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【子ども理解を問い直す】 第1回 あたり前をカッコに入れる

要旨:

本稿は、「子ども理解を問い直す」という連載の第1回目である。発達障害・虐待・低学力といった困難を抱えている子どもたちをはじめとして、すべての子どもたちは、自分なりに筋道のとおった形で、自分に固有の世界を生きている。<あたり前>や<常識>をカッコに入れて保留し、事柄そのものから考える、という現象学のスタイルは、子どもたちの振る舞いや経験を、彼らの思いや在りように即して理解することに適している。本稿では、小学生と筆者との関わりを描いた3つのエピソードに基づき、本連載を貫く現象学の考え方を簡単に紹介している。
1. はじめに

筆者は、児童養護施設*1や小学校で、学習支援ボランティアとして直接関わりながら、虐待・発達障害・低学力といった困難を抱えている子どもたちについて研究をしている(大塚2009;中田編著2011)。彼らと関わるなかで痛感するのは、子どもたち一人ひとりが、自分に固有のものの見方、感じ方、考え方をもって自分の世界を生きている、ということである。私たちには違和感のある振る舞いでも、当の子どもにとっては、自分なりの理由があったり、自分なりの筋道がとおっていることも多い。だからこそ、<おとなの論理>や<常識>を振りかざしても、子どもたちを揺さぶり、本質的な変化を促すことはできない。そこで、本連載では、毎回、子どもたちのエピソードを紹介し、それをできる限り彼らの思いや経験に即して考察することにより、新たな子ども理解の提案を試みたい。

2. 何年生のエピソード?

以下で紹介する3つのエピソードは、すべて、児童養護施設や小学校での小学生と筆者との関わりを描いたものである*2。それぞれ何年生かを考えながら読んでいただきたい。

エピソード①【おんぶ】

真夏の暑い日。A君と近所のスーパーまで買い物に行く。A君はいつものように、「おんぶ~」と言ってくるので、私は彼をおんぶして汗だくになりながら歩く。A君は、私の首に両腕を回し、しがみつくようにおんぶされている。道すがら、A君はふと顔をあげると、「ねぇ、もし学校の友だちがいたら教えてね。僕、すぐに降りるから」、と言う。「わかった。学校の友だちかどうかわからないから、A君くらいの子どもがいたらすぐに教えるね」、と私が答えると、A君は安心したように、また私の首筋に顔をうずめる。

エピソード②【シェアハウス】

音楽会の練習で子どもたちは体育館に集まっている。私がB君の隣に座ると、B君が、「先生、俺たちおとなになったら、3人で一緒に暮らすんだ」、と話してくれる。C君とD君も、「そうそう」、と笑う。「ふ~ん、いまはやりのシェアハウスじゃん」、と私が笑うと、3人も顔を見合わせてにっこり。「俺、結婚しないんだ。女なんかいらないし。こいつらと一緒に住んだほうがぜってー楽しいし」、とB君は笑う。「またまた~(笑)今はそう思ってるかもしれないけど、中学とか高校になったら、彼女、欲しくなるんだって」、と私が茶化すと、B君は、「だって、女とか、気が合わね~し!」、とむきになる。そのあと3人は、シェアハウスでの暮らし方や、将来の夢などについて楽しそうに語り合っていた。

エピソード③【大スズメバチになって】

給食の配膳の待ち時間。E君と彼の班の子どもたちは、昆虫図鑑を見ながら話をしている。私は彼の隣で子ども用の椅子に座って、子どもたちの話に耳を傾ける。スズメバチに2回刺されたり、ミツバチに一度に大量に刺されてもショック死するらしい、などといった話を、いたずらっぽく笑いながら聞いていたE君は、突然、「俺が遊んでる公園には、大スズメバチの巣があって、大スズメバチがいっぱいいるんだよ!」、と言いながら、私の方にもたれかかってくる。私は、E君のからだを抱きとめながら、「大スズメバチは怖いよね。もしかしたら、1回刺されただけでも死ぬかもしれないし」、と班の子どもたちに向けて話す。するとE君は、私から離れながら、私の方を見て嬉しそうに目を細め、「じゃあ、俺は、今日死んで、大スズメバチになって、先生〔=筆者〕のこと刺して殺してやる」、と笑う。そこで私が、「え~(笑)、そこまで思ってくれるんだったら、死んでもいいかなぁ」、と応じると、E君は嬉しそうに再びもたれかかってくる。

エピソードの子どもたちは、それぞれ、何年生にみえるだろうか。答えは、すべて小学3年生である。小学3年生と聞くと、私におんぶを求めるA君と、それに応じる私に違和感を覚えるかもしれない。B君の言動を、年齢よりもおとなびていると感じるかもしれない。E君にいたっては、学年うんぬんよりも、「死ぬ」「刺す」「殺す」といった発言が気になるかもしれない。いずれにせよ、学年を知らない時と知った時とでは、エピソード中の子どもたちに対する見方や感じ方に、いくらかは変化が生じたのではないだろうか。

3. あたり前をカッコに入れて――現象学をとおして見えてくるもの

私たちのこうした見方や感じ方を支えているのが、<常識>や<あたり前>の感覚である。こうした感覚に基づけば、A君やE君の振る舞いや発言は、心配すべきことだったり、注意して矯正すべきこととみなされるかもしれない。しかし、本連載では、こうした<常識>や<あたり前>を、いったんカッコに入れて保留する。

筆者が研究の理論的背景としている現象学(Phänomenologie)では、あらゆる学問の成果や、日常的な常識、「あたり前さ」 を保留する。そうすることで、知識や常識に覆い隠されて見過ごされてしまう、私たち人間の経験や生の意味や、世界の本質を、あるがままに解明しようとする(フッサール1974)。だからこそ、現象学に基づくことによって、通常は捉えられないような深い次元で、しかも、当事者にできるだけ即した形で、その人の経験や在りようを明らかにできる、と筆者は考えている。

エピソードに戻ろう。A君にとって、筆者におんぶされることはどのような意味を持っているのか。E君は、どんな思いで、「死ぬ」「刺す」「殺す」という言葉を発しているのか。<常識>や<あたり前>を保留してはじめて、こうした問いが浮かび上がってくる。また、筆者がおんぶを拒んでいたら、おんぶはされたいけれども、その姿を友だちには見られたくない、というA君の微妙な思いに触れられなかった。「死ぬとか殺すとか言っちゃいけません」、と筆者が叱っていたら、E君とのつながりはそこで切れてしまっただろう。自分に固有の世界を生きている子どもたち、特に、なんらかの困難を抱えている子どもたちに変化を促そうとするならば、私たちおとなの常識や価値観はカッコに入れて保留し、ありのままの子どもたちを受けとめることからはじめる必要がある。次回からは、具体的なテーマに沿いながら、子どもたちの経験という<事柄そのものへ>と沈潜し、<事柄そのものから(von den Sachen selbst her)>見えてくる子どもの姿を描き出すことを目指したい*3


  • *1 児童養護施設とは、保護者との死別・離別・虐待など、さまざまな事情から自分の家庭で暮らせない子どもたちを育てる児童福祉施設である。2011年12月時点で、全国585施設に約3万人の子どもたち(0~20歳)が生活をしている。
  • *2 エピソードは、匿名性を守るために、実際の出来事に手を加えて創作してある。なお、エピソード中の「私」とは筆者のことである。
  • *3 <事柄そのものへ>は現象学の標語である。

引用・参考文献

  • フッサール1974 『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(細谷 恒夫・木田 元訳)中央公論社
  • 中田 基昭(編著)・大塚 類・遠藤 野ゆり2011 『家族と暮らせない子どもたち』新曜社
  • 大塚 類2009 『施設で暮らす子どもたちの成長』東京大学出版会
筆者プロフィール
Rui_Otsuka.jpg大塚 類(青山学院大学教育人間科学部教育学科准教授)

東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員PDを経て、現在は、青山学院大学教育人間科学部教育学科・准教授。専門は、教育方法学、教育実践の質的研究、臨床教育学。『施設で暮らす子どもたちの成長』(東京大学出版会、2009)、『現象学から探る豊かな授業』(共著、多賀出版、2010)、『家族と暮らせない子どもたち』(共著、新曜社、2011)などの著書がある。
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