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日独勤労青年交流事業(2015年度)体験記 (2)

前回の記事で、日独両青年団が宿泊交流を行ったラーフェンスブリュックの旧強制収容所は、収容者の急増する戦争末期までは女性とその子どもたちが対象であったこと、生き延びた人たちの希望により、できるだけ当時の施設を残しつつ、青少年教育施設として利用されていることを述べました。

今回は、この場所の詳細、ドイツ団との交流と、交流の成果について述べます。

この跡地は大別して2つの対照的な区画に分かれています。1つは入所者居住区の跡地で、いくつか当時のまま施設が残されており、黒い砂利が敷き詰められて殺伐としています。もう1つの隣接する区画は、白い砂利と美しい緑の芝に覆われた、看守や収容所長の居住区で、バレーボールコート2面を擁する芝生や野外活動の広場もあります。看守棟だった2階建ての木造ハウスが6、7棟立っていて、そのうち1つが食堂棟、2つがセミナー棟、3つが宿泊棟として、現在は使われています。宿泊棟は1棟あたり広めの4人部屋が8つ、32名ほどが収容可能でした。各4人部屋には二段ベッドが2つと、広い共用バスルームがあります。部屋割りは、男女別に日独の個人的交流を促すように、日本人とドイツ人をミックスしてありました。

個人的な感想ですが、生き残り女性の手記を読み、当時の被害女性たちが、悲惨な状況下でも子どもや植物を育もうとする力を強くもっていたことを感じました。手記には、極限的な状況下でも、子どもたちのためにクリスマスパーティーをしたり、バラック前の若木の成長を見守ったりなど、育むことに大きな喜びを見出していたことを示す記述がいくつも見られたので、そう思ったのでしょう。ちょうどバラックの跡地前に大きな木があり、きっとそれが彼女たちが成長を見守っていた若木の成長した姿であろうと思い、この樹をみたら、彼女たちがどれほど喜んだろうかと想像していました。

この地は裏手に大きな河のような長い湖があり、強制収容所の裏側を一端として、その遥か対岸には、教会をはじめとする町並みが見えます。当時の収容者たちは、その教会の鐘の音を聞くにつけ、救いのない生き地獄に身を置く自分を振り返り、とても辛い気持ちになったといいます。現在は、子どもを抱いて、その対岸を見つめる母親の立像が立っています。

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湖を挟んで収容所の対岸に見える教会


日独の参加者たちは、ここで長年ガイドをしている人の案内で、所内をグループごとに回りました。ここではグループごとにデジタルカメラが一台渡されます。グループごとに写真をとり、その中から1枚の代表的な写真を選び、その後の振り返りのセッションで、なぜその写真を選んだのかを説明するためです。選択した写真の解説会では、収容所側の黒い砂利と看守側の白い砂利の境界に人生の明暗を込めた写真など、豊かな感性が披露されました。

非常にきれいで安全な場所であっても、人がむごいことをすれば、その場が生き地獄になってしまうのだということと、そうならないために、平和な人間関係がいかに大事かということを、あらためて感じました。

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ラーフェンスブリュックの囚人側の黒砂利と看守側の白砂利の明暗


ドイツ団23名(うち団長1人)とのディスカッションでは、3グループに分かれて、ワークライフバランスについての議論がメインに行われました。日本団は事前学習で、ワークライフバランス、技能の伝承、男女が輝く社会作り、などについてレポートを作成していたので、様々な事実に基づき意見が交換されました。

日本側の参加者は、最初は自分が発言するときに、何か正解を言わないといけないと感じている人もいました。そこで、議論での発言には正解はなく、欧米の人は、客観的な正解がないからこそ、議論する意味があるという前提で、自由に感じたことを発言しているので、日本側の参加者も自由に感じたことを発言すれば良い、黙っていると意見がないと思わせてしまう、と伝えました。そういうこともあり、非常に活発な意見交換ができました。様々な意見を交わす中で、団員にとっても多くの気づきがありました。その中の一つを紹介すると、ドイツに行くまではワークライフバランスを、仕事と生活(プライベートや家庭)のバランス、と対極的にとらえていたのが、ドイツ団との意見交換や研修を通して、仕事と私的生活という二項対立ではなく、仕事やボランティアなどを通じて社会とのつながりをもつこと、仕事に役立つ専門的知識や技術などを、仕事外で自主的に学び続けること、心身ともに健康でいること、社会のために自分が何を出来るかも考えつつ、自分を高めていくこと、趣味や余暇を充実させること、など仕事をも含めたトータル的な生活のバランスを、ワークライフバランスとして考えるようになった、という認識の転換が団員全体にあったことが報告書に述べられています。

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(左)団員によるディスカッションのまとめと発表準備光景
(右)ラーフェンスブリュックでの討議を受けた発表


晩にはドイツ全土から各ドイツ団員が、地元のソーセージやお菓子、飲み物などを持ち寄り、テーブル一杯に並べ、サプライズパーティーを催してくれました。また外では木の枝の先にパン生地を巻き付け、たき火で焼くパンも作り、さらに日独の親交が深まりました。

ちなみに11月下旬にはドイツ団員が日本に2週間来て、4グループに分かれて日本団員とディスカッションしましたが、議論はさらに盛り上がり、最終プレゼンテーションも、劇など自由に工夫が凝らされて、発表の仕方にも素晴らしい変化が見られました。その中でも印象深かったのは、8月の議論を受けて、日本側とドイツ側が、それぞれどのように変化したのかを寸劇にしたグループの発表でした。そのグループの寸劇によると、ドイツ側の大多数の参加者は、8月に日本団と出会うまでは、職場に出勤すると、同僚との挨拶もそこそこに自分の仕事を始め、その日の仕事が終わったら、各自の趣味や学習などのために、終わった人から帰るのが通常の働き方だったのですが、8月の交流のあとは、出勤すると、同僚ともっと会話したり、仕事が終わった人は終わらない人を待ったり手伝ったりして、同僚と一緒に帰り、一緒に食事に行くなど、チームワークを重視するようになったとのことでした。他方、日本側の大多数の参加者は、ドイツ団と交流する前には、先に自分の仕事が終わったら、上司などに、ほかにする仕事がないか聞いて、みんなで仕事が終わったら食事に行くなどしていたのが、ドイツ団と交流したあとは、先に仕事が終わったら退社して、自分の趣味や学習のために時間を使うようになったとのことでした。日独両団員ともに、互いの働き方の良いと思われる点を取り入れたことが、良くわかるプレゼンでした。

また日本団員の中には、8月の帰国後に職場に働きかけて、より働きやすい職場環境を作り出したり、自分の仕事を考え直して、もっとやり甲斐のある仕事に転職したりと、それぞれが自分の日常生活と真摯に向き合い、より良い人生に向けて具体的な行動を起こしたことが見て取れました。

日独それぞれの団員たちは、実際に働く職場をもっているために、議論の内容も具体的かつ真剣で、その後の生き方を考えるのに、とても大きな影響力をもつ研修であったといえるでしょう。プログラムもほぼ3日単位で1つのまとまりが終わるので、研修を進めるリズム感も良かったと思います。20代から30代前半に、こうした様々な刺激を受けることで、幅広い視野をもちつつ、自分の具体的な生き方や社会との関わり方を考える機会があったことで、参加者の今後の人生も、より豊かなものとなることは間違いないと思います。

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(左)ラーフェンスブリュックの屋外でのミーティング風景
(右)ベルリン商工会議所での研修


筆者プロフィール
report_sugimori_shinkichi.jpg杉森 伸吉 (すぎもり・しんきち)

東京学芸大学教授(社会心理学)。個人と集団の関係をめぐる文化社会心理学の観点から、集団心理学(チームワーク力の測定、裁判員制度の心理学、体験活動の効果)、リスク心理学などの研究を行っている。法と心理学会理事、野外文化教育学会常任理事、社団法人青少年交友協会理事、社団法人日本アウトワードバウンド協会評議員、NPO法人学芸大こども未来研究所理事、社団法人教育支援人材認証協会認証評価委員会委員長など。

※肩書は執筆時のものです

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