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親の親になるのを強いられた子ども達(前編)

要旨:

様々な事情から子どもの世話をしなくなった親をもつ子ども達は、捨てられたという気持ちを抱くことになり、その後の人生においても影響を及ぼすことになる。また、多くは、子どもたち自身が、親や兄弟の面倒をみることになる。子どもに一番身近な大人の態度は、子どものその後の態度や行動に影響していく。親に育児放棄されて育った子どもは、大人になった後も、何かしらの変化のときにその辛かった気持ちにとらわれるが、辛い結果になるのを最小限にする方法はある。


子どもが一番恐れるのは、両親に愛されないこと、捨てられることである(Ginott, 161)。子どもは、自分よりも大きな誰かが自分をコントロールし守ってくれていること、安心できる状態にあると感じられることが必要である(Segal 79)。本稿では、親達が親であることを阻害されるような状況下で、親としての役目を果たせなくなったとき、特に子ども自身が親の役目を果たさなくてはいけなくなったときに、子ども達がどのような立場に置かれ、何を感じているかを論じる。大人が、捨てられたという思いに苦しむ子どもをどのように理解し、辛い結果になるのを最小限に留められるかを提案する。捨てられたという思いを経験した人々は、人生が永遠に変わってしまったという思いを抱き続ける。そして、何かしらの変化の時、不安を感じる時にその思いに再び襲われ、苦しい思いにとらわれる。しかし、大人になって、自分自身をよく理解し、子どもの頃に捨てられたことから受けた辛い影響を最小限にする方法を見つけ出すことも可能であろう。

子どもが養育者から十分な世話を受けられなくて捨てられたと思うに至る理由はいくつかあげられる。1)片親あるいは両親の死。1990年のアメリカの国勢調査によると、18歳以下の3.4パーセントの子どもが、親の死を経験している(Winton 164)。2)親の慢性疾患、あるいは精神疾患があまりに重度で子どもの世話ができない。あるいは、病気の夫、あるいは妻を看病するために、もう一方の親が、すべての時間やエネルギーを注がなくてはならない状況にある。3)アルコールや薬物依存で、子育てを放棄してしまった。4)生活のために2つ以上の仕事を掛け持ちしなくてはならず、子どもと向き合う時間がない。5)新しい文化の中に馴染んだ子どもが親を役に立たない、頼りない存在と感じてしまう移民の家族。6)大家族のため、親が忙しすぎて子ども達の個々の欲求に応えられない。7)親が離婚し、片方の親とほとんど、あるいは全く接する機会がない(Winton 89, Granot 7,8)。

子どもの年齢、性別、性格、文化的背景、健康状態などによって、捨てられたという思いに子どもがどう向き合うかは大きく違ってくるが、一貫して現れる反応や行動がある。1)しばしば不安を感じたりうつ状態になる。2)心理的退行。3)騒動を起こしたり、不法行為に走る。4)大人が心配するようなことを心配する。5)すべてのことで人と競争し、抜きん出ようとする。6)親や兄弟の世話を焼くようになる。こうした子ども達は、大人のように自分のおかれた状況を嘆き悲しんだりしない。自分の感情を意識することがないように見え、どのように表すのかもわからない。何も変わったことなど起きていないように振る舞おうとするが、実際は傷つきやすい(Granot 9)。うまくやっているように装い、そのように装っていることが周りに気づかれることを恐れて生きている(Segal 79)。子どものときに、頑張った、あるいは親や兄弟の面倒をみていて大人になった人は、その時の逆境をすでに克服し、なんでも自然に一人でこなし、現在の生活にうまく適応している、打たれ強い人に見える。彼らは有能で、人の気持ちがわかる大人であり、多くが、社会に大きな貢献を果たしているので、彼らの苦しみが認識されることはあまりない。親に捨てられたという感情は、子どもの人格形成や、その後の人生のとらえ方に影響を及ぼす(Granot 9)。本稿は、親による育児を受けられない子ども、成長期に親の世話をする役目を負わされ、子どもとして過ごすことが許されなかった大人について取り上げる。

親戚や家族ぐるみで付き合いをしている友人達は、子どもが育児放棄された後に体験する様々な感情の段階を通して、子どもに手を差し伸べることができる。子どもが最初に示す、棄てられたという思いに対する反応は怒りであろう。例えば、喫煙で咽喉がんになった父親への怒り、残っている親に対する怒り、神への怒り、医者に対する怒り、政府への怒り等である。こうした怒りには全く根拠がないかもしれないが、怒りは湧き起こり、復讐への考えや行為を引き起こす。復讐は、直接には関係のないものに対して向けられるかもしれない。例えば、飼い猫を蹴ったり虐待する場合もあるし、渇望している愛情を与えてくれそうな大人に対して逆に心を閉ざす場合もあるだろう。もしくは、愛情を買おうとお金を盗んだり、物を壊して、周囲の関心を引こうとするのである。社会における悪を制圧することで、ある種の復讐を成し遂げようとする子どももいる。そういった子どもの多くが罪悪感を抱いている。育児放棄、家庭の崩壊や死・病気を防ぐことができたのでは、両親をもっと助けることができたのではという思いにとらわれる(Granot 162)。

こうした見捨てられたという感情を防ぐ、あるいは解消していくためには、子どもの年齢に適した言葉で真実を伝えること、子どもが抱く感情を周囲の人がわかってあげることが必要である。例えば、母親が亡くなったケースにおいて、子どもが言葉を発しない場合、大人は「ママがいなくなって寂しいよね。ママは、君をとても愛していた。私たちもママのことを決して忘れないよ。」と言ってあげることができる。言葉で十分に表現できない子どもは、その状況を行動で表すことが必要である。例えば母親が亡くなった時には、父親や叔母、友達が子どもを膝に座らせ、母親が膝の上に座らせてお話を聞かせてあげていたときのように、「ママは死にたくなかったんだ。きみと一緒にいたかったんだ。ママがきみに本を読んでくれた時は、どこに座っていたの?ママの膝の上で読んでもらった本を読もうか。」と言ってあげるのが良いかもしれない。子どもは自分の感情や良くない考えを自由に表現する必要があり、そうしないとそのような感情をもつことに対して罪悪感をもってしまうのである。大人は「そうだね。ママを奪った世界なんか嫌いだよね。私も時々同じように感じることがあるよ。こんなことが起こったらとっても頭に来たりね。私もきみのママがいなくてとても寂しく思うよ。」と言ってあげることができる。子どもに過度な期待をする大人たちは、子どもが感情を自由に表現することを抑制してしまう。しばしば耳にするのが、子どもに投げかけられる「強くなれ」「きみはもっとママを助けることができる」など、子どもに大人のような重荷を負わせたり、子どもが自身の感情を表現できなくさせる言葉である(Winton 166)。

健康で残った方の親、主に養育にあたっている親、もしくは親代わりの大人によって形成されるロールモデルは、その子どもが進む道に影響を与える。父親が彼の妻の死や病気について話すのは、よい例を示しているのであり、子どもはそのようなことについて自由に話していいんだと感じられる。否定することは、後に身体的な症状や人間関係における問題を引き起こす可能性がある。一方で、親が悪い例を示す可能性もある。10歳のエドワードは、彼の父親が病気になった時、母親との関係が親密になりすぎる恐れがあった。父親が死んだらもっと幸せになるのにと言った。幼いころの行動に退行し、母親にしがみつくようになった。適切な性同一性の形成には、伯父、あるいは他の大人の男性がロールモデルとして必要となった。また、ダリエンの父親は、病気の妻が自分で自分のことができないということをあまりに強調してしまった。その結果、ダリエンは母親を残して学校へ行くことが怖くなってしまったのである(Segal, 68,69,72)。

行動を変えることは難しい。自分を犠牲にしてまで親を助ける必要がないと、子どもを説得するのは容易なことではないだろう。また、病気あるいは近親者を亡くした親が子どもたちに感情的に依存し親密な関係を求める場合、親を子どもたちから離れさせるのは難しいかもしれない。親のどちらかが病気か障害があったり、不在だったりすると、力関係、攻撃性、しつけ、暴力、コントロールといった問題に対処することはより困難かもしれない(Segal, 83)。親は恐らく子どもの愛情を失うことを恐れて言いたいことが言えず、子どもが親の役割を引き継いで家を管理することになる。あるいは、親は肯定と否定、精神的な恐喝で、子どもを言いなりにさせるだろう(Segal, 120)。子どもは親がやっているのと同じように、怒りと欲求不満に対処する。あるいは、そうした感情を逆に増幅させるようなやり方で処理しようとし、法に触れることまでしてしまうこともある。刑務所はある種の安全な閉ざされた場所で、子どもが親たちから得るべき安全な場所を提供してくれる。子どもの怒りは正常な反応であるが、どんな形でも表現していいというわけではなく、社会的に許される行為には制限があることを学習する必要がある。

周囲の援助や、何かのきっかけで創造的な活動を始め、抜きんでる成果を出す子どもも多い。これらの子どもたちは科学者やアーティスト、ミュージシャン、作家として成功する溢れるエネルギーがある。『ライオンと魔女』の作者C. S. ルイスは、12歳で母親を亡くしている。時空を超えた国で少年少女が勇者となって活躍する『ナルニア国物語』を創作した(Segal, 231)。他の「見捨てられた」子どもたちは社会のいくつかの欠陥を正す使命を果たすかも知れない。自分の親の面倒をみる子どもたちはしばしば子ども時代に決定づけられた道を辿り、後に述べるクレアとジェインが看護・介護という職業を選択したのもいい例だ。

子どもが親を亡くした際には、残った方の親、あるいは子どもに最も近い人が、中心になって子どもの世話をするべきであり、それが難しい場合には、親族やコミュニティから助けを受けるべきである。可能であれば、子どもは馴染んでいる環境に留まらせるべきである。大人は子どもに自分のやり方で感情を表出させ、自分のペースで適応させるようにする。大人たちは子どもが自分の感情を表出できるよう手助けする。自然な距離を保ちながら愛情を示す、誠実に質問に答える、子どもの能力を伸ばせるよう手助けするなどのことが大切である。子どもを一番の親友にしてしまう、あるいは、自分の世話を焼かせて大人がすべき役割を押し付けるようなことをしてはいけない(Granot, 203-208)。


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