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「家庭教育」の動向(1)

要旨:

教育基本法改正にみられるように、近年、「家庭教育」に対する期待が高まっている。本稿では、2回にわたって「家庭教育」に関する法制度や論考・取り組みの動向などを概観し、「家庭教育」を位置づけるにあたっての指針を得る一助とするとともに、その際の留意点についても検討する。そして、「家庭教育」に関する最近の動向などについても報告しながら、現在における「家庭教育」の意義とともに、課題についても検討を行えるようにする。第一回目は、「家庭教育」の歴史のうち戦前に注目して論じ、特に学校教育・社会教育制度のなかでの変遷について述べた。そして、倉橋惣三の論考・取り組みに基づき、「家庭教育」の方法にとどまらず、本質について熟考する機会を保障する意義を提示した。
1.はじめに

本稿では、「家庭教育」について2回にわたり論考する。「家庭教育」とは、家庭および家庭をとりまく地域生活の中で展開される教育的な営みである。一般的には、「家庭教育」という言葉から、親が「自分自身の」子どもを「実際に」育てる際に、「自分自身の」子どもに対して行うしつけなどがイメージされることが多い。たとえば、「今後の家庭教育支援の充実についての懇談会」(文部科学省,2002)は、「家庭教育」について、「子どもが基本的な生活習慣・生活能力、人に対する信頼感、豊かな情操、他人に対する思いやりや善悪の判断などの基本的倫理観、自立心や自制心、社会的なマナーなどを身につける上で重要な役割を担うもの」であり、「人生を自ら切り拓いていく上で欠くことのできない職業観、人生観、創造力、企画力といったものも家庭教育の基礎の上に培われるもの」であると報告しているが、同時に、子どもは家庭の中だけで育つわけではなく、学校や地域の様々な人たちに見守られて成長していくことも述べている。そして、社会の大きな変化の中で、子育てを支えるしくみや環境が崩れていることや、子育ての時間を十分に取ることが難しい雇用環境があることなどにも目を向けなければならないと指摘している。このような指摘が行われている背景として、孤立した個々の家庭の中で、個別責任において(文部科学省『子どもたちの未来を育む家庭教育―家庭教育支援の取り組み―』)、親が「自分自身の」子どもを「実際に」育てる際にどうするのかを指していると解釈されがちな、一般的な「家庭教育」のイメージに対して注意を喚起し、「家庭教育」は家庭だけでなく、家庭をとりまく地域生活のなかにおいても展開されるものであるという視点をもつ必要があるという現状があるだろう。

というのも、近年、教育基本法に「家庭教育」が独立規定として新設される(2006年改正)など、「家庭教育」に対する期待が高まる一方で、保護者は、その期待と、期待に応えきれない自分の姿という現実との狭間に置かれているという状況が見られるからである。このような状況に応えるような形で、文部科学省では、「家族や職業のあり様や地域社会が変化したことで『家庭教育が困難な社会』となっている」との観点から、「家庭教育」支援の充実に向けた取り組みが行われている。本稿では、2回にわたって「家庭教育」に関する法制度や論考・取り組みの動向などを概観する。第一回めは、「家庭教育」の位置づけに関する現況について概要を示した後、特に戦前の「家庭教育」について論じていく。

2.「家庭教育」の位置づけに関する現況(概要)

2006年(平成18年)12月に教育基本法が改正され、「第二章 教育の実施に関する基本」において、「家庭教育」が独立規定として新設された。この規定では、以下のように、保護者が子どもの教育について第一義的責任を有すること、及び、国や地方公共団体が「家庭教育支援」に努めるべきこととされている。

第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

そして、上記の教育基本法改正を受けて、2008年(平成20年)6月には、教育委員会の事務に「家庭教育に関する情報の提供」が加わるよう社会教育法が改正されたり、図書館法及び博物館法においても、図書館協議会や博物館協議会の委員として「家庭教育の向上に資する活動を行う者」が加わるなどの改正が行われたりしている。

さらに、その翌月である2008年(平成20年)7月には、第一期教育振興基本計画が閣議決定され、「特に重点的に取り組むべき事項」の一つとして、「地域全体で子どもたちをはぐくむ仕組みづくり」のなかに「家庭教育支援」が位置づけられた。これは、子育てに関する学習機会や情報の提供、相談などの「家庭教育」に関する総合的な取り組みを関係機関が連携して行えるよう促すものである。そして、こうした取り組みの成果をすべての市町村に周知し、共有すること等を通じ、広く全国の市町村で、専門家等が連携しチームを構成して支援するなど、身近な地域におけるきめ細かな「家庭教育支援」の取り組みが実施されるよう促されることとなった。このように「家庭教育」を支援する流れは、2013年(平成25年)6月に閣議決定された第二期教育振興基本計画でも引き継がれており、教育行政の基本的方向性の一つである「絆(きずな)づくりと活力あるコミュニティの形成」において、「豊かなつながりの中での家庭教育支援」が基本施策として位置づけられている。

以上のように、現在、「家庭教育」は法的にも施策としても位置づけがなされており、また、社会的にも重視されるようになっているが、同時に、本田(2008)の指摘にみられるような、それに伴って生じうる問題についても留意する必要があるだろう。本田(2008)は、「家庭教育」には、現時点および将来にわたる「格差」や、そこから生じる逆機能(諸資源が注ぎ込まれた密度の高い「家庭教育」は、子どものなかにストレスを蓄積させるおそれもあることなど)が不可避的に伴っていると述べている。また、「家庭教育」に関する「葛藤」として、母親自身のライフコース選択に関するものと、子育ての方法に関するものがあり、前者については、「自分自身の人生を送り自己実現すること」と「子どもを将来の人生に向けて準備させること」という二重の課題を両立させる難しさがあることを指摘している。後者の子育ての方法に関しては、成績の向上や塾・習い事の積極的な利用および生活習慣のしつけなどを重視する「きっちり」した子育てと、できるだけ外で遊ばせることやいろいろな体験をさせること、子どもの希望をきくことなどを尊重する「のびのび」した子育てといった2つの要素があり、そのバランスをとる難しさについて、指摘している。

したがって、「家庭教育」を位置づける際には上述のような難しさもあるという点に留意する必要があるといえる。その際に、戦前から戦後の現在に至るこれまでの「家庭教育」に関わる法制度や論考・取り組みの動向などについて概観することは、位置づけにあたっての指針を得る一助になりうると思われる。そこで、まず、戦前の「家庭教育」について概観することで、現在における「家庭教育」の意義とともに、課題についても検討を行えるようにする。

3.戦前の「家庭教育」に関する概要

まず、戦前の「家庭教育」の概要について、いわゆる学校教育制度のなかでの位置づけとともに、社会教育のなかでの位置づけという観点からも述べていく。

「家庭教育」に関して、学校教育制度のなかでは、小学校令(明治二十三年十月七日勅令第二百十五号)「第三章 就学」において、次のように定められていることから、1890年(明治23年)当時、「家庭教育」はあくまでも「尋常小学校(1890年当時の尋常小学校の修業年限は三年または四年)の教科を家庭で勉強させるもの」として位置づけられていたことが分かる。

第二十二条 学齢児童ヲ保護スヘキ者ハ其学齢児童ヲ市町村立小学校又ハ之ニ代用スル私立小学校ニ出席セシムヘシ若シ家庭又ハ其他ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ修メシメントスルトキハ其市町村長ノ許可ヲ受クヘシ
第二十四条 学齢児童ノ就学及家庭教育等ニ関スル規則ハ府県知事之ヲ定メ文部大臣ノ許可ヲ受クヘシ

その後、1941年(昭和16年)国民学校令において、「学校に通学しなくとも、家庭での学習により就学義務が果たされる」との規定はなくなり、学校教育制度のなかで「家庭教育」が位置づけられることはなくなった。

一方で、「家庭教育」は社会教育のなかで位置づけられるようになっており、家庭教育振興ニ関スル件(昭和五年十二月二十三日文部省訓令第十八号)において、「家庭教育」の重要性や子どもに与える影響、教育が学校に任されてしまい家庭が関わらなくなってしまっていること、「家庭教育」は保護者の責任であることなどが述べられ、これに関連して、「家庭教育」講座や母の講座などが開設された。さらに、教育審議会による社会教育に関する件の答申(昭和十六年六月十六日)を受けて、「家庭教育」に関しては、母の会の結成ならびに指導に重点が置かれるようになった。そして、昭和十七年五月七日には「戦時家庭教育指導要綱」が文部省から発表され、昭和十八年度からは、母親たちが相携えて「学び」かつ「行ずる」機会としての母親学級の開設が奨励された。

以上は、戦前において、学校教育や社会教育の制度のなかで「家庭教育」がどのように位置づけられていたかということに関する変遷であるが、それと相互に連動するようなかたちで、「家庭教育」に関する論考や取り組みなどの側面においても次のような展開がみられている。山本(2012)は、日本の幼児教育の父と呼ばれる倉橋惣三が1930年(昭和5年)前後の時期に集中して発表した「家庭教育」に関する論考を検討し、倉橋が当時の「家庭教育」言説一般にみられる通俗的な「家庭教育」についての認識を批判的に対象化して考察したことを示している。山本(2012)によれば、倉橋は「家庭教育」が、どのようにして教えるべきか・諭すべきか・矯正すべきかといった方法的な側面からとらえられがちであることや、「その為に、家庭教育重んぜられて却て家庭教育失はるゝといったやうな結果をさへ生じたりする」といった問題点があることを指摘した。そして、倉橋が「家庭教育」について方法ではなく本質をとらえようと試みたこと、そして、全国規模での「家庭教育」振興を視野に収め、両親再教育の実践とも関わりながら、「家庭教育に関する講習会」の開催に取り組み、「母のため、母たらんとする人のため」に「家庭教育」の本質をいかに熱心に説いていたかが示唆されることなども、山本(2012)は述べている。

おそらく、前述の本田(2008)の指摘にみられるような「家庭教育」の難しさに関する問題は、あるべき「家庭教育」の方法とは何かということについて、母親たちが翻弄されてしまうことによって生じているという側面もあると思われる。山本(2012)によれば、倉橋は、「家庭教育」の「方法や条件」はもちろん必要なことではあるが、もっとそれらの根本にある家庭生活の教育性というものの作用と効果とを、「家庭教育」の本質として考えてゆきたいのだと述べており、その重要なカテゴリーとして「人間性」と「現実性」を導き出し、人間形成に対する深い洞察を示している。このように、「家庭教育」に関する内容をとりあげる際に、「家庭教育」の方法にとどまらず、その本質について考察を深められるようにする機会を保障することは、数多提示される「あるべき家庭教育の方法」に保護者が翻弄されてしまうことなく、本質を考えながら「家庭教育」にあたり、人間形成を促していくことができるという可能性につながるだろう。

本稿の第一回目では、「家庭教育」を位置づけるにあたり、その指針を得るための一助とすべく、特に戦前の「家庭教育」に関する法制度や論考・取り組みの動向などを概観した。そして、「家庭教育」の方法にとどまらず、本質について熟考する機会を保障する意義を提示した。第二回目では、戦後から現在に至るまでを中心としながら、「家庭教育」に関する諸制度や取り組みの動向などを述べ、「家庭教育」に関する最近の動向などについても報告する。そして、現在における「家庭教育」の意義とともに、課題についても検討を行えるようにする。



筆者プロフィール
水野 いずみ

東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻社会心理学専門分野博士後期課程単位取得退学。2004年度より実践女子大学生活科学部生活文化学科に所属し、現在、同学科 生活文化専攻(2014年度から「生活心理専攻」に名称変更予定)・幼児保育専攻 准教授。研究領域はClose Relationships。近年は、大学などの高等教育機関におけるカリキュラムも関心事である。
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