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論文・レポート

学校教育に紛争解決教育を取り入れる提案

レベッカ・カタルディ(紛争解決専門家)

2013年1月25日掲載

要旨:

過去数十年間アメリカをはじめ世界中で、比較的新しい分野である紛争解決を扱う学部、修士・博士課程が急増しているが、正規のカリキュラムとして紛争解決教育を扱っている小学校や中学校は、ほとんどない。ここでは、子どもにも大人にも役に立つ基本的な4つの紛争解決の原則を紹介し、筆者の経験も交えながら、紛争解決教育を学校教育にとり込むことの重要性を述べる。
English

過去数十年間アメリカをはじめ世界中で、比較的新しい分野である紛争解決を扱う学部、修士・博士課程が急増している。これらの課程では多くの場合、個人・集団・地域・国家・国際レベルにおける紛争に対して、その理論、原因の分析や、建設的に取り組むための戦略を立てることに焦点を当てて学生に教えている。

紛争解決についての学習が、初等・中等教育にあるとしたら、どのような役割を果たすのであろうか?子どもたちが地域社会において他人と積極的に交流できるようにすることを目的として、市民権についてのクラスや道徳のクラスを設けている学校もあるし、神学校では宗教的観点から平和と紛争に関して倫理的価値観を教えている。また、特別もしくはカリキュラム外のプログラムの一環として、子どもたちが仲間内で争いを仲裁できるよう訓練するピア・メディエーション(仲間による調停)プログラムを実施し始めた学校もある。しかしながら、私の知るところでは、正規のカリキュラムとして紛争解決の科学や基本原則の学習を取り入れている小学校や中学校は、ほとんどない。

とは言え、より多くの多様な人々の集団とつきあうことを学び始める子どもの初期発達期から10代にかけて―初めてクラスに入る幼児期から大人への過渡期の始まりの時期は、紛争解決に対する意識とスキルを発達させるのに最も重要な時期であろう。子どもたちがこのようなスキルを早い段階で学べば、人生を通じて実践でき、自分自身や仲間内だけでなく社会全体の利益になるだろう。

最近筆者は、ヨルダンで行われた紛争解決をテーマとした会議に出席した。会議は理論的観点に基づいた様々な紛争解決スキルの教育を目的としていたが、出席者は、当初予測されていたよりもずっと現実的な形で実際の紛争を経験することとなった。イスラエル・パレスチナ紛争が続いているため、イスラエル、ヨルダン・パレスチナからの出席者の間には、時折大きな緊張感が走った。相手の言い分を聞かず糾弾する人々も何人かいた。感情が高まると互いにののしり合い、さらには、平和裏に相手方に歩み寄ろうという仲間に対し、裏切り者と詰め寄る人々もいる。イスラエル人がいるというだけで、会議の場から去ってしまうパレスチナ人も何人かいた。多くは戻ってきて、その後の会議では有意義なディスカッションが繰り広げられることとなったのではあるが。一堂に会する前に基本的な紛争解決の原則について研修を受けていたとしたら、どんな効果があっただろうか、私はそう考えずにはいられなかった。

自分の生活に直接かかわることであれ、周囲の人々のことであれ、紛争を研究することや前向きに対処するためのスキルを発達させることで、すべての人々がその恩恵を受けることができる。紛争解決には重要な要素がたくさんあるが、そのいくつかは特に、私が様々な紛争解決トレーニングや教育プログラム、及び人生経験から学んだものであり、紛争解決トレーニングを実施する際に焦点を当てているものである。以下に子どもにも大人にも役に立ついくつかの基本的な紛争解決の原則を述べたいと思う。小さな子どもたちのための紛争解決教育プログラムを開発するにあたっては、その出発点とすることができるのではないだろうか。

原則1. 紛争を見直す

紛争を見直すとは、自分たちの紛争の捉え方を変えることを意味する。しばしば私たちは紛争を、自分たちに敵対する人たちとの競争として捉え、自分たちの主張を通すため、自身を守るため、あるいは目的を成就させるために、必ず「勝たなければならない」とするものである。他の人は自分たちが要求を満たす際の障害と見なされる。自分たちが勝つために、他者は「負けなければならない」のである。しかしながら、もし私たちが考え方を変えて、紛争を、相手を打ち負かすための争いとしてではなく、状況を改善し、より良い未来をつくるという双方の利益のための共に解決すべき問題として見直すことができれば、紛争の当事者であるすべての人が満足でき、かつ維持しようと思う解決法を見出すことがずっと容易になるだろう。

緊張をはらんだ紛争状況においては、殊に、自分たちの要求あるいは仲間であるグループの要求だけに焦点を当てやすい。自分の国、民族、あるいは宗教団体を「外の」集団から切り離して考え、そして、その「外の」グループの要求を犠牲にし、あるいは全く顧みないで、自分達の要求のみを追及することもあるだろう。しかし、私たちが紛争を共に解決すべき問題として見直すならば、相手方は、「反対者」あるいは「敵方」というよりむしろ私たちの「パートナー」となる。従って、紛争に対処する目標がより広くなるのである。単に「どうやって目標を達成することができるのか」と問う代わりに、「どうしたら自分の要求を満たせて、相手側の要求も満たせるのか。どうしたら我々双方とも満足できて、かつ維持できる解決法を見出すことができるのか。」を自身に問うのである。片方が勝ち、片方が負けという「勝負」ではなく、あるいは誰もがさらに困り果てるような「ルーズ・ルーズ(lose-lose)」でもなく、双方とも勝つという「ウィン・ウィン (win-win)」解決策である。「ウィン・ウィン」解決策はより持続的であり、将来における紛争再発の可能性を減らす。また、片方のみが勝った場合よりも多くの利益を双方が得ることを可能にする。

どのような紛争状況においても、紛争の捉え方を見直すこと、また相手方にも同様に見直しをはたらきかけること、そうした意識的な努力をすることができる。そのためには、信頼を深め、互いに受け入れられる解決策を見出せるよう、共に取り組みたいという誠意を示すように努めることが必要であろう。

原則2. 立場を超えて相手の利害を理解する

互いに受け入れられる「ウィン・ウィン」解決策を見つけるために、互いに本当に何が必要で、何が欲しいのかを理解することが不可欠である。紛争に関わる当事者の立場、それぞれの要求を超えて、それぞれの立場の根底にある理由、利害を理解すること、すなわち、紛争の元となっている根本的な理由、懸念を理解することが求められる。言い換えれば、立場とは、我々が欲しいと要求するものであり、利益とは、私たちが欲しいと言ったものが何故欲しいのか、その理由となるものである。

夫と言い争いをしている場合、例えば、休暇にどこへ行くかについて、妻はフロリダに行きたいと主張し、夫はコロラドに行きたいと主張している。主張はこのまま平行線で、互いに納得できる解決策は見つかりそうにない。一度に2カ所に行くことは不可能であるため、一方が勝つと、もう一方は負けなければならない。しかし、もし何故そこに行きたいと主張しているのか、 つまり、何故これらの場所を選んだのか、その利点について議論し始めれば、二人が要求するものを同時に叶えられる選択肢を模索できる可能性が生じてくる。妻はビーチで泳ぐこと、夫は山をハイキングすることがその場所に行きたい理由であるならば、話し合って、きれいな海岸も山もあるハワイのようなところに行くと決めることも可能である。

もう一つの例を挙げてみよう。お店で二人の買い物客が最後の一本のデザイナーズ・パンツを買おうと喧嘩をしている。それぞれの主張は、同じ一本のパンツを買うことであり、お互いの立場は相容れない。しかしながら、それぞれがどうしてそのパンツを買いたいのかについて話し合ってみると、一人はそのパンツその物をはきたいのだが、もう一人はパンツに付いているベルトが欲しいということが明らかになった。彼女たちは最終的に購入代金を分け合って、一人はパンツを、もう一人はベルトを家に持ち帰ることになった。二人とも欲しい物を手に入れ、しかも当初の争いに勝った場合よりも出費が少なく済んだ「ウィン・ウィン」解決策である。

これらは個人間の事例であるが、同じ原則が、もっと大きな紛争、国際紛争にさえも適用できる。しばしば、利害は安全や健康、自尊心、所有物あるいはアイデンティティといった根本的な人間の要求にもとづくものである。イスラエル・パレスチナ紛争はしばしば、単に二つのグループが同じ土地をめぐって所有権を主張している紛争であると見なされているが、土地の所有権をめぐる主張を超えて、はるかに深い利害関係があるのである。人権と尊厳、経済、政治、宗教の自由、安全、そして歴史との心理的・精神的な結びつき、それら全てが、なぜ双方の当事者たちがある特別な土地の所有権を主張するのかの重大な理由となっている。もし紛争の当事者たちが互いの利害と要求を理解することができるならば、紛争の根本的な原因に取り組み、双方が利益を得られる「ウィン・ウィン」解決策を見つけられる可能性がずっと高くなる。そのために人々は、双方の要求について互いに誠実に意思疎通をはかり、相手方の要求を理解し尊重するように努める必要がある。

原則3. 自分の思い込みに疑問を持つ

私たちはよく他人の利害や意図について推測をする。誰かが何かを言った、あるいは行った際、自分がそうしたことを言ったり行ったりする場合に意図しているであろうことを、その人も意図していたに違いないと推測しがちである。しかしながら、それは必ずしも正しいとは限らない。異なる文化やバックグランドをもっている場合にはなおさらである。他人も自分と同じように物事を見ると思い込む、あるいは他人の利害や動機、意図について誤った推測をすると、相互の誤解が生じ紛争を悪化させ、双方が受け入れられる形で双方の真の利益のために取り組むことが、難しくなってしまうことがある。

人はみな推測をする。完全な情報が手に入らない場合、人生を生き抜くために推測を頼りにする必要がしばしば生じる。重要なことは推測を事実と区別することであり、自分は今、推測をしており、それは正しいかもしれないし、間違っているかもしれないと自覚すること、そして、その推測に疑問をもつことである。推測に疑問をもつということは、自分の尺度で他人の考えや動機あるいは意図を推測するのではなく、その人がどのように感じ何を思っているのか、または何が欲しいのかを直接訊ねることを意味する。

間違った推測は、時に、個人あるいはグループがどのように自らの価値観を表すか、その違いに起因する。例えば、欧米では遠い昔から、女性を先に歩かせることは敬意を払っていることのサインである。エジプトの友人は私に、エジプト文化のしきたりでは、何かトラブルが起きた場合に女性を守れるように男性が前を歩くことで、敬意を示すと教えてくれた。現代では、多くの女性が男性と同じく扱ってほしいと考えているものの、もしエジプト人の男性に彼の後ろを歩くように言われて、欧米の自分の尺度で解釈しようとすると、彼は私を見下してそう言ったのだと間違った結論を導き出してしまう。実際は、まったくその逆で、私に敬意を払おうとしてくれていたというのに、である。

本当の意図は何かと理解しようとすることもなく、他人は悪意をもっていると決め込んでしまったとき、自分の見解が唯一正当なものだと思い込んだときに、紛争が起こり得る。象はどんなものかを理解しようとする3人の目の見えない男たちの話が伝えられている。最初の男が歩み寄り、象の鼻だけを触って、「象は長くて細い」と言った。二人目の男が歩み寄り、象の横腹だけを触って、「象は平たくて幅が広い」と断定した。三人目の男は象の牙の先端だけを触って、「象は硬くて先が尖っている」と言った。いったい誰が正しいのか、3人の男たちは言い争いを始めた。それぞれが正しい判断をしていたのであるが、より大きな真実の一部しか見ることができなかった。いつも他者の意見に同意しなければならないということではないが、他人の利害を理解するために、そして、紛争解決の全ての可能性を探るために、私たちには他人を理解する必要がある。

原則4. 積極的に聴き、丁重にコミュニケートする

真剣に聞いてくれ、わかろうとしてくれていると感じられたら、その人もまた、そうでない場合に比べて、ずっと素直に心を開いて耳を傾けてくれ、こちらのことを理解しようとするものである。従って、もし誰かに自分の話を聞いてもらいたいのならば、まずその人の話を聴くことである。じっくりと聴くことはまた、他人の本当の利害を理解することを助け、推測によって判断を誤ることを防ぐ。積極的に傾聴すること(アクティブ・リスニング)は、話に割り込んだり、次に自分が何を話すかを考えたり、話す人やその内容に対して善し悪しの判断や批判をしたりすることなく、話す人に対してすべての注意、全身を向けることである。それは、聞き手が同意してもしなくても、話されている事実(起きたこと)、感情(話し手が起きたことに対しどのように感じたのか)、その状況における価値観(話し手にとって何が重要であるか)をよく聴いて理解することを意味する。

第二に、アクティブ・リスニングは、聴いていることをその内容に反映してみせる形で話し手に表すことを含む(例えば、「あなたは正当に評価されていないと感じているよう」「正直であることがあなたにとって本当に大事なことなんですね」など)。また、自分の理解が正しいかどうか時折聞いてみること、相手を否定したり自分の意見を挟んだりするのではなく、相手の話をさらに引き出して問題のすべての側面を探り、よりよく理解するための質問をすること、話し手の感情、恐れ、傷を受け入れることも含む。

真剣に聴いてもらう、自分の気持ちをわかってもらい、もっともであると認めてもらう、そうした経験は、非常に力強いものになり得る。筆者は、紛争によって深く傷ついたイスラエル人とパレスチナ人の話を真剣に聴くアクティブ・リスニングを実践するグループと共に、イスラエルとパレスチナを訪れた。この一見シンプルな試みの効果は、驚くべきものであった。批判や否定をされることを想像しながら、緊張し身構えて話し始めた人々が、判断や批判を挟み込まず、ただ聴くために私たちはここにいるのだと気がつくと変わったのだった。リラックスした姿勢になり、声は穏やかに、そして初めて笑顔を見せ始めた。私たちが敬意をもって耳を傾けたことで信頼されるようになると、彼らはより心を開いて私たちの話に耳を傾け始めた。当初はとてもできそうになかった難しい問題を話し合えるようになったのである。アクティブ・リスニングは、問題解決ばかりでなく、癒しとしても機能する。ヨルダンの会議を支配した緊迫した空気も、出席者全員がアクティブ・リスニングを学び、実践しようと最初からしていたならば、どんなに和らいだことだろうか。

このような原則は、それぞれの文化や状況によって必要に応じて変化させることができ、子どもがまだ小さいうちから紛争解決教育を始める際の基本となるだろう。そうできたなら、私たちの社会や世界はどのように変わるだろうか?

※レベッカ・カタルディは、紛争解決の専門家であり、ワシントンDCにある紛争解決のためのNGOではたらいている。

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