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マレーシアの国民統合政策と青少年のアイデンティティ

要旨:

マレー系住民がマジョリティを占める多民族国家マレーシアでは、過去には、積極的にマレーを中心とした国民統合政策およびマレー系優先政策を推し進めてきたが、現在は、マレー系優先政策を緩和し、すべてに民族が共有できる目標を掲げ、各民族の言語、文化、生活習慣などを尊重しながら、「1つのマレーシア」をスローガンとした民族融和政策を実施している。それによって、マレーシアの青少年は多元的なアイデンティティ、多様な言語力や多文化理解能力を有するようになっており、グローバル化する国際社会を生き抜く上でも大きな強みになっている。
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独立後、推し進められたマレー系優遇政策

マレーシアは、先住の少数民族およびマレー系が67%、中国系が約25%、インド系が約7%からなる国家である。そして、国全体の約6割(主にマレー系)が、イスラム教を信仰している。これらの民族は、宗教、文化、言語、生活習慣などが異なるために、マレーシアでは、1957年の独立以降、多民族をどうまとめていくかということが、重要な課題となっていた。

マレーシアでは、1969年に大規模な民族衝突が発生したことを契機に、マレー系エリートによって作られたUMNOが中心となる与党連合が、マレー化による国民統合政策を推し進めることとなった。具体的なマレー化政策には、宗教、経済および教育のマレー化があげられる。宗教のマレー化では、マレー系の多くが信仰するイスラム教を国教とした。経済のマレー化では、マレー系の社会進出や経済的立ち遅れを改善するためにマレー系優遇政策が実施された。例えば、1971年~1990年に実施された「新経済政策」は、「民族の別に関係なく、マレーシアにおける貧困を解消すること」が目的ではあるものの、実際には、これによって、経済的に遅れをとっているマレー系の経済的地位が大きく向上した。そして、教育のマレー化では、マレー語を国語とし、初等および中等教育段階において主な教学用語をマレー語と規定した。さらに、マレー系の大学進学率を向上させるために、国立大学進学に際しても、マレー語による中等教育修了試験を受けて基準を満たさなければならなくなったほか、大学入学者の民族別比率制度も導入された。

各民族の多様性を尊重する教育を実施

その一方で、政府は、非マレー系の人々の母語教育に対する強い要求などを受け入れ、非マレー系民族の言語、宗教や文化を弾圧したり、マレーに強制的に同化をさせたりすることはなく、各民族が持つ多様性を尊重することに配慮をした。例えば、初等および中等教育では、必修科目であるマレー語と英語に加えて、中国語やタミル語を教学用語とする国民型学校の設立を認可したことで、中国系やインド系の子どもが、初等および中等教育段階において、母語教育を受けることが可能となった。この民族の言語による初等および中等教育の実施によって、中国系やインド系の子どもたちは、自己の民族文化理解をさらに深めることにもなった。実際に、マレーシアでは、民族ごとに、自然と住み分けが行なわれてきたため、それぞれの民族が民族アイデンティティを強く有しやすい環境が存在していた。加えて、マレー系優遇政策のために、マレー系と非マレー系との区別も明確となっていた。

このように、非マレー系住民の言語や文化を尊重する形で、初等教育および中等教育が実施されているために、非マレー系の子どもたちは、さほど自尊感情が傷つけられてることはないとはいえるが、年齢が上がるにつれて、受験や就職で、非マレー系であることによる不利益を実感したりして、不公平感を抱く者もいる。

マレー系優遇政策によって失われたもの

マレー系優遇政策実施後の20年間で、マレー系の社会的および経済的進出が進み、民族間の社会的および経済的格差も縮まった。しかしながら、その一方で、高等教育には変化が起こった。大学進学に際してのマレー語の試験の実施や、大学入学者の民族別比率制度の導入は、成績優秀な非マレー系学生(特に中国系)の海外流出を加速させた。例えば、台湾の大学が受け入れている台湾以外からの新入学生数では、マレーシアは常に、香港に次いで圧倒的多数を占めている。そして、多くが卒業後、帰国していない。また、マレーシア国立のマラヤ大学は、2006年の英国の『タイムズ』世界大学ランキングでは192位にとどまり、中国の上海交通大学による世界大学ランキング・ベスト500、およびスペインのナショナル・リサーチ・カウンシルによる世界大学ランキング3,000には、ランク・インすることさえできなくなった。

1969年の民族衝突が教訓となり、その後は大規模な民族衝突は起こっていないが、長年継続してきたマレー系優遇政策に反発する非マレー系民族は、民族平等政策を提唱する野党を支持する傾向が非常に強くなっており、2013年5月に実施された連邦下院選挙では、野党連合が大きく票を伸ばした。なお、中国系住民が多数を占めるペナン州では、民族平等を政策目標に掲げる野党連合が、ペナン州政権を維持している。

マレー系優遇政策の緩和と「1つのマレーシア」の提唱

独立から50年を経た現在、どのようにして国家アイデンティティを涵養していくのか、多民族の国民統合を行っていくのかが、なおもマレーシアの重要な課題となっている中、政策に変化が見られるようになった。政府は、2000年後半から、「市場原則、能力主義に適合する形」でマレー系優遇政策を見直し始め、従来のマレー系優遇政策を緩和し、すべての民族が共有できる国家の目標を掲げるようになっている。例えば、1991年に策定された「ワワサン2020」は、全国民が一丸となって、2020年までに先進国の仲間入りを果たすことを目指すという構想である。公的機関や小中学校を含めた多くの場所には、「ワワサン2020」のポスターが貼られている。

毎年、独立記念日が近くなると、政府は積極的にテレビで、国旗や国歌に関する画像を流しているが、近年、そこに、ナジブ首相が提唱する民族融和政策のスローガンである「1つのマレーシア」も頻繁に登場するようになっている。筆者は、これまで、中国系の子どもが多く在籍する華文国民型学校を数校訪問する機会があったが、そこでは、マレーシアの国旗とともに、多民族からなる子どもたち、民族衣装を着た子どもたちが一緒に描かれている絵画が、いくつも飾られていた。多民族および多文化の共生という考え方、および「1つのマレーシア」の考え方を涵養する国民教育は、多くの教育機関で実施されるようになっている。近年では、中国系の青年とマレー系の少女の恋愛を描いた映画も上映されたりしている。また、2000年以降、国旗掲揚キャンペーンも実施されている。当初、あまり反応はなかったものの、2005年以降には、国旗掲揚する家庭が急増した。これは、マレーシアへの帰属意識を有する人の増加を示すものであるともいえる。

非中国系住民の中国語学習者の増加

マレー語を中心とした教育政策にも、変容がみられるようになった。近年の中国の経済的な発展にともなう、マレーシアと中国間の経済関係の強化およびビジネスの増加によって、非中国系民族の中国語学習者も増えている。近年、本来マレー語と英語のみを教学言語としていた国民学校に、中国語の科目が開講されたほか、中国語が主な教学言語である華文国民型小学校に入学する非中国系の児童も徐々に増加している。最近では、中国語を歌う非中国系の歌手も出現しているほどである。また、成績優秀な非マレー系学生のマレーシア離れや、国立大学の質の低下を改善するために、2007年以降、政府は、非マレー系の大学生にも奨学金を提供することを決定し、大学入学者の民族別比率制度も撤廃した。これで、大学に民族の平等が戻ることとなった。

多元的なアイデンティティを有する現在のマレーシアの若者

政府がマレー系優遇政策を緩和し、すべての民族が共有できる目標を掲げるようになってから、約20年が経過した。筆者が聞き取りを行った20代の中国系マレーシア人は、「国内では中国系であるという意識はありますが、国外ではマレーシア人だと自己紹介します。若者の多くは、他の民族とのかかわりは皆無ではありませんし、他の民族の料理も好んで食べます。そして、マレーシアに対する国家意識も昔の人より強いと思います。また、若者は"マレーシア人であり、同時に中国系でもある"、"私はインド系マレーシア人"というように、国と民族に対する多重のアイデンティティを持っています。祖父母や曽祖父母の世代では、民族アイデンティティだけが極めて強い人のほうが多かったのです」と話した。また、別の20代の中国系マレーシア人は、「インドネシアに行けば、イスラムの風習や言語(マレー語とインドネシア語は基本的に同じである)がよくわかるので、現地の人とも問題なく関われますし、中国でも同様です。英語も必修科目でしたから問題ないです。そういう時にも、自分がマレーシア人でよかったと思います」と話した。このような多元的なアイデンティティを有する現在のマレーシアの若者がもつ、多様な言語力や多文化理解能力は、グローバル化する国際社会を生き抜く上でも大きな強みとなっている。特に中国語教育を受けた若者は、近年、マレーシアとの関係が密接になっている中国との架け橋として、大いに活躍できる人材となり、マレーシアの発展に大きく寄与するであろうと考えられる。

筆者プロフィール
合田 美穂(香港中文大学助理教授、静岡産業大学非常勤講師)

現職:香港中文大学歴史学科・日本研究学科 兼任助理教授(2001年~現在)、静岡産業大学 非常勤講師(2010年~現在)
研究領域:歴史社会学、東南アジアおよび香港社会の研究、民族アイデンティティ研究、民族支援および特別支援教育の比較の研究。
研究歴および職歴:旧文部省アジア諸国等派遣留学生派遣制度にてシンガポール国立大学大学院社会学研究科に留学(1996年~1998年)、甲南女子大学、園田学園女子大学、シンガポール国立大学にて非常勤講師(1995年~2000年)。文学博士(社会学)学位取得(1999年、甲南女子大学)。
所属学会:日本華僑華人学会、日中社会学会
主な出版:『日本人と中国人が共に使える発達障害ガイドブック  発達障害について知りたい!』(日中二ヶ国語併記。中国語タイトルは『日本人與中國人共用的發展障礙手冊 了解發展障礙多一些』)、向日葵出版社、香港、(2011年)等。
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