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論文・レポート

子どものためのデス・エデュケーション:親、医療関係者、教育者は死について子どもにどう教えていったらいいのか(前篇)

マレーネ・リッチー (理学士 / 看護学修士 / インターナショナルエデュケーター)

2011年7月15日掲載

要旨:

親、医師、看護師、チャイルドライフ・ワーカー、教育者は、子どもに対する責任を果たすために、死に関する知識を必要としている。デス・エデュケーション(死の準備教育)によって、人生の質を高めるために欠かせない、人は死にゆくものであるということに対する認識が深まる。知識が深まることで、態度や行動も変わるだろう。デス・エデュケーションには、死の意味、死に対する態度、臨終および死別の過程、末期患者のケアなどの内容が含まれている。

議論の範囲

5歳の双子の父親である若い友人に、子どもたちが身近な人の死を経験したことがあるかどうかを尋ねた。近所に住んでいたハリーが亡くなったのだが、それを子どもたちに伝えなかったこと、それまではよくハリーと奥さんのところに行って話をしていたのに、子どもたちから「ハリーはどこにいるの?」と尋ねられるのが怖くて、最近では行かなくなってしまったと彼は教えてくれた。死を話題として取り上げるのはタブーとなっている。私たちは「死」という言葉を使いたくない。
死者について触れる場合には、「永眠した」「神の御許に召された」「そばにいない」などと表現する。会話に出てきても、しばしばその話題を逸らそうとする。「死」という言葉は失ってしまった人を思い起こさせ、その喪失を思い出すと苦痛を感じる。信仰によっても異なるが、死後に何が起こるかはわからないし、未知の事柄は恐ろしい。死によって引き起こされる痛みが怖い。子ども達はとても混乱するはずである。テレビや映画のあるエピソードの中で殺された俳優が、別の役柄で別の作品に再度登場するところを見ると、死には可逆性がある、つまり元に戻って生き返ることができるように見えるに違いないからだ。文化圏によっては、死者を讃えたり祝ったりする行事を毎年行うところもあるが、そこでの子ども達は、死は全ての生き物の一要素であり、命には始まりと終わりがあるということをある程度は認識するようになるはずである。カナダと米国の社会では、家族は遠く離れて住むことがよくあり、重病患者は病院で死を迎えるため、子どもは祖父母や近親の死を直接経験することがめったにない。私達は、あたかもこの世に永遠に存在するかのように生きている。もしこのタブーを敢えて取り上げ、死についてもっと語るとしたら、どんなことが起こるだろうか?

エリザベス・キューブラー・ロス博士は、以下のように述べている。「もし我々全員が、死という概念をとりまく不安に対処するために、また、他者が死について考えることに慣れ親しむのを助けるために、力を尽くして自身の死について熟考するようにしたならば、私たちの周りにある破壊性は減少するのではないだろうか」 (Kubler-Ross -12) 私は彼女のメッセージには、以下に述べる意味が含まれていると解釈している。もし人生に終わりがあることを真の意味で認識するならば、自分に最大の利益をもたらすべく、あらゆる状況をコントロールしようとする必要はないことが分かってくるだろう。どのみち私たちは姿を消していくのだから。人々は、他者の視点を理解することや、戦争や殺人よりも協調と歩み寄りによって問題を解決することに集中できるのではないか。死に関する不安に時間やエネルギーを費やす必要がなくなり、残された人生を価値あるものにすることができる。宗教や慣習の違いが死に対する信念を形づくるのに重要な役割を果たしているが、私たち全員が共有している問題もある。 本稿では、以下の点について簡潔に検討する。 (1) 子ども達は年齢によって死をどのように考えているか (2) カナダの専門家養成機関がどのように死に関する問題を扱っているか、その調査結果 (3) 医師、看護師、チャイルドライフ・ワーカーが子どもの死にどのように対応しているか、そして同じ病室の他の子ども達にどのようにアドバイスしているか (4) 幼稚園・保育園、小学校、高校、大学の教育課程において必要不可欠なものとしての死をどのように扱っているか

死に関する理解をより深めるために、本稿の読者からもお考えやご経験、アドバイスをお寄せいただけると幸いである。

異なる年齢層の子どもたちは死をどのように考えているか

幼い子どもですら、死を経験している。死んだ鳥や踏みつぶされた毛虫を目にするし、親がハエをたたきつぶすのを見ている。子どもは世界について学びたいと思っており、すべての生き物の元に死が訪れるということも学ぶ必要がある。死について子どもと話し合う養育者は、子どもが信頼する人間でなければならない。子どもは幼い頃から人の態度、身振りを読み取り、声の調子の変化を知ることを学んでいく。相手が率直かどうか、誠実かどうかも分かってしまうだろう。ウィルケンは次のように述べている。「何が現実で何が空想であるか、子どもの理解を助けるのは真実である。大人同様、子どもも痛みを感じ、喪に服し、そして成長できることが必要である。」死を定義する際には具体的な言葉を用いるべきである。例えば、「死んだ後には体はもう機能しない。心臓は鼓動をやめる。食べたり眠ったりする必要もなく、痛みも感じなくなる。身体をもう必要としなくなる」(Wilken - 1,2)と言ったようにだ。現実と直面することで、子どもの人格形成は進み、適応が可能になり、ストレスや災いをどのように乗り切るかを学び、そして社会での居場所を見つけることができる。何かを成し遂げ、人生には意味があると感じる人間は、安らかに死を迎えることができる。(Feifel - xi-xiii)

未就学児: マリア・H・ナギはブタペストに住む3~10歳の378人の子どもに対して調査を行った。年長の子どもたちに、死について思いつく言葉や絵をかかせ、死について話し合った。その結果、彼女が得た結論は、6歳以下の子どもは死が取り返しのつかないものであると認識しておらず、つらい別れであると考えているということだった。死者は目を閉じているが、地中に埋められるまで、世界で起こっていることを知っていて、遺体は、ただの丸太のようなものであると考えている。子どもたちは、天使がやるべき仕事があると信じており、死者はいったいどこに行ったのか、そして何をしているのかを尋ねはじめる。(Feifel-79-98) 大抵の場合、死者は墓地にいるというような簡単な答えでも子どもたちを満足させることができるだろう。死を説明するのに「眠る」「長い旅」というような言葉を使った場合、死者がやがて目を覚ますと子どもは信じるだろう。夜眠るのを怖がるようになるかもしれない。子どもは、自分が頭の中で考えたことが現実に起こると信じる傾向にある。例えば、母親が亡くなる前に、母親に怒りを感じていた子どもは、自分のせいで母親が亡くなってしまったと信じてしまうかもしれない。子どもたちは、誰が今後自分の世話をしてくれるのかと心配する。(Wilken-1)

小学生: 子どもは好奇心が強い。死を物理的に詳細に説明するためには、具体的な言葉が必要である。(Wilken-2) この年齢層の子どもの約1/3は、死者を空想し、擬人化する。例えば、死者は悪事をはたらく骸骨であったり、夜に人を連れ去るためにやってくる者、あるいは、夜になるとある種の人に見える幽霊だと想像している。死がいずれ自分にも起こりえることであるとは理解しているが、考えないようにしている。(Feifel-79-98) この年齢層の子どもの親は、死後の世界について、自分の信じることを子どもに伝えたいと望むことがある。子どもは親が死んだときに見捨てられたと感じ、誰が自分の面倒を見てくれるのかと心配する。9歳の子どもは、願いごとをすると叶うと信じることがある。例えば、口げんかが高じて妹が消えてしまえばいいと願った後に本当に妹が死んでしまったら、罪悪感を覚えるだろう。

高校生: ティーンエイジャーは過渡期の世界で暮らしている。ある時には扶養される子どもであり、ある時には、大人のようにふるまう。彼らは現在に生きている。未来は危なげに見えるし、過去はすでにおぼろげになっている。自分のアイデンティティーに確信が持てず、ぼんやりとしか見えない未来の中で、自分が無力であると感じている。(Feifel - 99-113) 彼らは死が恒久的なものであることを知っており、死すべき運命に対して疑問を持ちはじめる。身近な誰かの死の意味を探し、また、自分自身の人生の意味を探し始めることが多い。身近な人間が死んでしまったときに、自分がその命を救えたのではないかと思い、罪悪感を表すこともしばしばある。この場合、複雑な日常生活に自分ひとりで対応していかなければならないと思い、誰にも顧みられないと感じたり、恐怖を感じたりすることもある。友達が交通事故で亡くなった場合、車に乗ることが怖くなるかもしれないが、保護者がいかにその事故が悲しく恐ろしいものであったかを指摘した上で、飲酒した運転者の車に乗らないことや、シートベルトを着けるのを習慣化するなどといった、安全かつ健全な方法に目を向けさせることもできる。 (Hospice - 4)

子どもの悲しみ

子どもが何よりもまず必要とするのは、悲しんでいるのが自分ひとりではなく、親、医師、看護師、チャイルドライフ・ワーカー、教師などが自分のそばにいて、健康で安全な生活を送る手助けをしてくれるという安心感である。悲しみを感じるのにいつまでという時間制限はない。保護者は、人は、亡くなっていった人々をいつでも思い出せるということを教えてあげられる。

子どもの悲嘆を表す兆候を認識するには

a) 子どもは心配や不安を感じているかもしれない。幼い子どもの場合は、ベタベタくっついてきたり、わがままになったりすることもある。 b) 記憶が悪夢を引き起こすことがある。 c) 眠りにつくのを怖がることがある。 d) 悲しく、昔に戻りたいと感じていることがある。また、自分の不安を隠すことで両親を守ろうとすることがある。 e) 神や親、自分自身に対して怒りを感じる子どももいる。その怒りには根拠がないと理解するために手助けが必要である。怒りを感じている子どもは人を傷つけたり、反社会的な行動を起こすこともある。 f) 学校にいる間、子どもは集中することが難しく、心の中が思い出や祈りで一杯になっていることがある。 g) 頭痛・腹痛などといった身体的な症状が出る場合や、死者の病気と同じ症状が出る子どももいる。(Wilken - 2-4)

悲しんでいる子どもを助けるには

保護者は良い聞き手になる必要がある。子どもに話をするよう促すことで、彼らの誤解を明らかにし、訂正することができる。また、嘆き悲しんでもいいのだということも子どもは理解する。子どもは儀式を必要としている。告別式や葬儀に参列し、その手伝いをすることで、死はより現実味を帯び、哀悼のための時間をもたらす。それにより、子どもが死を受容しやすくなり、癒しのプロセスも進むことになる。子どもは、絵を描いたり、死者への手紙を書いたり、死者に話しかけたりしたがるかもしれない。これらはすべて奨励されるべきことである。死者の形見をしばらくの間持っているのも助けになるかもしれない。女子の場合、新しいボーイフレンドを見つけるといったように、ティーンエイジャーは死者の代わりとなるような新しい関係を急いで探すことも多い。これは失ってしまった安心感を求める方法である。友達や信頼できる大人からのサポートが不可欠である。(Wilken - 1-7; Hospice - 11-14)

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