledge.
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  • Sato, N. (2004). Inside Japanese Classrooms: The Heart of Education. New York: Routledge.
  • Stevenson, H., & Stigler, J. (1992). The learning gap. New York: Summit Books.
筆者プロフィール
gerry_letendre.jpg
ジェラルド・K・レテンダ
米国ペンシルバニア州立大学教育政策学科、Harry Lawrence Batschelet II 記念講座教授。教員に関する政策、教員の質や教育政策の国際比較などの質的・量的研究に従事し、日本の教育についての著書もある。2016年秋に来日し、フルブライトフェローとして、上智大学比較文化研究所で教員のICT活用について研究。



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