はじめに
香港の特別支援教育は、特別支援教育が必要な児童生徒に教育の機会を与え、彼らの潜在的な力を充分に発揮させることによって、社会における適応能力を持った独立した人材に育てることを目的としている。「融合教育」は主に小中学校で実施されており、中軽度の発達障害の児童生徒が、通常教育の中の通常学級または特別支援学級において、一般の児童と交流を深めながら学ぶという教育形態のことである。*1香港では、障害のある子どもが、一般の児童に足並みをそろえていくという意味合いがある「統合教育」の名称は使用されていない。そして、重度の発達障害児は、特別支援学校の中で必要とされる支援を受けることとなっている。教育局は、特別支援教育のために、法律や規則等を制定し、資源を提供している。そして、各学校による特別支援教育の実施を指導し、支援している。特別支援教育の専門的なトレーニングを受けた専門的知識を有する教育局の職員は、通常学校および特別支援学校、非政府組織および政府部門に対して、専門的な意見を提供している。
通常学校における「融合教育」
香港では1970年代に特別支援教育が実施され、小中学校の通常学級の環境の中で、特別支援の必要性ある少数の児童生徒が受けることとなった。そして、彼らは、特別支援を受けながら、通常学級のなかで、一般の子どもとともに学ぶこととなった。1990年代になると、先立つユネスコによる統合教育の主張に応じて、政府は「融合教育」の実施に力を入れるようになった。政府は、「融合教育」を実施する小中学校に対して「学習支援補助金」を提供し、それにともない、教師へのトレーニングの提供、セミナーの開催、専門的な意見の提供を行うようになった。教育局はまた、「特別支援教育資源センター」を設立し、マルチメディア機材やコンピューターソフトを提供することによって、教師が教学のための資料を閲覧したり教材を製作したりすることに役立てている。*2
教育局が発行した2007年のガイドラインによると、香港の公的小中学校では、5年以内に、最低10%の教師が30時間からなる特別支援教育基礎課程を修了しなければならず、最低3名の教師が90時間からなる上級課程を修了しなければならないことになっている。このほか、各校では最低1名の中国語教諭および1名の英語教諭が「学習困難に関する講座」を修了しなければならないとされている。
教育局はまた、学校への資源の提供や、教師へのトレーニングの提供だけではなく、トレーニングを受けた高学年児童を「お兄さん、お姉さん」役として、資源が必要な低学年児童の指導にグループ形式で当たらせることを奨励している。
上述は、通常学級の中での特別支援に関するものだが、もう一つの形式としての特別支援学級もある。一部の通常学校は、特別支援が必要な児童生徒のために特別支援学級を設置している。支援学級の児童生徒は、個別の状況に応じて、通常学級と支援学級を往復している。特別支援学級が最も成功しているのは、政府の補助を得て、英語教育を実施している英基学校協会であり、附属の小学校9校と中学校1校が特別支援学級を設置している。現在、英基学校協会では190名の児童生徒が特別支援学級で学んでいる。*3
特別支援学校の分離教育
重度の学習障害児は、通常学級に適応することが困難なために、特別支援学校に入学することになっている。重度の障害がある子どもは、通常教育とは分離された教育環境で、特別な配慮および特性に合った教育を受ける方が、教育的効果が期待できると考えられているからである。特別支援学校の教師は、その領域に関する専門教育を受けており、児童生徒に対して適切なトレーニングとセラピーを実施している。現在、香港には、小中学部合わせて60校の特別支援学校があり、中国語によって授業が実施されている。そのほか、英基学校協会も、英語による特別支援学校を運営しており、初等課程および中等課程を提供している。
特別支援教育の課題および提言
近年、発達障害児に対する特別支援教育の実施に関して、香港では明らかに改善が見られるようになっているが、同様の経済力を持った国や地域とは比較にならないほど、遅れているといえる。そこには、いくつかの主要な問題が存在している。
第一に挙げられるのは、特別支援教育が必要な子ども、およびその親に対する支援の不足である。特別支援が必要な子どもの診断、治療および入学に際しての支援や定員不足が問題になっている。彼らの親にかかる精神的および経済的負担も非常に重いものがある。筆者の聞き取りによると、ある親は、子どもが発達障害であることを学校に伝えたところ、支援が得られるどころか、学校側の支援体制の不足を理由に退学を示唆されたという。
第二に、社会における特別支援教育に対する理解不足が挙げられる。社会からの誤解や差別は根強く存在している。通常学校に在籍する児童生徒の多くの親は、特別支援が必要な子どもに関して、学校へ多くのクレームを伝えている。ある親への聞き取りによると、クラスに注意欠陥・多動性障害(ADHD)がある子どもがおり、クラスの親からの攻撃の対象になったという。そのクラスの親たちは学校へ苦情を伝えるだけではなく、自分たちの子どもがその当事者と遊ぶことにも反対し、その結果、クラスの親たちからの差別といじめによって、その子どもは退学を余儀なくされたという。
第三に、学校に、特別支援に対応するための資源と経験が不足していることが挙げられる。香港のほとんどの小中学校では、1学級に30人以上の児童生徒が在籍しているために、教師には、「融合教育」制度によって通常学級に入ってきた特別支援が必要な児童生徒に費やすための、時間、労力、経験が不足している。ある小学校教師は、セミナーやワークショップに出席したものの、特別支援が必要な子どもに対する指導力には自信がないと話していた。
香港の特別支援教育は、以下に提案することによって、改善が可能になると考えられる。まずは、特別支援教育の推進が比較的に成功しているといわれている欧米および日本などから学ぶことである。また、香港政府は、特別支援に関する予算を増やし、学校、特別支援が必要な児童がいる家庭に、より多くの支援を提供する必要があるだろう。最後に、自閉症、注意欠陥・多動性障害、知的障害および学習障害(LD)などに対しての啓発活動を積極的に行い、社会における誤解や差別をなくしていくことが肝要である。
本稿は、住友生命「未来を築く子育てプロジェクト(女性研究者支援)」によって調べたことをもとにしたものです。『日本人と中国人が共に使える発達障害ガイドブック 発達障害について知りたい!』(日中対訳)が必要な方は、直接筆者までご連絡ください。在庫がなくなり次第申し込みは終了となります。godamihobook★gmail.com(★を@に変えてください)
なお、本ガイドブックに関するお問い合わせ、ご意見も直接筆者までお願いします。
- *1 香港の現行の学制は、小学校6年、中学校6年(初級中学3年および高級中学3年)、大学4年である。小学校および中学校には、12年の無料教育を提供している官立学校、同じく無料教育の直接資助学校、学費が必要な私立学校、同じく学費が必要な国際学校がある。現在香港の小学校では、官立小学校が34校、資助小学校が421校、直接資助小学校が21校、私立学校が31校あり、中学校では、官立中学校が31校、資助中学校が455校、直接資助中学校が59校および私立中学校が1校ある。
- *2 香港返還前後の特別支援教育の変化については以下を参照:Poon-McBrayer, K.F, Meeting Special Needs in Mainstream Classroom (Hong Kong: Longman, 2002).
- *3 詳細は以下を参照: "Overview: Special Education Needs," in English School Foundation